第270話 クローディア罠にかかる
「エステル伯爵閣下とお目にかかれるというのか?」
「はい。」
現れた男は、遠い北国の生まれであるクローディアから見れば、まともな貴族よりよほど、金のかかった身なりをしていた。
エステル伯の筆頭秘書官を務めるマーレイと名乗った。若い男である。
襟の高いジャケットは、ランゴバルド風であったが、生地は光沢のあるミトラの特産生地。
「クローディア閣下には大変お待たせしてしまい、主人も大変心苦しく思っているとのこと。
近々、白狼団との交渉もまとまり、列車は運行ができる見通しですが、一言、詫びを兼ねて申し上げたいことがあると。」
「ふむ。」
クローディアは顎髭を撫ぜた。
「それはまた」
「主人は、暗殺を恐れておいでです。」
秘書官は声をひそめた。
「白狼団の女首領が、元伯爵閣下の義理の娘であることはお聞き及びかと思いますが。
伯爵は、彼女から恨みをかっております。自分を後継者に指名しろと強要し、それがダメとわかると嫡子であるご子息に暴行を加えて、出奔。嫡男はその傷がもとで亡くなっております。」
「それならなぜに討伐もせずに、勝手を許しているのだ?」
怒りを押し殺して、クローディアは尋ねた。
「恐れながら、キッガの背後には、鉄道公団がついている、と。なんどか討伐隊を出しましたが、返り討ちに合いました。」
「ならば、ギウリーク聖帝国中央軍の派兵をもとめるべきであろう。」
「そうなったならば、このエステル伯爵領は取り潰され、オーベルは鉄道公団の直轄地となるでしょう。
キッガの狙いもまさにそこです。」
ならば、一度会ってみる必要があるな。
とクローディアは言った。
秘書官は深く頭を下げた。
「恐れながら、お一人のみでお願い致します。」
馬車に乗せられてむかった先は、駅からだいぶ離れた町はずれだった。
小高い丘に建つのは宮殿というよりは、少々立派な程度の屋敷で、警護の兵のすがたを除けば、かなり寂れた印象を与えるものだった。
失礼ですが、お腰のものを。
警備兵に言われ、剣を渡す。暗殺、という言葉も脳裏にはあったが、クローディアはなにも戦いを剣のみにたよっているわけではない。
アウデリアほどではないにしろ、彼もまた筋肉の信奉者であった。いざとなれば、拳ひとつでも活路は見いだせる。
客間で少々、待たされたあとで、警備のものが呼びにきた。
「恐れながら。」
丁寧に礼をしつつ、階段へと案内される。
「ここからは、我々、警護のものも立ち入りを禁じられております。クローディア陛下には大変、申し訳ないのですが、お一人にて二階へとお上がりください。
伯爵は、廊下を右へ進んでいただいた突き当りの部屋でお待ちです。」
言われた通りに二階にすすむ。
廊下は薄暗く、突き当たりの扉は両開きで、がっしりとした作りだった。
クローディアはノックをしたが、中からの返答はない。
思い切って、ドアを開ける。
その瞬間に斬りかかられても、クローディアは充分反応できただろう。彼は、その妻や娘のような少々人間離れした力こそもってはいなかったが、歴戦の猛者には違いなかった。
部屋は広い。
おそらく会議になどに使われるのだろう。長いテーブルが置かれ、立派は椅子もならべられていた。
その一番、奥の席で。
初老の男が胸に剣を突き立てられて、倒れていた。
クローディアは駆け寄った。おびただしい血が床を濡らしている。だが、それでも男にはまだ、息があった。
クローディアと目が合うと、男は口唇を歪めた。笑ったつもりのようだった。
「もっと早くにお目にかかれればよかったが・・・」
「エルテル伯爵閣下か!」
「やられましたな・・・キッガは・・・我が娘ながら、あれは人間ではない。」
クローディアは治癒魔法を作動させた。
おそらく、得られる効果はわずかな延命のみ。だが、そのわずかな時間でも事情をきかないわけにはいかない。
その胸にささった剣が、さきほど、入り口で取り上げられたクローディアの剣にほかならないのならば。
「わしは・・・あれの身体に溺れた・・・やつは、次々と男をたらし込む・・最初は自分の兄・・・次はわし・・・そして今は」
クローディアは背後にひとの気配を感じた。
振り向くと、「仕掛け屋」のギンが、静かに立っていた。
「これはお主が!?」
クローディアが尋ねるとギンは首を横に振った。
つつ、と倒れたエステル伯爵のもとにかがみ込む。
「あんたの元奥様から、あんたを殺せと頼まれましたよ。」
「・・・・」
「奥様のところに、偽の殺し屋を送り込んで脅したのはあなたですか?」
「知らんな・・・キッガの仕業、か。」
「恐らくは」
伯爵は、カッと目を見開いた。懐に差し込んだ手をのばす。血まみれの金貨をギンは受け取った。
「オールべを・・・エステル伯爵領を独立させ、わしを王に・・・と。」
「裏で糸をひいたのは、鉄道公団か。それとあんたの娘キッガ。」
「このままにはしておけん・・・我が息子を手にかけてまでともに地獄まで一緒に添い遂げようと誓ったが・・・地獄におちるのは・・・わしひとり、か。」
手が床におちた。
目を見開いたまま、伯爵は絶命した。
「安心しな。」
ギンが薄くわらった。
「娘さんとはすぐに地獄で再会させてやるさ。」
廊下を走る軍靴の音が響く。
「お主ひとりならば、脱出できるか?」
クローディアはギンに言った。
ギンは頷いた。
「陛下はどうされます?」
「いきなり殺されることはないだろう。せいぜい牢のなかで出来る嫌がらせをしてやるさ。」
ギンは頷いて、現れたときと同様に、影にとけるように姿を消した。
「閣下! 一体何ごとにございます! おお!これは。」
警備隊長が、エステルの遺体にしゃがみ込むように抱き上げた。
「こ、これは亡くなられている・・・まさか、この剣は、クローディア公の。乱心めされたかクローディア公!」
そう言いながら、自分の身体の影に隠すようにして、死体の喉頸を短刀でかききった。
遺体に鞭打つ、というが。
クローディアの剣を使っての一撃が、即死の致命傷でなかったため、念には念をいれたのだろうが、つくづく運のない男だと、クローディアは同情した。
「なにがあったのか教えていただけますかな。」
そう言って、クローディアに話しかけようとした警備隊長は見えないなにかに押されたように、尻もちをついた。
「て、抵抗するのか。しかたない。ここでクローディア公を取り押さえよ。」
取り押さえよ,といった割には捕獲用の道具はなにひとつなく、すべて本身の剣とやりだった。
クローディアは苦笑した。
大人しく捕まってみるつもりだったが、それも許してもらえないようだ。
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