第206話 洗濯場奇譚
わたしは大いにしょげていた。
当たり前のことにいまさら気がついたからだ。
眼の前の桶のなかで、わたしの下着含めた一切合切が、水に浸かった状態でぐるんぐるん回っている。
回してるのはドロシーさんで、ルトに習ったそうだが、要するに「洗濯機」だな、これは。
このあと、熱めの風をあてて、乾かせばキレイになるよ、と彼女ははげましてくれた。「乾燥機」もできるのか。
「ドロシー・・・」
「大丈夫だって!
はじめて人が死ぬのをみたら、そうなるよ。わたしだって・・・ちょっと・・思い出すだけで吐きそうだからね。」
あれから、ジウルさんとオルガは、死体を集めて、魔道の炎で焼き尽くした。
証拠隠滅、というわけではなくて、ああしないと、よくないものがよってきて死体が魔物化することがあるらしい。
わたしは、その場で、ドロシーさんの出してくれたお湯でなんとか血のりだけはぬぐって、濡れた服のまま、それから一時間は歩いただろうか。この小さな街にたどり着いた。
ほんとうは宿をとる時間でもなかったのだが、わたしの状態を見て、ジウルさんは、取り急ぎ、部屋をとってくれて、わたしは着てるものをぜんぶ脱いで、ドロシーさんに洗ってもらっている、というわけだ。
そうこうしているうちにいくつか嫌なことにも気がついた。
戦いの中、首をしめられた痕、切り傷、打ち身。一切合切が、血をあびたことできれいさっぱり治癒していた。
そう言えば、返り血をあびたら傷が治ったら便利だろうなあ、とヴァルゴールのほうのわたしが、この依代をつくるときに思ったような記憶がある。
秋流のわたしは知らないし、だいたい作った当人も忘れてたんだから。
なるほど、便利な機能だろうけど、すごくダークな感じがして、いやだ。
あと気がついたのは。
「アキル。着替えを借りてきたぞ。」
ジウルさんが、顔をのぞかせた。持ってきてくれたのは生成りのシャツとズボン。
裸にタオルを巻いただけのわたしを見て、そそくさと出ていこうとするので、わたしは呼び止めた。
「ねえ、ジウルさん・・・気がついたんだけど。」
「なに? オレの魅力にか?」
「ルトのまわりって、ホントに人が死なないのね。」
ジウルは、顔をしかめた。
「たしかに、な。
いい例がオレ自身だ。やつとは、こっちから喧嘩を売る形で百回近く、戦っているが、一度も死んでいない。」
「でもそれって練習試合のことでしょ?」
「魔導師同士のぶつかり合いだぞ。ついうっかりでも死ぬわ。」
「わたしは忘れてた。」
わたしは下を向いた。ぐるぐると水の中をわたしの衣服が回っている。血と反吐と排泄物で汚れたわたしの服が。
「ひとはいくらでも死ぬ。かんたんに死ぬ。この身体を得てからすぐルトにあって、ずっと一緒にいたから忘れていた。
ひとは死ぬんだね。」
「あれは、どうも『死』を嫌っている。」
ジウルさんは、感慨深げにつぶやいた。
「自分だけではない。周りも。いや敵もか。だいたい、やつを殺すために西域から呼ばれた『燭乱』の連中がひとりも死んでない。
それを画策したあいつの父親・・・前のグランダ王だな。そいつはいま、校外の別荘でのんびり隠遁生活をしているし、裏で糸をひいていた王妃メアも一緒だ。
やつを蹴落とそうとした弟のエルマートはいま、グランダの国王になっている。
そもそも、おまえはどうだ、ヴァルゴール。ルトひとりならいざ知らず、今現在『踊る道化師』として知られるあの連中をまえにして滅ぼされなかっただろう?」
わたしは考え込んだ。定命の生き物に神が滅ぼされる?
バカバカしくて、笑っちゃうじゃん。そりゃあ、魔王リウに神竜公妃リアモンドがいて、真祖吸血鬼のロウとラウルが両方いて、ギムリウスがいて・・・あ、神獣フェンリルくんたちもいたか。
まさか。
見逃してもらってたのか、わたし。
ドロシーが水を消して、風を呼んでそのまま、わたしの服を持ち上げた。あたたかい風がわたしの服をまわす。ぐるぐると。
「なんでかな?」
「単純な博愛主義とは違うな。殺すことを悪だと判断しているわけでもなさそうだ。」
ジウルさんは、考え込んだ。
「なにか、殺す以外の方法がないか。一応考えてはみるんだろうな。
そして、あいつのおツムは、それを見つけてしまう、だから、そっちを優先してるだけだ。
例えば、王位争いなら、クローディア公爵軍をよんで、王都を制圧してしまって終わりだっただろう。魔女ザザリという不確定要素はあったにせよ、ことがそうなれば、わしもルトにつくし、フィオリナもいる。勝てない話ではないし、犠牲は決して多くはない。
それをヤツは、別人の駆け出し冒険者として、迷宮最深部にたどりついて、魔王を自分のパーティにスカウトするほうを選んだ。
かくして、あの大騒ぎを通じて、命を落としたものはひとりもおらん。」
「わたしのときも、そうです。」
ドロシーは、アキルの服を乾かしながら、明るく笑った。
「死ぬかと思いましたけど、だれも死ななかった。そのためにルトがどれだけのことをしてくれたのかは、今になってわかります。全部じゃないですけどね。」
「例えでいうならば、闇姫オルガは、ルトと真逆の存在だ。」
ふいに、ジウルは声をひそめた。
「なんとかして殺さずにすむ方法を考えるのではなく、なんとかして殺そうとする。殺戮こそ至上の喜びとするもうひとりのルトだ。
そして、やつと一緒にオレたちはミトラに乗り込む。」
「な、なんでそんな怖いひとと!」
「隠れ蓑だ。」
ジウルはきっぱりと言った。
「まさか、闇姫の連れに、邪神ヴァルゴールがいるとは思わないだろう。」
「でも、あのひとってわたしの13人めの使徒ですぜ、ボルテックの旦那!」
呆然と、ジウルさんはわたしを見返した。
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