第6話 吸血鬼の取り扱いについて

それは言わないほうがよかったのに。

なんていうか、ぼくの人生は後悔の連続だ。


うそでしょう?

と言ったルールス先生の顔は、無理やり笑おうとしていたのだと思うが、かんぜんに引きつっていた。


「そういうたぐいの嘘を吸血鬼がつけると思うか?」


というロウの答えに、パニックを起こしかけながらも、ヒステリックに喚き散らすこともなく、デスクの装置に手をかざしながら

「ネイア? 大至急わたしの執務室まできてちょうだい。」


その言葉が終わった瞬間、部屋のドアがノックされた。


「入って、ネイア。」


ルールス先生の言葉が終わらぬうちに部屋の中を、一陣の霧が流れて、それはぐるぐると渦をまいて、女性の姿となった。


「お呼びですか? ルールス先生。」


「急な呼び出しご苦労様。ネイア、その子を見てくれるか?」


現れた女性は、褐色の肌に、猫の目。瞳の色は濃いグリーン。ぼろ切れを全身にまきつけるようにして、素足だった。

口元から白い犬歯がのぞいた。


「子爵級の吸血鬼じゃ。冒険者としては銀級。ここの出身者でな。いまは講師と護衛をかねて勤務しておる。」


ネイアは、ロウを一瞥しただけで、そのまま足元に跪いた。

ルールス先生の頬を汗がつうっとすべりおちる。


「下賎なるわたくしが話しかけることをお許しください。失礼ながらどちらの真祖さまでしょう。」


ルールス先生がよろけたのを、アウラさんが抱きとめた。


「わたしが、西域に居たのは魔族の侵攻前。千と三百年は昔になる。

わたしのいた街も滅び、記録は消滅している。」

「わたくしはネイア。主をもたぬ吸血鬼です。」

ネイアは、床に額をすり付けるほどに#頭__こうべ__#を垂れた。

「恐れながら千年に1度のこの機会に至高なるお方のお傍に侍らしていただくことをお許しください。」


「どうなのだ、ネイア。このものの力は。伯爵級か?」

「王侯級です。されどその力は分割され故意に弱めておいでです。」


ルールス先生は、デスクチェアに腰を落とした。

ひどく疲れたようだったが、まあ、よかったんじゃ、ないだろうか。

#それ以上気が付かなくて__・__#。


「ネイアよ。わたしがおまえの主になってしまえば、ランゴバルトの冒険者資格を失うことにはならないのか。」

「は、それは」

「わたしは冒険者になるためにランゴバルトに来たのだ。従属を引き連れていては、活動の妨げになる。

これからの、学校生活にもな。」


「し、しかし」

翠の瞳は血の色にかわり、体にからんだボロをなかば引き裂いて、無意識に喉から胸元をさらけだす。

吸われたいのだろう、ネイアは。


そして、この状況で血を吸って相手を隷属化におくのは、吸血鬼にとっては半ば本能的なもの、のはず。


そして、その本能に逆らえるのは真祖だけ。


ロウはネイアの胸元にそっと手を伸ばし、乱れた衣服を整えてやった。


わたしよりも、ある、な。


というつぶやきは、ぼくが唇の動きを読んだだけで声にはなっていない。


「真祖さま…わたしは」


「おまえに魅力がないわけじゃあない。


これからよろしく頼む。」


「は、はあ」

ネイアはわけがわからないと言った顔でロウを見上げていた。吸血すら拒否される、のはそれに値しないから。以外には考えられないのだろうと思う。


でもロウは特別だ。

人間の女の子とデートの約束をして、一緒にパイを食べるのを楽しみにしているようなところもある。

まあ、吸血鬼の真祖とデートを約束するような女の子のほうが普通でないのだが。


「わたしはここの生徒になるのだし、おまえは教官なのだろう?

よろしく頼むでおかしいところはなにもない。」



「浄化は必要ない。ということでよいか?」

ルールス先生は、デスクから書類を取り出し、ぼくらの前にならべた。


「明日、ほかの志願者とともに入学テストを行う。


学食は使えるようにしてやるから食事をすませたら、今晩は寮で安め。まだおまえらは正式なここの生徒ではないのだから、あまりうろちょろせんように、な。


これは入学願書だ。内容を読んだらサインをしろ。

西方域の共通文字が読めないものはおるか?」


サインをする段になって、もうひともめあった。


ギムリウスは、ペンというものを使ったことがなかったらしい。

先からインクがでて、それが紙に流れて文字が書ける、というのは、理解してくれたようなのだが、いきなりペンを口に加えると、流れるように書類にサインした。


筆跡は美しい。濃淡のある文字はトメ、ハネふくめ、そのまま額装したいような出来栄えだ。

だが。


「こ、これは、上古に中原で使われたキリル文字、か。」

ルールス先生は学がある。さすが。

「西域共通文字が読めるのなら、西域共通文字で書いてくれないか?」


「この文字以外では、わたしの名前ではなくなるのです。」


ギムリウスは言った。


ギムリウスのイイたいことはわかる。


書かれる言語、その字体も含めてギムリウスはギムリウスとして、識別されるのだ。

現代の字体で記されたならそれはもう彼女の名前ではない。


「いかがでしょう、先生。」

ぼくがしゃしゃり出るしかあるまい。


「サインはもともと、偽造をさけるため字体を崩したり、わざわざ意匠化するものもおります。」

「わざわざ古代文字を取り入れた、ということか。」

「いままで他の文明との接触の薄かったと思われる亜人です。

細かいところは、なにとぞ御寛容いただけましたら。

それから、ギムリウス。」

「はい、ルト。」

「ペンは手でもつんだ。普通は、こう。」


「おや」

キムリウスは、真似てペンを指にはさんだ。

「手は便利なものだと、思ってはいましたが、武器以外のものも持っていいのですね。」

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