第75話 その日に起きたこと その4

エミリアは、足音を忍ばせる。

博物館の床は、固く、ふつうに歩けば、かかとと床がコツコツと音を立てる。


だが、エミリアの足音は全く聞こえない。

そういう訓練を受けてきたし、実際、その分野では彼女を凌ぐものはいなかった。


まるで一陣の風がふき抜けるように、エミリアは、7階フロアを走り抜け、ちょうど、北階段から降りようとしている冒険学校制服のルトの後ろ姿を認めた。


さて、どう動くか。


エミリアは自問自答した。

最後の瞬間に、神竜の鱗が、彼女の手の中にあればいい。

それまでは、ルトに持っていてもらって構わないのだ。


ルトは。


その実力が、エミリアにもわからない。

彼女が主人と仰ぐリウと対等に話している。それは、単に昔からの馴染みだから、とか、同じパーティにいるから、というものではなく。


例えが、悪いのだが、歳を経た魔獣が互いの実力を認め合って、変に争いを起こさない。

そういう仲に見えるのだ。


そうすると、ルトは何かで、それは魔道かもしれないし、武術かもしれない。何がしかの分野で、主人が認める力を持っていることになる。


果たして、エミリアの力で、ルトを圧倒して、神竜の鱗を奪うことはできるのだろうか。

殺してしまったり、大怪我を負わせることはできない。

リウの仲間なのだから。


ルトが他の人間と合流する前にまで後をつけながら、チャンスを待つ。


というのが、エミリアの下した結論だった。

ルトは、ゆっくりと階段を降りていく。


巡回の警備員の気配が、感じられぬことにエミリアは、気づいた。


館内は広いとはいえ。巡回の警備員も数を倍に増やしている・・・はず。そう聞いている。

5階・・・4階・・・・


やはり誰とも会わない。

3階の階段に差し掛かる。


エミリアは覚悟を決めた。


「今」仕掛ける。ルトがどんな実力を秘めていようが、「不意打ち」というアドバンテージに勝るものはない。

どんな人間でも急所を打たれれば、昏倒する。

それこそ。


エミリアは薄く笑った。


竜鱗ででも守られていない限り。






ニフフ。

あるいはニフフであったもの。


は、人間のふりをするのを止めた。


ドロシーの体を寒気が襲う。

あまりにも強大なものを目の前にすると、ふつう人間は動けなくなる。

存在としてのランクが異なると、もはや抵抗するための行動すら叶わなくなるのだ。


例えば、神とか。

例えば、竜とか。

例えば、真祖吸血鬼とか。


そのようなものたちを前にしても、動けるよう。

恐れが体を縛らぬよう。

畏敬が心をおさえぬよう。

ドロシーは、そのような鍛錬を行ってきた。


そんな鍛錬してきたかって?

彼女に無茶を言い続けてきたのは真祖ロウ=リンド、ときどき、神竜公姫リアモンド。衣装は神獣ギムリウスの糸。

もちろん、ドロシーはロウ以外の二人の出自は知らない。

だが、彼らと共に鍛錬をしていた以上。


黙っていてもそういう訓練をしてきたのと一緒である。


冒険者学校へ入学する前なら、意識すら手放していた威圧にドロシーは耐える。


体を低くして、足元にタックルを仕掛ける。

何がなんでも接近して、できればテイクダウンを狙い、そこから


リンド式サンダーアンクルホールド


とか


リンド式サンダー腕拉ぎ


とか、とにかく名前はダサいが、電撃系の魔法を叩き込むのが、ロウの教えた必殺パターンである。

密着した状態から、電撃魔法など、自爆もいいところだが、そこはギムリウスのスーツが役に立っていた。


だが。

ドロシーのタックルは空を切った。

ニフフのトーガに隠れた足元にタックルしたつもりであったが。


ニフフは最初から浮いていたのだ。


「氷の礫!」

床を転がりながら、放った魔法は高度なものではない。

だが、牽制くらいにはなる。

ニフフは滑るように後退して、礫をかわした。


「最初から足で立っていなければ、投げ技、関節技はダメ・・・か。」


立ち上がってドロシーはうめく。

拳に炎を宿す。


「・・・リンド式ファイヤーパンチ・・・」


細かなステップと拳を中心とした打撃の拳法は、西域で流行しているものだ。賭け試合もあって、それを生業とする者もいる。

かなりメジャーな格闘技だった。


特に半身に構えてからの手首のスナップを効かせて打つ、細かいパンチは一撃必殺の威力はないが、無類の速度を誇る。

ドロシー自身、パンチ力などはとてもないが、そこは拳に宿した炎が手助けしてくれるだろう。


「なぜ、こんなことをしたのです?」


細かいステップで、ニフフの周りを移動しながら、ドロシーは尋ねた。


「こんなこと、とは?」


「『神竜の鱗』を奪ったことです。」


「ふむ?」


ニフフは顎髭をなぜた。


「あなたは、ここの管理人です。『神竜の鱗』が盗まれれば、第一に責任を問われます。

妙な形で消失したら、最初に疑いもかかるでしょう・・・・」


「そうだな。

こういう理屈はないか?


『神竜の鱗』を守るためには、こんなところに置いておいては危ない。

わしが、持っていた方が安全だろう・・・・と。」


「そんな」


馬鹿げた理屈が通るかっ!

ドロシーは心の中で叫んだが、同じことは実はルトもちょっとは考えていた。


炎を纏った拳を、ゆらり、とニフフの目の前突き出す。その動作をフェイントに、体を沈めながら蹴りを放った。

足首から先を氷でコーティング。

足裏は、氷の刃が形成されている。


ニフフもこの動きには意表を突かれたのだろう。棒立ちのまま、蹴りを喉元に食らった。

パキッ


氷が砕ける・・・いや氷でコーティングしていなかったら、おそらく蹴ったドロシーの足もまた。



バランスを崩したドロシーの肩を、ニフフが掴んだ。いや。


わざと掴ませた。


ニフフの顔が歪む。

ニフフの手は、ドロシーの肩に氷で張り付いていた。そのまま、体を回転させる。

関節を取られないよう、ニフフが踏ん張った。


そこに


雷撃!!


ドロシーの顔も苦痛に歪んだ。


い、痛いっ。

痛い痛い!


ギムリウスのスーツがあってもやはり、密着しての雷撃は諸刃の刃だった。

それなのに。


「っ!?」


必殺の雷撃が、通じない。

少なくともニフフは平然としている。


電撃が。

その体の表面を滑り落ちて入った。

ニフフにまったくダメージを与えることなく。


こんなことは。

そう、アモンと組手をしてもらってるときに、あった。

炎も雷も。まるで本体に届かず。


自ら避けるように滑り落ちて消えてしまう。


それが竜鱗の防御力。


ニフフの腕がドロシーの細い首を掴んだ。

頸動脈を塞がれ、意識を失う寸前に、彼女はニフフの体に煌めくものを発見していた。



こ、これは


竜鱗!!


まさか、ニフフ副館長は竜人なの!?











もちろん、ニフフは竜人ではなかった。


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