第21話

「お兄ちゃん!」


 リビングのソファーで紙パックのオレンジジュースを吸っていると、葉瑠がすごい剣幕で呼んできた。


「どうした? 何か怒ってるみたいだけど」


 聡太は首を傾げながら訊いた。これといって妹を怒らせるような行為をした覚えがないからだ。


「別に怒ってないけど、訊きたいことがある!」


 完全に怒ってる時と同じなんだよな、と聡太は思いつつも、口には言わないでおいた。


「なに?」


「あの、二人のこと!」


「二人?」


 聡太はストローに口を近づけていたのを止めた。


「今日、お兄ちゃんのバイト先に来てた人のこと!」


 ああ、といって聡太は合点がいった。葉瑠は新谷美優と乾春奈のことを言ってるんだと。


「二人がどうかしたのか?」


 二人は葉瑠とは特に接点はないはず。


「あの二人とは、どういう関係なの!」


 何故、葉瑠がそこまでの剣幕で詰め寄ってくる理由は聡太にはわからなかった。が、ここで答えないと妹はさらに不機嫌になることを聡太は知っている。


「一人は同級生で大学も一緒。もう一人は高校の後輩」


 聡太は二人との関係を明かした。しかし。


「ちがーう! そういうことじゃなくて、あの二人とは、恋人や元カノみたいな関係じゃないのかって聞いてるの!」


 葉瑠は一層不機嫌になってしまった。聡太は少しびくりとしながら、ごめんと笑った。


「で、どうなの!」


 葉瑠は腰に手を当てて、厳しい目で見下ろしてくる。どうしてそこまで気になるのか不思議だ。


 聡太は、関係ね、と呟いた後、


「別に、今言ったことと変わらないよ。同級生と後輩。恋人でも元カノでもない」


「そうなの? てっきり元カノかと思ってた」


 葉瑠はきょとんとして、兄を見つめた。


「違うよ。今まで彼女できたって言ったことないだろ?」


「まあ、そうだけど…」


 葉瑠はまだ少し腑に落ちない様子だ。


「何かまだ気になるか?」


 聡太は葉瑠に訊ねた。すると、葉瑠からこんな言葉が返ってきた。


「お兄ちゃんはあの二人のことはどう思ってるの?」


 その質問に聡太は少し不意を衝かれた。


「好き? 彼女にしたいなあって思う?」


 そう問う葉瑠の瞳は、兄の交友関係が気になっているが、どこか寂しそう。そんな風に見えた。


「どうだろ…。好き、ではないと思う」


 今の想いを聡太は口にした。


「けど、嫌いではない。二人ともいい人で、どうして俺なんかを好きなのか、本当にわからない」


「えっ、もしかして告られたことあるの?」


 葉瑠はぎょっとした。


「ああ、少し前にね」


「お兄ちゃん、その時は何て答えたの?」


「一人は一度、ごめんなさいと断った。もう一人は、返事は今じゃなくていいって言われたよ」


 聡太の脳裏には、勇気を出して想いを告げてくれた二人の顔が浮かんだ。


 そっか、と葉瑠が呟く。

 

 少しの間、沈黙が訪れた。数秒経って、葉瑠は、


「やっぱり、まだ怖い?」


 と、訊ねた。


「…そうだな。怖いって思えば怖いかな。けど、昔ほどではない。昔よりは全然良い」


「そっか。なら良かった」


 葉瑠は兄のことを知っている。だからそう口にした。


「けど、無理はしちゃダメだよ? 倒れたら元も子もないんだから」


「子どもの頃の話だろ? 今は大丈夫だよ」


 聡太は優しく微笑んだ。


「そういう時に限って良くないことが起きるんだからね。少しずつ進んでいくことが大切だからね?」


「わかってるよ」


 まるで母さんみたいに過保護だなと、聡太は妹のことを思う。葉瑠は誰にでも優しく、明るい性格だが、心配症だ。


「いつもありがとうな、葉瑠」


 聡太は妹の頭を撫ででやった。


「な、なに。急に…」


 葉瑠は顔を紅潮させた。


「そういえば、さっきゲームしよって言ってたな。久しぶりにやるか?」


「うん! やる!」


 葉瑠はパッと顔を輝かせた。そんな妹の顔を見て、聡太はまたしても微笑んだ。



◇ ◇ ◇




「聡太、ちょっといいか」


 6月の下旬。特に用もなく、素直に帰宅しようとした聡太に、同じ軽音部の毛利翔が話しかけてきた。


「どうした?」


 聡太は席を離れようとしたが、その場にとどまって訊いた。


「明日ってさ、大学終わったあと暇?」


「何かあるの?」


 翔の問いにすぐ、暇と答えなかったのは嫌な頼みだったら困るからだ。


「いや、それがさー-」


 翔は困ったように、頬を掻いた後に続けた。


「合コンの人数がさ、足らなくなっちゃったんだよ」


「はあ」


 聡太は、何とも興味のないように返事した。


「本来四人だったのが、今、参加できるのが二人になってさ、誰か代わりの人いないかなって探してるんだよ」


 つまり人数合わせのためか。聡太は話の流れ的にそう解釈した。


「でさ、聡太。もし良かったら参加してくれないか? キャンセル料とか払うのマジで勘弁なんだ」


 顔の前に両手を合わせ、懇願する翔。


「その合コンって、どこの大学とやるの?」


 えっ、と翔は少し期待に満ちた顔になった後、「清花せいか女子大の子だよ」と答えた。その大学は聡太でも聞いたことのある有名な女子大だった。


「向こうも四人でこっちも四人。あっ、ちなみにこっちは今のところ、樹と俺」


 いつきという男も軽音部所属だ。聡太も何度か会話したことがあるから知っている。


「で、どう? これそう?」


 今この場で返事が欲しいようで、翔は催促してくる。


 聡太はどうしようか考えた。


 数秒考えたのち、


「まあ、いいよ」


 そう返事した。


「ありがとう! 助かったよ! マジ恩に着る!」


 両肩を翔にがっしり掴まれて揺さぶられた。


「じゃあ、あと一人だ。まあ、軽音部の流れでもう決まってるけど」


 聡太のよく知る人物だ。あいつはなら絶対大丈夫だろう、という妙な自信があった。





 


 








 

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