第87話 角倉了以

「なんじゃこいつは…。」


了以は津久見の泥にまみれた顔を覗き込みながら言った。


「ん?どこかで見た顔じゃが…。」


津久見の顔の泥を少しづつ落としながら言った。


そこへ


「旦那さま。」


屋敷に仕えていると思われる侍女が了以の方へ向かって急いで走って来た。


「ん?なんじゃ?」


了以は津久見の体を仰向けにしてやりながら応えた。


「大坂より小西行長様と島左近様、それに横山喜内様がお越しでございます。」


錚々たる面々に侍女はその来訪に驚いた様子で主人了以にそれを伝えた。


「ん?小西殿に…島・横山…。」


了以はその名を頭に浮かべながら、もう一度仰向けになっている津久見を見た。


「まさかこやつ…。」


了以は少し驚いた様子で侍女に


「そこに倒れている御仁を奥の間で手当てしてやれ。」


「御仁…?」


侍女は了以の先に倒れている津久見を見つけた。


「ひゃっ!!!」


驚く侍女を横目に了以は庭の縁側に腰をかけ足を洗い始めた。


「爺様~。」


先程の小童が了以に向かって走って来た。


手にはまた杓に水を入れて持っている。


「おう、今日はしまいじゃ。あとはそろばんの弾き方の稽古をしておれ。」


了以はニコッと笑いそう言うと、応接間に消えて行った。


杓を持った小童は不服面で走って、杓の水を倒れている津久見に顔にかけてしまった。


「若様!!!」


側にいる侍女は血の気の引いた顔で急いで津久見の顔を布で拭いた。


「きゃっきゃ。」


小童は満足そうに屋敷の中に消えて行った。


______________________________________



「小西様に島様、それに横山様。」


行長達は了以の屋敷の応接間に通された。


「了以様。突然の来訪ながらお時間頂戴して申し訳ござらん。」


行長が言う。


「肥後20万石の大名に、先の戦の大将の家臣が急に何用でござるか?」


角倉了以

京の三長者と言われるこの男。


頭は丸坊主、長年の日焼けで全身黒い。服の上から分かるその筋肉質の体。


目はギョロっと大きく戦場で睨まれれば足軽なんぞはその気に呑まれてしまいそうな気迫を奥に感じる。


おおよそ商人のそれとは思えない風貌であった。


「いやいや、肥後は譲り申した。」


行長が答えた。


「ん??肥後を?領土をか?」


「まさしく。」


「何でじゃ?親父様みたくまた商人でも始めるのか?」


「の、様なものでござりまする。」


「?????」


「と言っても、また薬屋を始めるわけではござらん。」


「何を言うておるのかさっぱり分かりませぬな。肥後20万石。熱心なキリシタンで有名な小西殿。その肥後には沢山のキリシタン信者がおられると聞いておるが、それを捨てるのか?」


了以は不思議そうに聞く。


「捨てはしまへん。一旦お預けでござる。」


「お預け?」


「はい。信頼しうる者の描く、この日の本の未来の為に。」


「信頼?未来?」


了以の困惑顔は深まる。


「左様。戦無き世を作ると大声で叫ぶ者に心揺さぶられ申した。」


「戦の無い…。」


その言葉に了以の左目は吊り上がった。


その顔に気付いた左近は


「どうかなされましたか了以様。」


と尋ねた。


了以は左近の言を聞くと我に返った。


「いや、大丈夫でござる。して、その小西行長殿が何故わしの所に?」


了以は素朴な疑問をなげかけた。


「そうでございますな。」


行長はそう言うと座りなおし続ける。


「その者の描く未来を実現するためでござる。」


「ん??」


「拙者、肥後20万石を豊臣家へ返還し、堺を再度世界一の商業港にする任を授かり申した。」


「堺を?」


「はい。先の戦で豊臣家と内府殿は天竜川を境に領土を分かち、和議を実行致しました。故にこれからは刀はいらず、商いの方面を拙者が恐れ多くも一任仕った次第でござる。」


刀はいらず。


行長のこの言葉に了以の左目はまた吊り上がった。


行長は続ける。


「故に堺復興の為には、了以様。あなた様のお力がどうしても必要で、今日ここに至ったわけでござる。」


「…。」


了以は吊り上がったその目をそのままに何も喋らない。


そこに


「了以様は戦がお好きでござるか?」


左近が聞いた。


すると、了以目は右目も吊り上がり、その大きな目はギョロりと左近を睨んだ。


「左近殿よ。わしが戦によってここまで財を成したとお思いか?」


低い声で了以は聞いた。


「いや、先程から人が人を殺める行為について話を聞くほどに、了以様の表情が変わり申したので。」


左近は失礼ながらも言った。


「儂は商人じゃが、すぐに感情が顔に出てしまうタチでな。」


「左様でございましたか。それは失礼つかまつった。」


左近は頭を下げる。


「小西殿はどうじゃ。戦は好きか?」


了以はギョロ目のまま行長に向かって言った。


「好きか嫌いか。そうですな…。」


行長は一旦顔を落しながら少し考え再び答えた。


「了以様。変な事を言うかもしれませぬがよろしいか?」


「どうぞ。」


「拙者、先の大戦で実は死んでいたように思えてなりませぬ。」


「なんと?」


了以のギョロ目は更に大きくなった。


「しかし、あれよあれよと、今は天下の政にこうも必死に動き回っておりまする。不思議な物で、ある者のと言う物に深く心を揺さぶられましてな、どうせ生かされた命であれば、とことんその者に尽くしてみようと思っておりまする。」


「…。」


「これでは答えになっておりませぬな。」


「…。」


「拙者、戦は嫌いでござる。」


「!!!!」


「はい、大嫌いでござる。」


「なんと!朝鮮では我先にと進軍した…。」


「過去の話でござる。先の関ケ原以降大嫌いになりもうした。」


「…。」


「それもこれもかの者の影響でござる。」


「お主らをそこまで心酔させる者とは…。」


「石田…。」


行長がそう言おうとした時だった。


ビシャ!!


応接間の襖が開いた。


そこには屋敷の侍女からあてがわれた袴を羽織る、津久見の姿があった。


と、同時に行長と了以は口を揃えて言った。


「三成。」


「左近ちゃん!!!!何!人投げ飛ばして!!!」


と、津久見は左近に向かって歩き出した。


そこに


「ははははははははっはははっはは」


左近の前に座って津久見からは後姿しか見えない了以が大声で笑い始めた。


「え?」


津久見は困惑した。


「え?この人?」


津久見は左近に向かって言った。


左近は小さく頷く。


「石田三成!!!実に面白い!!!!」


了以は何故か嬉しさを爆発させた表情で津久見の方を振り向くと立ち上がり


「話を聞こう!!ははははは。」


ギョロ目を更に大きくして了以は言った。


津久見はまた気絶した。


第87話 完

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