その日、ルナと名付けました

里王会 糸

第1話:突然足元にすり寄るから

「すみません」


 エントランスのロックを解除して、中に入ろうとドアの手すりを握った瞬間だった。はっきりと聞こえたその声に振りかえると、パーカーにショートパンツ姿の女の人が立っていた。


「すみません……そのー……鍵、なくって」


 そう言って、彼女は困ったように眉を下げて笑う。


 このマンションに住んでいるのだろうか。都内にあるこのオートロックマンションに住んでいるにしては若い気もするけれど、まぁ見た目だけで分かることではない。邪気のないその雰囲気に、ひとまず怪しい人ではないだろうと判断してドアを開ける。


「よかったー、今日は野宿かと思いました」

「タイミングが良くてよかったです。 でも鍵、見つかりそうですか?」

「あー、鍵持たずに家出ちゃいました。 それで、入れないじゃんって後から気づいて」


 彼女はまた、困ったように眉を下げて笑う。


 ここに越してきて日が浅いということだろうか。私よりも手のひら一つ分程大きな身長を見上げると、灯りに照らされた彼女の頬が赤いことに気づいた。それに、赤いだけじゃなくて、腫れている気がする。


「あぁ、やっぱり腫れてますか?」

「えっと……ごめんなさい」

「あぁいえ、見るなって意味じゃないんです」


 エレベーターが目的の階を告げて、扉が開く。多少の気まずさを感じながらエレベーターを降りると、彼女も降りて隣に並ぶ。五一三と書かれた玄関の前まで来ても、彼女は隣に立ったままだった。


 ここはもちろん彼女の家ではなく、私の家だ。もしかして、こういう手口で部屋を特定して何かするタイプの詐欺とかだったりするのだろうか。


 隣を見上げると、赤く腫れた頬と、何故だか泣き出しそうな表情があった。


「あの……」

「え、あぁすみません、ついてきちゃってました」


 そう言って、彼女はまた眉を下げて笑う。その表情を見ていると、何か並々ならぬ事情があるのかもしれないと思う。鍵がないというのも何か理由があって、その赤く腫れた頬とも何か関係があって、なんてどこかのドラマのようなことを考えてみたりする。


 だからといって、じゃぁ何をするというのか。手を差し伸べて、それで頬の手当でもして、そうしたら私の気は済むのだろうか。困っている野良猫に餌を与えた所で、それは解決策にはなりはしないのに。


「あの、お姉さん」

「はい?」

「その……少しだけ、家にお邪魔させてくれませんか」


 大きな瞳がまっすぐにこちらを見ている。野良猫よりも弱々しく、それでいて必死な目だった。放ってしまえば、そのままこの子は消えてなくなってしまうのかもしれないと、そう思ってしまうには十分だった。



 この選択肢が正解だったのか、私はまだわからずにいる。

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