第198話 前夜のこと

ぼくは柄にもなく、緊張していた。なにしろ、女子寮である。

万事大らかな冒険者学校だから、「未成年」の寮でなければ別に男子が立ち入り禁止ということもない。

それでも、三階にあがって、教えられた部屋をノックするまでは、ずっと息をころしていた。


ひょい、と我が婚約者が顔を出した。


「いらっしゃい。ワインはもってないの?」

「ミュラ先輩と一緒にするな。」


隙間から身体をねじ込むように中にはいった。

部屋はほどよく散らかっている。グランダ王都の屋敷にある彼女の部屋に似ていたし、全体の雰囲気はギルド「不死鳥の冠」によく似ていた。

雑然としてはいるが、彼女が必要とするものはすべて、手の届くところにある。

必要なもの、の中にはたぶん、ぼく自身も含まれているはずだった。


「アキルは?」

「わかってて、来たんでしょ? ロウや『紅玉の瞳』の女の子たちと夜のランゴバルド探訪中。たぶん明け方まで帰ってこない。」

吸血鬼と一緒の夜遊びは、不健全なのか、健全なのか。そもそも安全なのかそうでないのか。


「ロウは『紅玉の瞳』の子たちの血を飲んでると思う?」

「さあ?」


フィオリナは、素肌の上にナイトガウン。

すそが少しはだけていて、形のいい足が太ももまで見えていた。


「そんなことより、もっと気になることを確かめようか。夜は長い。けど無限じゃない。」


ぼくは頷いて、奥の寝室を見やった。

部屋に鍵はない。

そのまま、開けた。


作り付けのクローゼットに、ベッド。

洗濯物がかごに乱雑につまれている。


同じようなつくりの部屋のはずだが、ここは雰囲気が違う。


窓からヴァルゴールを呼ぶとたいてい来てくれるんだ。

最近はほぼ100パーかな。


「アキルが邪神と交信してるっていうのは、この部屋だよね?」

「間違いないよ。自分でそう言っていたから。実際に交信してる現場はみていない。」

「神をおろしてるのか? それとも精神だけを神域に招いてるのか?」


ぼくは部屋を見回した。「それ」に必要な儀式をおこなうためのエネルギーはここにはない。

そういった行動による残滓もない。まったくない。なにもない。


「窓から、呼ぶとヴァルゴールが来るんだ、とさ?」

フィオリナはさすがに同居人だけあって、ぼくより、真実に近づいている。


見たくもない真実に。


「で、問題の窓は?」


「ああ、もう気がついてるでしょ。この部屋に窓なんてないよ。」

フィオリナは、くすりと笑った。

「アキルが『窓』って言ってるのは、それ。」


「それ」はたしかに窓と似たような素材だった。

よく磨かれていて、中からは、とんでもない美少女ととぼけた顔の坊やがこっちを見ていた。


鏡、か。


「なあ、ルト。

アキルは結局なんだったんだ? ナツノメアキルなんて人間は最初から存在してなくて、ヴァルゴールがわたしたちに近づくための仮想人格だったのか?」


「神さまが仮想人格なんかに閉じ込められるワケがない。」

ぼくは、遠慮なく、アキルのベッドに腰をおろした。ぼく自身ともフィオリナとも違う匂いがする。

アキルはたしかに存在している。

「ヴァルゴールがぼくたちに接触したかったのは間違いないだろう。

そのために、出来るだけ親和性のいい精神をもつ人間を探した。それこそ異世界までね。そして見つけたのが夏ノ目秋流。

彼女なら、精神を正常に保ったままで自分と意思疎通が可能だ。あとは時間をかけて徐々にひとつになってしまえばいい。

人間にして、神。邪神ヴァルゴールにして勇者アキルの誕生となる。」


「それじゃあ、その時点でアキルは消滅することになるの?」


「ここから先はなんの証明もとれていない。ぼくの妄想だけど。」

「構わないから垂れ流してごらんなさい?」

「邪神と親和性の高い人間なんているわけがない。アキルはもともと平行世界に存在していたヴァルゴールそのものだった、という説だ。」

「いろいろ話はしたけどねえ。彼女は人間よ。ちゃんと両親から産まれてるし、妙な才能をもったためか、特殊な学校に通ってはいたけれど。」


よっこらしょい

と言いながら、フィオリナはぼくの横に座った。

ローブの肩がはだけていた。胸の谷間がのぞける角度でぼくを見上げた。

よっこらしょはないだろ、おしいな残念姫。


「たぶん、もともと彼女がいた世界では、これから彼女が邪神ヴァルゴールとなる。これからどんな人生が待っていて、どんな戦いを経てそうなるのかは、分からないけど。

本人はそう言わないけど、かなり過酷な世界を生きてきたんだと思う。」


「そう言えば、友達のこととか、しゃべるのは全部一年以上前。彼女がジュニアハイスクールに通っていたころのことばかり、ね。

ごくごく最近のことはまったく話そうとしない。話したくないことなのか、話したらわたしたちが首をつっこむとでも思ってるのかな。いくらなんでも異世界まで、ねえ?」


薄気味悪い笑いをフィオリナは浮かべた。


「アキルがほぼ、ヴァルゴールに間違いないとして、わたしたちに近づいた理由は?

たしかにわたしたちは、あいつの手下、使徒クリュークを痛い目にあわせたけど、そんなことで怒るはずもないわね。だって神さまなんだから。」


「そうなんだ。」

ぼくは頷いた。

「こればっかりはヴァルゴールにきくしかない。

いまじゃあ、ぼくがヴァルゴールをよぼうとしても現れるのはアキルだけだ。」


「相手は邪神ヴァルゴールよ。」

冷静にフィオリナが言った。

「わたしたちでなんとかなるかしら?」


「そこはそれ。」

ぼくは笑った。いまのぼくたちは二人きりではない。

「ぼくらは『踊る道化師』だからね。」

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