第289話 少年の名はだれも知らない
ギムリウスの転移はいつもながら見事としか言いようがない。
まず、「転移」という現象がだいぶ、無理のあるものなのだ。そのため、対象物(自分自身をも含め)騙すために、あるいは世界を騙すために、さまざまなエフェクトを行使する。
多くの場合は、「門」だ。
門を開いて、「ここ」から「あそこ」へ移動する、という行為が転移するものにとっても、それを見過ごさなければならない「世界」にとっても一番、無理のないスタイルである。
ぼくは、なんのエフェクトもないまま、オーベルの路地裏に出現していた。
通りを覗くと、倒壊した家屋が数軒。
集まった鉄道保安部の制服を着た奴らは、200を超えている。
だが、ほとんどが呆然と空を見上げたままだ。
クローディア陛下とアウデリアは、空を見上げたまま何やら話をしている。
ボルテック卿もいる。ドロシーもいる。アキルもいる。
ロウ=リンドもいた。
ウィルニアとシャーリーもいた。
少なくとも彼の見知った顔は、皆冷静だ。なんとなくちょっぴり誇らしい気がした。
もう一人、冷静に状況を見ているものがいた。
アキルと同じ、黒目、黒髪。彼女のお姉さんと言っても信用してしまうどこか面差しの似たような美女だった。
「隊長殿!」
ごにょごにょとアウデリアとの打ち合わせを終えたクローディア陛下が、保安隊の隊長らしき人物に叫んだ。
「いったん部隊を散開させろ!
ここでブレスを使われたら一発で全滅するぞ。」
未来の義父殿は、本当に人使いが上手い。
どう考えても鉄道公社の保安部に対する指揮権なんかあるはずも、ないのに、そのひと言で、隊長さんは頷いて
「散開! 散開しろ!
竜から距離を取るんだ!」
要するにあれだ。
この場から逃げたくってしょうがない連中に、理由を与えてやったわけだ。
上空のラウレスを見上げたまま、走ろうとするのだから、転ぶものも多い。
それでも負傷者を担いで、保安隊は「散開」した。
あとに残されたのは、クローディア閣下、ウィルニアとシャーリー、アウデリアさん、ボルテック、ロウ、ドロシー、アキルにアキルによく似た女冒険者。
それに、ぼく。
「そっちの吸血鬼は何者なんだ?」
女冒険者が言った。
「元魔王宮の階層主だ。真祖吸血鬼ロウ=リンド。」
ボルテックが頭を掻きながら言った。
「さっき“ウィルニア”がそう言ったのう。まことなのかや?」
「ウィルニアに魔道院の学院長を頼んだのは、俺だ。」
ボルテックが言った。
「呆れた。」
女冒険者は、カラカラと笑った。
「なら、わらわもきちんと自己紹介をせねば、のう。
銀灰皇国の“闇姫”オルガじゃ。アウデリア殿、クローディア殿。よしなに頼む。」
また、とんでもない大物だ。しかもぼくの記憶が正しければ、皇帝暗殺未遂で指名手配中のはず。
ぼくもフィオリナも直接の面識はないが、一時魔道院に留学してたはずで、ボルテックとは旧知の間柄なのだ。
「で、その元階層主殿がなぜ、白狼団の食客をしておるのじゃ?」
「成り行き。」
とロウは答えた。うーん、この面子では、いっこうに話が進まん、これはぼくが出るしかあるまい、と
「あの」
声をかけると、全員が一斉に振り向いた。
目つきは全員同様。
「誰?」
であった。
ああ。
しまった。認識阻害が効いてるんだった。
こっちはみんなを知ってるのに、向こうはぼくをわからない。
「怪しいものでは、ありません。」
いちばん、言ってはいけない返事をすると、全員の視線がいっせいに「怪しいもの」を見る目つきに変わる。
ドロシーなどは、攻撃呪文を準備はじめている。
彼女の「無詠唱」は本当の意味での詠唱破棄ではなく、それなりの下準備が必要なものだから、これは正しいのだがやるせない。
飼い犬に手を噛まれるようなやるせなさだ。
「ギムリウス様、ラウレス様とともに、ミトラよりクローディア陛下をお迎えに参上いたしました。」
うそが流れるように出るのは、我ながら怖い。いや、なまじっかうそじゃないから、なんていうか。ぼくは。
ほんとにタチが悪い。
「枢機卿より、陛下のご到着が遅いとのお声がありました。縁続きのアライアス侯爵より、命をうけ、オーベルにて足止めをされているクローディア陛下ご夫妻を救出するため、参りました。」
「と言ってる、キミは誰かい?」
と、ロウが尋ねた。さりげなくストールで口元を隠している。犬歯を隠すためだ。
まあ、認識阻害は外見についての印象は変わらないから、ぼくは相変わらずロウの好みのタイプなんだろう。
「ウォルトと申します。」
と言って頭を下げた。
これで完璧。はっきりとはなにも言っていないが、勝手にみんなはぼくを、アライアス侯爵家の「暗部」だと思い込んでくれる。
“あなたはっ!?”
念話は、ウィルニアが連れている女性のものだった。
人間の姿は初めて見るのだが、ぼくにはわかる。
無限に増殖する黒いスケルトン。アンデッド聖女シャーリー。
どういうものか、彼女とぼくには従属契約が結ばれている。
“なぜ、姿も変えずに別人になれるの!?”
風邪をひいた弟を心配する時の口調だった。
なるほどぼくが、変な呪いにでもかけられたと思ってくれてるわけなのか。
ありがとう「黒の聖女」シャーリーさん。
「呪い」と「加護」は表裏一体、紙一重なのですよ。
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