第197話 おせっかい蜘蛛

ロウ=リンドは若干の手持ち無沙汰である。

彼女がやりたかったのは、今回、ドロシーの新コスの試験だ。それがうまく行ったいま、もっぱらやることは見物しかないし、それで、十分だった。

だが、現実はそう甘くはない。


目の前に霧がわだかまったかと思うと、そこに若い男の上半身が現れた。下半身は霧にまかれたままだ。

レースのついたシャツは、現在の西域、ランゴバルドではあまり男性の間では流行らないが、男にはよく似合っていた。


「ローザン・・・」

ロウは馴染みのある顔にため息をつきかけたが、相手の反応は違っていた。


「リンドを名乗る痴れ者が!」

目はすでに赤光を放っている。

「真祖の名を汚す従属種よ。我が牙にかかって朽ち果てるがいい。いや『果て』させてはやらん。朽ちた身体のまま、永久に我が下僕となって己の愚かさをかみしめるのだ。」


「ローザンってば。わたしは正真正銘のリンドだよ?」


「ふざけるなっ!」

ローザンは、叫んだ。

「我の知るリンドさまがきさまのような卑小な存在であるはずがない。たしかによく化けた。顔立ち、振る舞い、肌の匂いまでリンドさま、そのものだ。

だが、力の大きさまでは真似できなかったようだな。

もとより。」

ローザンの口元に牙が覗く。

「我が祖、真祖クロムウェルさま亡き後、現世に存在する唯一無二の真祖をまねることなど、できようもないがなあ!」


まずい!

ロウ=リンドは思った。

確かに、リウの手によって、不死身性を得たかわりに、リンドはロウとラウルというふたつの命にわけられている。当然、そのひとつとつはかつてのリンドに比べうるはずもない。

そして、彼女の記憶が正しければ、「今の」リンドには、ローザンに抗するすべはない。

霧と化したローザンが、ロウの口から、目から、鼻から、耳から入り込む。

“おまえを一滴残らず、吸い取ってやる。”

声は身体の中から聞こえた。

“それから、干からびたおまえをバラバラにしたあと、ペットの猿に組み立てさせよう。きっとすごしやすい、いい体になるはずだ。”


しかたない。かなり危険な賭けではあったが、ロウは覚悟を決めた。

自らも霧となる。

ふたつの霧は、互いを互いに食い尽くさんと死闘をはじめた。


もちろん、当人たちは必死なのだが、傍から見ていてこんな地味な闘争もなかった。



鉄色の剛腕に、ドロシーは組み付いた。

「無駄だ。電撃耐性は上げてある。さっきの攻撃では・・・」

言いかけた「鉄腕」ウルクハイが、苦悶の声を上げて後退する。


小指が折られていた。

組み付いて電撃を流すと見せかけて本当に関節を取りに行く。

ドロシーっほんとは性格悪くないか、と思わせるほど的確に、相手の予想の逆をいく。


新たらしい端切れを噛んで、何かを合成しようとしていた千毒草のマリアの口の中に、ルトがなにやら、煎じ薬らしきもののはいった紙包を投げ込んだ。

マリアはそれを一緒に噛んでしまった。


ボスン。


鈍い音だが、マリアの口から煙と・・・砕けた、歯がぼろぼろとこぼれ落ちた。

そのまま、どぅっと地に倒れた。


体勢を低くしたドロシーの蹴りが、ムチのしなやかさでウルクハイの太ももを捉えた。彼のその部分は金属の光沢は帯びてはいない。

とはいえ、ドロシーのウエスト並の太さの腿に、彼女の蹴りが何発当たろうがたいした痛手には・・・


ウルクハイが悲鳴をあげて、尻もちをついた。

この蹴りは効かない。

そう思わせておいて、ウルクハイの注意がはずれた瞬間を狙って、自分のスネに氷の刃を纏わせたのだ。

両腿を切り裂かれて闘志をうしなったウルクハイが、貼って逃げようとする。

その上に。


ボソン。

気の抜けるような音をたてて、蜘蛛がふってきた。



「ギムリウス!」

ルトが、さけんだ。

「蜘蛛をひっこめろ!

このままじゃ、みんな食い尽くされるぞっ!」

ルトが、さけんだ通り。

ギムリウスとゴウグレが召喚した蜘蛛にはたいした知能はなかった。

周りにいる手当り次第を(できるだけ同族は避けて)噛みつき、引き裂き、捕食する。

そのためにのみ、量産された鮮血のローラー。


ギムリウスにしてみれば、彼女の仲間は量産タイプの蜘蛛に倒されるような弱者はいるはずもなく、ちょっとばかり敵の数が多いのでバランスをとろうとしただけであった。


どうするか。

真っ先に犠牲になるのは、倒れた使徒たちだろう。

意識のないものも多い。


アキルは!?

ルトの視線の先でアキルは、ゴウグレの赤い蜘蛛に襲われている。

ひゅんと投げた短剣は、正確に蜘蛛の眉間を貫いた。


「ドロシー、アキルをガードしてやって・・・じゃない。まとめてなんとかするから、ぼくの側から離れないで。」


はい。と答えた声の抑揚がちょっと変だったので、ドロシーの顔を見返すと、かすかにあえぐように息をはずませ、頬がほんのり赤くなっていた。

この情況でいまのセリフがツボにはいるのか。

ルトは内心でぼやきながら、蜘蛛の群れに覆われつつあるアキルと使徒たちにむかって走り出した。


こんなときに!


どうする?

見上げた空のうえで、この日1番の激突が始まろうとしていた。



「戦いを見るのはひさしぶりだけど、血が騒ぐよねえ。」


アモンの前に、レクスの首を抱いたアスタロトが浮かんでいた。いやこの場合、レクスが浮かんでいて、アスタロトがそれに必死にしがみついている、というのが正確な表現だった。


「邪神の使徒と行動をともにしていて、戦いが久しぶりなわけはないだろう?」

「やだなあ、リアモンド。」

その名をきいたアスタロトの顔色が、どんな上質な紙よりも白くなった。

「ぼくが一緒にいて『戦い』になるわけがないじゃないか。」


「それもそうだが。」

「で、相談なんだけど、ぼくも少し力を出してみたくなったんだ。」

「やめろ。」

ぴしゃりとアモンは答えた。

「迷宮ランゴバルドを吹き飛ばすつもりか?」


「そこはほら、リアモンドがいてくれるから、うまく相殺してくれればさ?」


アスタロトが声にならない叫びをあげる。

レクスの開いた口の中に途方もないエネルギーが凝縮していく。


「あほうが!」

さすがに悪態のひとつももらしてアモンは塔の先端から身を踊らせた。腰に構えた両手の掌に、エネルギーを凝縮させる。


かくして。

神竜とよばれるものたちの全力のブレスが、お互いをめがけて開放された。


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