プロローグ/第一章 わたくしと義弟の思い出①
「どうして、お前がわたくしの護衛になるの?」
わたくしは、激しく混乱していた。それはなぜかというと……。
貴族の
その入学の前日に、お父様から「君の護衛だ」と
だけど謝る機会がなかなかなくて、日々はあっという間に過ぎてしまった。
わたくしを
数年ぶりに会う義弟を、わたくしは
冷たさを常に
──ナイジェル・ガザード。
わたくしのことが大嫌いな、美しい義弟。
ナイジェルの表情は『相変わらず』動かない。昔から、無表情な少年なのだ。
彼を見つめたまま呆然としていると、ナイジェルが一歩こちらに近づいてくる。反射的に一歩下がると、二歩分
近距離にある絶世の美貌に
「……ウィレミナ姉様」
義弟は声変わりをして低いものとなった声で、なんらかの感情を押し殺しながらわたくしを呼ぶ。
いいえ、『なんらか』ではないわね。その感情の正体は……憎しみに決まっている。
「お久しぶりでございます」
義弟はふっと口もとを
その口づけは
〇 〇 〇
ナイジェルとの出会いは八年前……わたくし、ウィレミナ・ガザードが八歳の時まで
「ウィレミナ。今日から君の弟になるナイジェルだよ」
父が連れてきた少年を目にした
雪のように真っ白な肌。少女と
『ガザード
わたくしは、黒髪黒目という
……それにしても。弟とはどういうことなのかしら。
「弟、ですって?」
「そう、事情があってね。彼を引き取ることになったんだ。弟と言っても、君より数ヶ月誕生日が
そう言ってわたくしとよく似た容姿の父は、どこか苦さを
その笑顔を見て、わたくしは確信してしまった。
──ああ。この子は父の『不義』の子なんだわ、と。
貴族の令嬢というものは、耳年増なものだ。幼いながらもお茶会に引っ張りだこな、公爵家の令嬢ともなればなおさらだ。どこの
……こんなに美しい義弟なのだから、その母親は美しい女性に違いないわね。
きっと、一年前にご病気で
耳年増なわたくしは、そんな想像の
そしてその想像を、『真実』だと強く確信してしまったのだ。そのことを……未来に深く
義弟は
「……わかりましたわ」
できる限りの平静を
──内心に、ドロドロと
「お父様。ナイジェルの出自のことを教えてもらってもいいかしら?」
わたくしは内心を
そう、この子は『敵』だ。
わたくしと、亡くなったお母様の敵。お父様の……裏切りの
「それは、今は話せないんだ」
「……そうなのですね」
不義の子だ、なんて子どもには言えないわよね。わたくしはこっそりと息を
「彼はとある貴族家の生まれなのだけれど……いろいろとあってね」
お父様は目を
平民との間にできた子というわけではなく、義弟は貴族の家の出身らしい。
貴族同士なら、子どもだけ連れてこずに
……ナイジェルのお母様が、亡くなっているという可能性もあるのよね。それは少し
──ん? わたくし、なにを考えているのかしら。
この子にどういう過去があれども、認めがたい不義の子であることには変わりがないの。この子の存在を、許すわけにはいかないんだから!
強い視線で『義弟』になる少年を
この子って……綺麗だけど無表情ね。しかも、ちっともしゃべらない。
「……ねぇ、まったく口を開かないけれど。
わたくしの言葉を聞いて、大きくて綺麗な目がさらに
そうよ。この子はわたくしにいじめられて当然なの!
「はは、ウィレミナは手厳しいな。ナイジェル、ウィレミナは君と同い年だがマナーの授業や勉強はかなり先に進んでいてね。とても努力家で
わたくしは一瞬得意げな顔になってしまったけれど、すぐに
「お父様、わたくし当然のことをしているだけですわ」
つんと
不義の子を連れてきたくせに、どうしていつもの調子でそんな
そうは思うけれど、
「……
不意に、ナイジェルの口からそんな言葉が
そちらに目をやると、大きな空色の瞳がじっとこちらを見つめている。
白銀の長いまつ毛に
「当たり前よ。お前とは
つんとしながら
……なんだか
そんなことを考えていると、ずいと
「これからよろしくお願いします。ウィレミナ姉様」
義弟は無表情でそう言うと、ぺこりと頭を下げたのだった。
ナイジェルが我が家に来てから、一週間が
義弟の至らないこと──食事のマナーが悪いとか、勉強がまったく進んでいないとか、初級のダンスすらまだ
すべて事実の指摘だから、わたくしの品格も落ちていないわよね。ええ、落ちていないはずよ!
ナイジェルは貴族の出自のくせに満足な教育を受けていなかったらしく、指摘することが山ほどある。だからいじめのネタには事欠かなかった。
彼の元の家は一体どんな
爵位しかなく、領地がない家の子だったのかしら。
もしくは、よほどの放任主義か──
それを想像するといじめの手が
このいじめの方法には、一つの誤算があった。
至らないことを指摘すると、ナイジェルが真顔で教えを
家庭教師もつけてもらったのに、どうしてわたくしに
もちろん
「ウィレミナ姉様、これはどういう意味なのですか?」
「自分で考えなさいな。お前は本当にダメな子ね」
「……僕はダメなので、一人ではわからないのです」
そんなわたくしとナイジェルのやり取りを、使用人たちはいつも
義弟をいじめる
ナイジェルもどういう感情で、いじめを行うわたくしに教えを乞うているのかしら。
「もう、しつこいわね! 二度は説明しないわよ。ほら、本を見せなさいな」
「はい、ウィレミナ姉様」
「姉様と呼ぶのは
「……僕にとっては、貴女は姉です」
ツンとした口調で言うと、少しだけ
こんな時だけ表情を動かすなんて、ずるい子ね。
わたくしとナイジェルはしばらく見つめ合った。わたくしは見つめているわけではなくて、
「……仕方のない子。わたくしを姉と呼ぶのなら、それに見合う努力をなさい」
わたくしはガザード
「はい、ウィレミナ姉様」
ナイジェルは
「それで、どこがわからないの?」
その青の
心臓がバクバクと大きな音を立てる。義弟から視線を
ナイジェルからの視線がふっと逸らされる。そして白く細い指が本の一文を指した。
「ここが、わからなくて」
「……ああ、簡単な計算ね」
……今のは、なんだったのかしら。
まだ大きな脈動を刻んでいる心臓を片手で押さえながら、わたくしはナイジェルに問題の解の説明をはじめた。
ナイジェルが我が家にやって来て二年が経ち。彼の成長は目覚ましく、わたくしのやっている授業の
家庭教師はナイジェルを『天才だ!』と褒めそやし、わたくしは少々どころでなくご
そして、わたくしを追い抜いたくせに……。ナイジェルはなぜだか
周囲に
ぜんぶあちらの方が上だから、憎まれ口を
この国では、女性が一家の当主となることが認められている。お父様はわたくしを当主にするのか、女児しかいない際の特例を利用しわたくしの
その努力を……義弟は軽々と追い
ナイジェルを当主に、なんて話もこのままだと出かねないわね。それがガザード公爵家のためになるのなら、わたくしはそれに従うしかないのだけれど。
今日も図書室で自習をしているわたくしのところに、ナイジェルが本を
……本当に、なにをしに来たの。
自分をいじめる、
「ウィレミナ姉様、一緒に勉強を──」
「わたくしが教えることなんて、もうないじゃない。
「ウィレミナ姉様、僕はまだ未熟です。だからお
ナイジェルはそう言うと、わたくしをしっかりと見つめた。……その顔はやっぱり無表情だ。
「
「……側にいるだけでいいので」
「邪魔──」
「姉様……」
「ああもう! 無表情で瞳を
ナイジェルはしつこく
毎日嫌味を言ってもめげないし、
隣で大人しく本を読むナイジェルの姿を、こっそりと
この二年間で……ナイジェルはその美しさにさらに
顔立ちは出会った頃より少しシャープになって、
交流のために
あの
ナイジェルは、この家の者以外とはほとんど
わたくしの前でもじゅうぶん無口な子だと思っていたけれど、家人以外の前ではなおさら
令嬢たちの帰宅後に𠮟っても、『しゃべる必要がないので』なんて澄まし顔で言うのよね。どういうつもりなのかしら、本当に。
ちなみにわたくしの容姿は二年前と同じく
「今度のお茶会には、ナイジェルも行くことになったからね」
とある日。お父様から告げられた言葉に、わたくしは目をぱちくりとさせた。
今まで、お茶会にはわたくし一人で参加していたのに……。
あの子ったら、お父様に
そんなにお茶会になんて行きたいものかしら。腹の
……ナイジェルのせいで、探り合いの原因が一つ増えてしまったし。
ナイジェルが不義の子だという公表は当然されておらず、表向きは『不幸があった
そしてその
その
ナイジェルが不義の子だと知れたら、うちの家名に傷がつくもの。
建国の
「ナイジェルと、お茶会ですか」
「うん。そろそろいいかと思ってね。マナーもずいぶんと向上したことだし」
「それは……そうですわね」
ナイジェルはお勉強だけではなく、マナーやダンスに関してもとてつもない向上を見せた。その立ち居振る
じわりと、苦い気持ちが
悔しいわ。わたくしはなにひとつ、不義の子に
……お父様の愛情が、ナイジェルに
そんな不安も、正直あるの。
わたくしには血筋しか取り
ナイジェルのお茶会参加も彼のわがままではなくて、義弟に家を任せていこうというお父様の意思表示だったら……。
「……お父様」
思わず潤んでしまう目でお父様を見つめると、首を
「わ、わたくし……」
「どうしたんだい?
お父様はしゃがんで目線を合わせると、
どれだけ努力をしてもナイジェルに勝てないわたくしに、お父様は失望していないかしら。ナイジェルの方がガザード公爵家を任せるのにふさわしいと、そう思ってらっしゃるのでは? ナイジェルの方が
わたくしの努力には価値なんてないと、そんな気さえしてしまう。
「……ナイジェルよりも出来ない子だけれど、いらない子じゃない?」
「ウィレミナ、君は私の
大きな手が優しく背中を
「それに急にできた義弟にもいつだって優しい、とてもいい子じゃないか」
お父様の言葉に、わたくしは首を傾げた。少し体を
……お父様の愛情は、まだじゅうぶんにあるみたいね。
そのことに、ほっと胸を撫で下ろす。
「わたくし、あの子にいつも厳しいわ。意地悪な
それが申し訳ないと思いながらも、わたくしは幼子のように泣くのを止められなかった。
「意地悪? 愛ある
お父様がぽつりとなにかをつぶやいたけれど。それは自分の泣き声に
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