第145話 クローディア大公と駆け出し冒険者

夜もだいぶ更けてきた。

看板をしまって、そろそろ寝室に戻ろうか、とミュラは考えた。


ギルド不死鳥の冠ここは、ミュラにとってほぼ自室にいるのとかわらない。

だから、別段、何時まであけていたっていいのであるが、なにしろ、客はひとりだけだ。


いや、客といっては語弊がある。ここのオーナーであらせられるところのクローディア大公陛下、だ。


部屋に戻って、体を洗って愛しい彼女を待つ。その幸せな日々がずっと続いている。

だがさすがに入院中は無理だろう。

フィオリナという泉の水はいくら汲んでも決して枯れることはない。ただし、いくら飲んでももっと飲みたくはなるのだ、が。


そろそろ、店を閉めたいんだけど、親父殿?


そう、呼びかけようとしたときに、するりと店内にはいってきた小柄な影があった。

もう、看板で、と言いかけて、ミュラは息を飲んだ。


ハルト、だ。

いや、駆け出し冒険者のルト、と呼んだほうがよいのか。

最近ではフィオリナまで、「ルト」を多用している。


「親父殿、います?」

「さっきまで、元聖光教会の懐刀、お二人と話しこんでいた。」

ミュラはそう言ってから、にやっと笑った。

ああ、「元」ね。

と、言ってルトも笑った。


「静寂の聖女”ススカゼに“殲滅神父”アムゼリを、ついに大公国に引き抜いたわけか。教会本部も頭が痛いでしょうね。」

「痛くなる頭があれば、いいのだけれど。」

ミュラは笑った。

この頭のいい後輩をミュラは、決して、決して嫌いではない。

フィオリナの許嫁なんかでなければ、だ。

「たぶん、乱暴者を厄介払いができた、くらいに思ってるかもしれない。あるいは在籍がなくなったのをいいことに、聖竜部隊の失敗を押し付けてくるかもしれない。」


「そういえば、ススカゼさんの弟に会いましたよ。」

「“雷弓”のリンクスに! いま、どこでなにを?」

「『神竜の息吹』って居酒屋で支配人をしています。なかなか有能な人材ですよ!」


なにがどうしてそうなった。

ミュラは、頭がくらくらするのを感じた。フィオリナもそう。

こいつらを相手にしてると、目眩がしてくる。


「親父殿、ご無沙汰してます。」

ルトは、酔いつぶれたフリをしていた大公陛下のそばでささやいた。

「連絡くらいはもっと頻繁に願いますぞ、殿下。」

「いまだにぼくを『殿下』呼ばわりするなら、ぼくも『陛下』とお呼びするしかないんですが。」


わかったわかったと、大公陛下は、手をあげてミュラを呼んだ。

「ミュラ、もう一杯だけ頼む。白酒の果汁割りだ。自分の分も容易してこい。」


ミュラは緊張した。親父殿がルトと自分を交えて話をするとなると話は、あのことに違いない。


グラスを載せた盆をテーブルの上に置き、木ノ実とジャーキーを乗せた小皿を差し出す。

「この3人」ではないにしろ、何度も酒を酌み交わしたメンバーたちだ。

「勝手」はよくわかっている。


「苦戦しているようだな、婿殿。」

グラスの縁を合わせて、大公陛下は言った。


「クローディア大公国と不死鳥の冠に榮あらんことを。」

やや、堅苦しく、ルトが礼儀正しく挨拶をすると、クローディアも苦笑するように

「『踊る道化師』の健勝を祈ろう。」

と返した。


「まさか、グランダの冒険者証があんな扱いだとは、思ってもみませんでした。」

と、ルトは木の実を二つ三つ、口に放り込みながらぼやいた。


「先代も先先代もまあ、特に悪政を引いたわけでもない。

だが、実際のところ、なにもしなかった。おかげで、北方諸国は、例の魔道列車の交通網から外れてしまった。

貿易、技術、人の交流に至るまで、だ。」

「だから、好き勝手できた、という側面もあります。」

と、ミュラは言った。

クローディア大公は、口数の多い部下を好む。


「聖光教会や冒険者ギルド連盟からの影響力の軽減か?

怪しいな。ヤツらは手を出す価値すらないと考えたから、手を出さなかった。

ただそれだけのことだぞ。


・・・・しかし、冒険者学校はよい選択でしたな。

『踊る道化師』に人間社会に慣れてもらうにはちょうどよかったかもしれません。」


「彼らの正体を知るものが、少数ですが出てしまいました。

これが、こののち、どう影響するか。」


「それについては、大体、想像がつく。」

大公はルトの不安を鎮めるように、軽い口調で言った。

「彼らの正体が『二つ名』として、記されるだけです。

『魔王』リウ、『神獣』ギムリウス、『神竜公妃』アモン。ロウに至っては真祖の吸血鬼であることを最初から公言しているわけですから。」



まだ、浮かない顔をしているので、ミュラは肩を叩いた。


「・・・・学校は楽しいかい?」

「そりゃあ、まあ。」

「だったら、あんまり先のことを考えてくよくよしないことだね。

楽しく騒いで笑っていれば、明日はくるし、その明日の延長上に未来はあるんだからね!」


ルトは、驚いたように、ミュラを正面から見つめた。


あら、意外に可愛い。

ミュラは、あんまり男くさいのはタイプではないのだ。例えばその典型が上司であるクローディア大公である。

なんだ、感動して泣くのか?


「・・・・フィオリナの浮気相手から真っ当なことを言われた。」


そうだった。


「明日の最終戦が終われば、婿殿たちはランゴバルドへ帰還する。」

親父殿は、ミュラとルトを当分に見ながら言った。

「フィオリナも、ともにランゴバルドに行かせる。まあ、待て。」


ミュラは止めてもらってよかった、と後で思った。

自分は何を言うつもりだったのだろう。

わたしも一緒にランゴバルドへ行きますっ!か。

バカバカしい。


「まだ、グランダの冒険者ギルドの『グランドマスター』の件が、定まってはいない。

そう言いたいのだろう?

ミュラの親御殿、エノーラ伯爵からはぜひ、ミュラをグランドマスターに推挙してくれと矢の催促だ。

もともとこの話を振ってきた財務卿からは、ならば替わりにグランドマスターの任に耐えうる人材を推薦してくれと。

これもまた、毎日のように使者が訪れる状態だ。

つまり、わたしが思うに、状況は過熱しすぎておる。

いったん全てを休止して、頭を冷やす時間が必要だ。」


「それで、姫をランゴバルドへ?」

「そうだ。傷の療養も兼ねての交換留学ということになる。

期間は三ヶ月ほどを予定しているが、熱の冷めないものがいると、もう少し長くなるかもしれん。」


そこまで言われて、ミュラは、真っ赤になった。自分もその熱でのぼせあがった者の一人に含まれていることに気がついたのだ。


「交換留学だから、こちらはドロシーを置いていくよ。

ボルテック卿に預けるつもりだ。」

すでにこの話を聞いていたのだろう、驚いたふうもなく、ルトは言った。


「い、いや、ま、まって!

ボルテックはドロシーちゃんにほの字だよ!

何度も病院に見舞いに行ってる。ドロシーの方だって絶対好意を持ってる!」


「ミュラ先輩の情報網、相変わらずですね。」

ルトはため息をついた。

「どこからの情報です?」


「病院の治癒術士助手からよ。言葉の終わりにぜんぶ、ハートマークがついてたって!」


それはすごい能力だ。とルトはすなおに褒めた。


「ルトはドロシーといい感じだったんでしょ?

三ヶ月もあったら、とられるよ!」


「フィオリナを寝とったひとがなんか正論を」


そ、そうでした!


「ボルテック卿がドロシーとそういう行為をしたいなら、すればいい。」

ルトは平然とそう言った。

「よくある俗な若い女と年上の男の関係がひとつ、増えるだけです。

ボルテック卿は、いまは独り身でしょうが、ドロシーは、ランゴバルドに待っている男がいる。彼女の主筋の子爵家の坊っちゃまで、正式ではないけれど婚約を交わしている。

そんなものに、巻き込まれるのは、まっぴらです。」


「いや、でもその」

おまえもいい雰囲気だったらしいじゃないか。」


「人材としてのドロシーは素晴らしいですよ。

例えば、ミュラ先輩くらいには。」

ルトは、恐ろしく怖い顔で言った。いや表情が怒ってる、とかではない。

こんな話をなんで、笑みを浮かべてしゃべれるんだよ!


「だから、もし適当にイチャイチャすることが、ドロシーを繋ぎ止めるのに必要なら、ぼくはそうしますけど、ボルテック卿が体をはってドロシーのそう言った欲求を満足させてくれるなら、それはそれで、ぼくは構いません。」


理解するのに、数秒、かかった。


「じ、じゃあ、なに!!」


ミュラは叫んでいた!


「わたしという人材を繋ぎ止めるために、わたしと、その」

口の中がカラカラだった。グラスのお酒はまったく味がしなかった。

「そういう行為をしたって! そういうことなの!?」


「必要だからしたんですって。

まあ、いやいやでそんなことをするヤツではないので、嬉々としてしたんだとは思いますけど。」


ミュラは、半ば腰を浮かせていたが、ドスンとまた椅子に腰を腰を下ろした。


両手で顔を覆った。


「ミュラ」

親父殿が言った。

「我が娘と娘婿は、まったくのところ普通ではないのだよ。

お互いが出会わなければ、おそらくフィオリナは、女王の座にあって残虐の限りを尽くしたと思う。

婿殿は婿殿で、あの裏庭の小屋でひとり孤独に育ち、世に仇をなす存在になっていただろう。


お互いがお互いを必要としているのだ。

ルトの首に付けられた首輪の名前が「フィオリナ」という魔道具だったとしても、フィオリナの体を締め付ける拘束衣の名称が「ルト」の銘が入っていても驚かん。

彼らはともに存在することで、周りに害をなす祟り神となることを回避しているのだ。

二人ともに、あまりにも異質で強大すぎる。

存在するだけで、周りの者の運命を狂わせてしまう。

アウデリアが長い期間、ひとつところに留まらないのはなぜか、わかるか?

留まらない、のではない。

留まれないのだ。」

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