第15話:居場所(2)
真っ暗な部屋で目を瞑っていると、いろんなことが頭の中をぐるぐると回る。考えないようにしてもしつこく頭に現れて、私はまた寝返りを打つ。
あれ以降、奈美が親の話を聞いてくることはなく、今通っている劇団の楽しさをお酒を片手に饒舌に語っていた。時折愚痴もあったけど、楽しそうに話すその姿に充実しているのは伝わってきた。
それなのに、その話はちっとも覚えてなくて、頭の中をぐるぐるするものは相変わらずだった。
夜に考えたことって大体がろくでもないから、考えるだけ無駄なのに。
狭い布団の中、ただ静かに時間だけが過ぎていく。
「んんー……」
隣から小さな唸り声が聞こえてきて、私の肩あたりに何かが落ちてきた。声が出そうになるのをなんとか抑えて、バクバクと心臓がうるさい中、その何かから逃げるように距離を取ると、布団からはみ出てしまった。どうやら奈美が寝返りを打って、腕をこちらに投げ出したらしい。びっくりした。
あさひ、と呼ぶ桜の顔が頭に浮かぶ。暗闇の中手が伸びてきて、頬や腕を撫でていく感触を思い出すと、いてもたってもいられなくなって起き上がる。額にじんわりと滲む汗を拭う。一向に寝られる気がしない。
スマホを持って立ち上がる。冷蔵庫からお茶を拝借し、暗い部屋の中適当な壁を背もたれにして座る。硬い床の感触に、時折奈美の寝息が聞こえてくる。
「あー」
由紀さんの家行きたいな。明日また行ったらどんな顔するかな。呆れるかため息を吐くか、笑ってくれたりしないかな。なんでもいうこと聞くから、私のことこのまま飼ってくれないかな。私よりも華奢な背中、低めの体温、私に向けられない熱が何より安心できるから。
スマホを見れば、時刻はまだ深夜の二時で、朝日がでるまではたっぷりと時間がある。まだ、行けない。まだここから動けない。足を引き寄せて縮こまる。早く時間よ進んで。
何も、考えたくなんかないの。
***
「あれ……もう帰る?」
「おはよ。 うん、そうしようかな」
荷物をまとめていると、その音のせいか奈美が起きた。大きなあくびをして一度顔を上げた奈美は、重力か眠気かに負けてまた枕に顔を落とす。時刻は七時四十分。八時の電車に乗れれば九時には由紀さんの家に着く。きっと、多分、まだ寝てるだろうけど、インターホンには応えてくれるといいな。
一つあくびが漏れる。結局数十分間隔で意識を飛ばしたりはしたものの、ちゃんと寝れてなくて頭がぼーっとする。一旦家に帰ろうと思っていたけど、今以上に憂鬱な気分になりそうだからやめた。
よし、全部まとめた。財布も、スマホもちゃんと持ってる。
「じゃ、明日学校で」
「明日はサボるなよー」
「わかってる」
枕に突っ伏した家主を横目に部屋を出る。玄関を開けると朝日が眩しい。
貴女は私たちの眩しい希望なの。
遠い昔に聞いた言葉を思い出す。気分が落ちているときって自動的に気分が落ちるようなことばかり考えてしまうのってなんなんだろう。もう夜からずっとそれで、流石に疲れた。由紀さんのベッドで思いきり寝たい。出来れば隣に由紀さんがいてくれたら嬉しいけど、どうかな。
昨日歩いた道を戻っていく。シャッターが下ろされた居酒屋に、照明が消えた看板。二十四時間営業のコンビニを通り過ぎて、駅に入る。昨日とは逆の乗り場で電車に乗って、夜は一向に訪れなかった睡魔と闘って、ようやく見慣れてきた駅に降り立つ。一つあくびをして改札を抜けると、あの日由紀さんと食べたケーキのお店があった。開店は十時からでまだ開いていない。代わりにどこかで何か買っていこう。じゃないと、由紀さんはまた朝ごはんをコーヒーで終わらせてしまうだろうし。
近くのコンビニに入る。昨日はパンを一通り見て、結局コーヒーしか買わなかったんだっけ。少なくともおにぎりとかよりはパンの方が食べてくれる気がする。前だって食パンを準備したらそれは食べてくれてたし。
少し悩んで、クリームパンとフレンチトーストにする。少なくとも焼きそばパンとかじゃない気がするから。
「ありがとうございましたー」
スマホを確認すると、時刻は九時を指している。予定より少し遅れてるけど、どこかに出かけたりなんかしてないよね。少しだけいつもより早く歩いていく。見慣れてきたエントランス。いつも由紀さんが開けてくれるドアの前で、由紀さんの部屋番号を押す。
数回の呼び出し音の後に、沈黙が続く。もしかして、もうどこかに出かけたりしてるのかな。
会えると勝手に思っていた分、気持ちが一気に沈んでいくような感覚。せっかく朝ごはんだって買ってきたのに。
もう一度だけ呼び出しボタンを押す。たっぷりと時間をかけた後に、いつもよりもとろんとした由紀さんの声が聞こえてきた。
「ルナ……?」
「起こしちゃってごめんなさい」
「ん、とりあえず入って」
ドアの鍵が開く音がして、ドアを押して中に入る。眠たそうな声がルナって呼んでた。たったのそれだけで、なんだか心が暖かくなる。エレベーターを降りれば自然と足が前に進む。なんでこんなに、違うのかな。どうしてこんなに、胸が弾んじゃうのかな。
インターホンを押せば、すぐにドアが開いた。いつも通りのスウェット姿に、眠たげな顔が私を見上げる。その姿に思わず頬を緩めてしまう。
「あはは、おはようございます」
「ん」
突然の来訪も、もはや驚きもしないらしい。当たり前にルナと呼んで、当たり前みたいに私を部屋に入れてくれる。
ただそれだけが、どうしてこんなに暖かいのかな。
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