第60話 ここに来るべきじゃなかった
「それで、ルトの存在が、アシットを狂わせた…と言うわけか。」
リウは、ルームサービスのサンドイッチに手を伸ばしながら、そう言った。
手当を受け、ホテルの部屋に戻ったあと、食事もせずにドロシーは、リウの部屋に向かった。
アシットからの話を一刻も早く伝えたかったからだ。
急いで、しなくてもいい話ではなかったが、ひとりで抱え込みたいとは思えなかった。
「つまり、ルトが現れてからは、尊敬するボルテックの関心はすべて、ルトこと、ハルト王子に向かってしまった、というわけだ。」
サンドイッチをぱくつきながらだが、興味深げにリウは、話を聞いてくれた。
「ルトはルトで、それをありがたがる訳でも無く、そもそも彼は、魔道院の生徒ですらないのに。
アシットは、魔道研究にもっと励むかわりに、ルトの婚約者であったフィオリナを奪い取ることで、己の優位を得ようとし、それも果たせぬとわかると、師匠であったボルテックの人形を掻っ攫って、逃げ出す。
うん、ロクなもんじゃない。
嫉妬というものは、濃い魔素のように、人を蝕むのだな。」
「アシットには強烈な自負があったようです。」
ドロシーは、答えた。
サンドイッチは。たぶんパンの間に具材を挟んでいるのだから、サンドイッチなのだろうが、挟んであるのが、煮凝りだ。あまりドロシーにとっては、食欲のわく、具材ではなかった。
「自分の才能に対する自負が。その可能性まで含めれば、人類最高の魔導師は自分だと。
しかし、彼がグランダで、ルトと会ってしまった。
そして、その伴侶となるべく、フィオリナにも。」
「そこがわかっているのに、なぜ、嫉妬という感情がわくのか。」
リウは、首を傾げた。
「一緒に魔道を研鑽し、武技を高めあい、愛の表現として、全力で殺し合う。
優れた才能があるのは、認めるが、ルトとフィオリナのアレは、ほとんどが努力の賜物だぞ。」
「魔道人形に、自分を人間だと信じ込ませ、人間が成長するように、改造を施す、というのは如何ですか。みたことのない技術だし、相当に高度なものだと思いますが。」
「細部では、な。」
リウは、渋々とそれを認めた。
「オレは、あいつの人形をフィオリナだと認めた。そのうえで、あれが欲しいと心から思った。オレに恋をさせたんだから、たいしたものだ。
…で、アシットのやつはどうしている?」
「また、ぼくはまたフィオリナを失うのか。ハルトに加えて、リウにも負けるのか。」
アシットの口調を真似て、ドロシーはそう言って天井を仰いだ。
「あいつから見れば、そういう見方も出来るな。」
リウは、笑った。
「ある意味では、アシットとルトは同じ立場だと、言ってやったら少しスッキリしたようです。」
「どういう意味だ?」
ドロシーは、立ち上がった。カザリームに着いて以来、働き詰めだ。今日だって、雷撃を自分に放って無理やり試合を引き分けに持ち込んでいる。
そろそろゆっくり休みたい。
「どちらも、フィオリナをリウ、あなたに奪われたわけですから。」
「奪われた、は言い方が正確じゃない。なんだか、オレが無理やりフィオリナを自分のものにしたみたいじゃないか。」
「フィオリナ『たち』をですかね。正確に言うと。」
「どこに行く?」
「部屋に帰って、ゆっくりと食事にバスタイム、そのあと八時間ほど睡眠をとります。
リウはどうします?」
少年は、ようやく成人したばかりの年上の女をじっと見つめた。
「独寝は寂しいんだが‥」
ドロシーは、はあ、とため息をついた。
「確かに、無理強いはしないのですね。心の隙間にするりと入り込む。
そうですね、たぶんわたしも同じ気持ちです。人肌の温もりを感じて眠りたい。
でも、魔王を最初の男にするつもりはないので。」
「なら、隣で眠るだけでいいだろう?
別に無理に、おまえを抱くことはしない。一緒に互いを感じて眠ればいい。」
ドロシーは、笑みを浮かべた魔王の顔をまじまじと見つめた。
ローブの帯に手をかけて、するりと肩を出した。
ローブの下は。
床に落ちかけたローブを手に取ると、ドロシーはそれをリウに叩きつけた。
「それで終わるわけないでしょ! 残念姫’Sと一緒にしないで!」
リウが、ローブを剥ぎ取ったときには、ドロシーはもう部屋にはいない。
なるほど。
と、リウは感嘆した。副官としてだけではなく、私生活のパートナーとしても充分、愉快じゃないか。
マシューにやるのは、もったいないぞ、ルト。
ドロシーは、自分の部屋に駆け込んだ。誰にもすれ違わなかったが、ちょっとまずい格好だった。
ローブの下は、寝巻き。カザリームでは、比較的気候が温暖なためか、男女とも、眠る時には肌が透けて見えるような薄地のワンピースのようなものを被るだけのようなのだ。
用意してもらったホテルの部屋は、リビング以外に寝室はふたつ。その一つをファイユが使っている。
昼間の試合のあと、「引き分けだから優勝賞金はなしだろう」という主催者側ともめ、どうだろう、フィオリナ(β)の通う学校に、転入しようかとまた無理を言い出すリウをなだめ、落ち込むアシットをなぐさめ、祝賀会だとさけぶクロウドにそれはまた改めてと、説得し、ぜんぜん出番もセリフもないと嘆くマシューに、次頑張ろうね、と励まし。
なんで、世の中に残念姫が二人いてわたしは一人しかいないのか!
嘆くドロシーを嫉妬にみちたジト目で睨むエミリア。
ベッドに飛び込みながら(もう湯船にお湯をはる気力も残っていなかった)ドロシーは心の中で叫んだ。
ルト!
ルト、どうしてる?
会いたいよ。会って話がしたい。
やっぱり、カザリームなんてくるんじゃなかった!
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