第300話 舌戦

キッガは、自室に戻るとドアのカギを掛けた。

なにかが、上手くいかない。

もうずいぶんと前からキッガは、大抵の事は自分の体を与えることで解決してきた。

うるさい家庭教師も執事もメイド長も。いや、伯爵自身だって、キッガが胸もとをあけて、上目遣いで微笑めばなんだって思う通りになったのだ。

それは、愉快なことではない。

彼女自身が感じる肉体的な快楽とは裏腹に、その行為は彼女の心に淤のように暗いものを溜め込ませた。

だから。

彼女は自分を抱いたものを然るべく罰してきた。

家庭教師は、投獄されたのち、すべての財産も名誉も没収されて、北方へ追放になった。

執事は、辞めることも許さずに最下級の使用人として、酷使し、身体を壊した時点で放逐した。

メイド長は、屋敷の金に手をつけたと罪を着せて、辞めさせた。

そんなメイドを雇うところはどこにもなく、ミトラに流れてそこでしばらく物乞いのようなことをしていたが、通り魔に刺されて死んだという。


そして、伯爵も。

白狼団と伯爵の繋ぎ役をしていた白狼団員に刺されて、死んだ。


そうだ。

余計なものはすべて始末すればいい。

自分にとって邪魔になったものは始末して、次に乗り換えるのだ。


鏡の中のキッガは実に美しく、まだ肌は10代の輝きを保っている。


身の回りにいる最も権力のある男、利用しやすい男がゼナス・ブォストルであっただけで、別段、それだけの男だ。

「絶士」と呼ばれる鉄道公社精鋭部隊の者たちはどうだろう。

「英雄級」と呼ばれる半ば伝説化した冒険者だったものも多いと聞く。

ならばたかが「伯爵」よリもずっとずっと栄誉と富を誇れる身だ。


あるいは、クローディア大公はどうだろう。

意外に悪くないかもしれない。

出来たばかりの新興国であるが、それはかえって国主に権力が集中している、という意味でもある。

また、彼は筋骨隆々の戦士の体型をしており、それはキッガが今までにものにした男たちにはないものだった。

案外良いかもしれない。


キッガは、クローディア大公国妃であり、同時にエステル伯爵も兼ねる。

クローディア大公国にとっては、西域に飛び地を持つことになり、そこはまた鉄道ターミナル駅として莫大な利益をもたらす。

ギウリークにとっては、臣下であるエステル伯を妻に持つ、クローディア大公国を形だけでもその傘下に加えることができるわけであり、外交的な対面もたつ。


いいな。素晴らしいアイデアだ。

キッガの体が疼くような感覚を覚える。わたしが素敵なアイデアを思いつくと必ずこう、だ。

とりあえずこの疼きは、ゼナス・ブォストルでおさめよう。

なに、アウデリア?

あんな筋肉が鎧を纏ったような女より、わたしの方が「いい」に決まっている。



アウデリアはくしゃみをした。


「どこかで、人を出しに誰かがくだらない計画を立てているような気がする。」


度数の高い蒸留酒の小瓶を差し出したウォルトの手から、瓶をひったくってアウデリアは一口酒を頬張った。


「クローディア公はどういうおつもりですかな? アウデリア妃。」

前ロデニウム公爵は、アウデリアに尋ねた。

ゼナス・ブォストルが潜む、また元白狼団が根城にしていた郊外の屋敷への道筋で、クローディアたちと一緒になったご老公たちは、そのまま、屋敷へと行動を共にしていた。


長年、聖域の政界に君臨してきたご老公にも、理解し難い面子である。

黒竜ラウレスは、彼がミトラの聖竜師団の顧問を務めていた関係で、旧知の間柄ではあった。


武者修行中の拳士と名乗るジウルやその弟子ドロシー、アキルは、クローディアやアウデリア、さらにいつの間にか加わったウォルト少年とも知り合いのようである。

老公は、ウォルト少年が、グランダを出奔中のハルト王子なのかとも疑ったが、全員の態度からそれは違うようである。違うようではあるが、まるで昔からの知り合いのように、少年の一語一句に頷き、そのアドバイスを受け入れるのだ。

さらに、見慣れぬ顔、爵位持ちの吸血鬼らしき美女とも一同は旧知の中で、今、その美女が、保安部との交渉の真っ最中だった。


「だからさ、わからないかな、全員わたしが魅了済みなわけ。だからこいつらはもうわたしたちの味方なの。だから弩弓はおろして、全員武装解除しなさいって。」


「それだと、こっちが降伏したようなんだが。」


キッガ側の交渉に出ているのは、巨漢である。

縦にも高いが横にも広い。

まるで、壁とでも話しているかのような巨漢である。


「あやつは」

「ご老公、あれは“絶士“というらしいぞ。」

アウデリアが言った。

「奴は絶拳士シホウ。正直言ってなかなか、やる。」


「絶士ならば聞いている。」

ご老公は唸った。

「ロデリウム家のナンバーズからも一人、引き抜かれた。英雄級、黄金級はては亜人に至るまで、腕利きばかりを揃えておる。」


「かまわないじゃない。味方同士なんだし。」

「なら、そちらが武装を解除しろ。」

「いやだよ。あんたは無手でも強そうだし。」


「あれは、彼女流のブラフでしょう。」

クローディアが言った。


「あの女吸血鬼はなにものですかな?陛下。」

「ロウ=リンド。ランゴバルトの銀級冒険者です。わたしの娘や娘婿とパーティを組んでおりまして。」


「吸血鬼ですぞっ!」


「これは自論ですが、吸血鬼のたぐいは強ければ強いほど安全です。

己の吸血衝動を抑えることができますからな。」

「あのものは、爵位持ちで?」

「真祖です。」

ご老公の顔色が青ざめるのをみて、クローディアはあわてて続けた。

「あのものは、吸血鬼にしては極めて面倒みもよく、それでいながらちょっと抜けたところもあり、なかなか愛すべき人物とのことなのですが。」


「それでも、生首になる前に親しくするのは遠慮したいものですな。」

ご老公も亜人に対する差別意識の強いギヴリークの人間なのだ。


「まったくもって、同じ意見です。」

クローディアは愛想良く頷いた。

「フィオリナも1度、首を取ってから仲良くしておりますな。


さて。彼女ひとりではあの、絶士を突破するのは難しそうだ。少々助太刀して参りましょう。」



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