第92話 吸血公爵
「どう? 似合う?」
フィッティングルームから出てきた可憐な少女は、くるりと回ってみせた。
短いスカートがふわりともちあがって、少女の伸びやかな足が眩しい。
「ああ。」
二枚目と言えば言えなくもない。強いて褒めるならば育ちの良さを感じさせる若者がそう答えた。
毎年のように「新作」が投入され、流行が生まれ、着る服がないわけでもない者もこぞって、新しい服を購入する。
もっと田舎、たとえば、北のグランダやクローディアでは、貴族やごく一部の富裕層だけが楽しむこの「ファッション」という娯楽。
ごく一般の市民までが楽しむのは、聖域ならでは、だ。
ファイユは、せいぜい外出着と寝巻きがあれば、一年中事足りる、西域でもかなり田舎に分類される地方で育っていた。
大都会ランゴバルドでは、冒険者学校の寮生として、あまり外出の機会もなく、買い物も控えていた。制服や食事、そして泊まるところも世話してくれるランゴバルド冒険者学校もさすがに、小遣いまでは面倒を見てはくれないものだ。
カザリームで実際に、冒険者として迷宮を探索し、得た素材を売り、その分配金を受け取り、自由に使える金がもてるようになって、一時期は、夜の酒場に繰り出しては散財していたこともある。
さすがに、相手の男に貢いでいたのを、絞められて心を入れ替えたものの、次に付き合ったのが、このマシューだったので、どうにも男を見る目がないのだろう。
しかしながら、まだ15のファイユにそこまで要求するのも酷というもの。
貢いだ金は、クロウドが取り戻した。
いま現在は、ファイユは、マシューとおままごとの延長、あるいは年頃のよ女性が一時期、夢中になる恋愛小説にあるような恋を楽しんでいる。
マシューは、一応婚約者のドロシーが、パーティ内にいる以上、ファイユに手は出しにくい。
彼女は彼女でそういったタイプの男にはゴリゴリだったので、この二人の関係は意外に うまくいっていた。
「気に入ったのなら、それにするか?」
マシューが、そう言うと、うん、と嬉しそうにファイユは頷いた。
ドロシーの失踪事件で、冒険者稼業は休業中である。貯えはあるし、焦ることもない。無事に戻ってきたドロシーの今は体力回復待ちである、とエミリアからは聞いていた。
さらに、ファイユは短めのワンピースに加えて、コートも欲しいと言い出した。これは予想外だ。マシューは苦い顔をした。
今回の買い物は、マシューが出してやるつもりでいたのだが、コートも、となると持ち金が足りなくなるかもしれない。
「踊る道化師」と事務所の名前を出せば、「つけ」が出来るかもしれないが、ドロシーあたりが、いやな顔をしそうだった。
そのドロシーはいま、拉致され、監禁されたショックで寝込んでいた。
熱も下がったので、話を聞こうとしたのだが、精神的に不安定でとても無理だった、という。
わたしになにか出来ることはないだろうか。
と、マシューが聞くと、エミリアは真剣に考え込んでいた。本当になにか無いのか、考えていてくれたようだが、顔をあげて、きっぱりと「ないわ。」と答えた。
敵は「新魔王」を名乗るドゥルノ・アゴンという男らしい。拉致されたドロシーがどんな目にあったかは、想像できないマシューではないが、確かに一応の婚約者は、いちばん会いたくない相手かもしれなかった。
マシューにとって、ファイユはある種の清涼剤のようだった。
西域とは名ばかりの片田舎で、剣術の修行のみに打ち込んできたファイユは、あらゆる欲望に対して、純粋に弱い。
そのむき出しなまでの欲は、誰かがついて、コントロールしてやることが必要なのだ。と、マシューは自分に言い聞かせた。
「マシュー、コートはこれ!こっちかこっち、どっちがいいと思う?」
マシューは、都会育ち、おしゃれに慣れた男が値踏みをするように、じっくりと二つのコートを、見比べた。
デザイン、材質をじっくり、吟味したのは、『フリ』だけで、実際には本当に値札しか見てなかった。これだって値踏みだろ? 違うかな。
「こっちのほうが似合うな。」
と、マシューは安い方の一点を指さした。確かに、ハッチャケ十代デビュー中のファイユには、似合っていたが、もとがいいので、どっちも、似合うのだ。
「ねえ、マシュー。わたし、髪、染めたい。」
「そ、そうか?」
ファイユは、茶色のストレートで、剣の修業の邪魔にならぬように、肩口でそれをぷっりつと揃えている。前髪も目にかからないように揃えているので、確かに今日買ったワンピースとコートには、合わないかもしれなかった。
「き、今日は今からだと、帰りが遅くなりすぎる。ドロシーがあんな目にあったばかりなんだ。日が落ちる前に帰ろう。」
「そ、そう?」
ファイユは、不満そうだった。
そのこと。
謎の敵に仲間が拉致され、傷を負った。
まさに、そのことを忘れたいがためのデートだったのに!
マシューの判断は正しく、また遅すぎてなんの役にもたっていない。
このとき。
ブティックから出た二人の前を横切るように、女が一人、通りかかった。
目立つ女だ。
ドレスも靴も、さした日傘にいたるまで真っ赤ななのは珍しい。
女は通り過ぎようとして、気が変わった、とでもいうように二人の目の前で足を止めた・・・
「そっちの坊やは、逃げたければ逃げてもいいわ。」
サングラスの下の瞳まで赤いのではないか。
マシューはそんな錯覚に怯えた。
これは。この女は尋常ではない!
「私、と言うか、私のポスが関心があるのは、ファイユさん、あなただけなの。
『踊る道化師』双剣士ファイユさん。
死ぬのと。私のものになって永久に生きるのと、どちらを選ぶ?」
「ファイユ! こいつは吸血鬼だ!
爵位持ちだっ。」
マシューは、身構えた。人間のフリをしても。陽光の下を歩いてみせてもなお、定命の人間とは違う。
「ラナ公爵ロゼリッタ。」
高らかに女は名乗った。マシューたちの顔が青ざめる。自身の「血の渇望」を、コントロール出来る吸血鬼は、爵位をもって呼ばれ、人間に混じって暮らすことを許されるのだが・・・。
「公爵」はその最上位。単独で国を滅ぼせるといったしろものだった。
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