第46話 脱出
ミカナたちが廊下に現れた。簡単な身支度をしている。
「何なの、この騒ぎ?」
「叛乱らしい。邸の警護の騎士がいってた」
俺はポリメシアにこたえた。息をのみ、ポリメシアたちが顔色を変える。
「叛乱って……本当なの?」
信じられないといった顔つきでポリメシアがいった。
疑問に思うのも当然だ。結婚式騒ぎに巻き込まれたと思ったら、今度はよりにもよって叛乱騒ぎである。あまりにも劇的にすぎる。
その時だ。慌てた様子でマンヘマー子爵が三階からがおりてきた。隣にはミーラの姿も見える。
いや、彼らだけではない。バレートも現れた。
「ハルト殿か。すぐに地下室から逃げるぞ」
マンヘマー子爵がいった。その手にはカンテラがある。
「地下室?」
「ああ。こんな場合に備えて地下室から逃走用の通路がのびている。ともかくそこから逃げるんだ」
「そんなまずい状況なんですか?」
バレートが訊くと、マンヘマー子爵は苦い顔でうなずいた。
「ああ。腹立たしいが、叛乱分子の数が多い。ここはもうもたんようだ」
いいながらマンヘマー子爵は階段を駆け下りていく。俺たちは続いた。すぐに一階へ。
地下室への階段は一階の奥にあった。階段に足をかけると、ドアを叩く音が響いてきた。叛乱騎士たちが蹴破ろうとしているのだ。
俺たちは急いだ。ドアが蹴破られるのも時間の問題だろう。
地下室は意外に広い空間だった。物置として使われているようだ。たくさんの箱がおかれていた。
マンヘマー子爵が顎をしゃくると、騎士が地下室の隅の箱をどかせた。床は板敷きでなにもない。
騎士がかがみこんだ。すると、ぽっかりと床に穴が開いた。
階段が下に続いている。見た目にはわかりにくいが、隠し扉が設えてあったのだろう。
マンヘマー子爵が先に階段をおりた。後にミーラが続く。俺たちもまた。
全員地下におりると、マンヘマー子爵がうなずいた。すると騎士が上から隠し扉を閉めた。
ごとごとと音がする。きっと荷物で隠し扉を隠しているのだろう。
「ここは安全だ。地下通路のことを知っている者はほとんどいないからな」
カンテラを手にマンヘマー子爵は歩き出した。
地下通路はしんと静まっており、地上で起こっていらはずの騒動の喧騒はつたわってこない。別世界の出来事のようだった。
「マンヘマー子爵。叛乱を首謀者に心当たりはあるんですか?」
重い沈黙を破って俺は訊いた。
「ある」
マンヘマー子爵はうなずいた。
「公王様のやり方に不満をもっている者がいる。叛乱を起こすとするなら、おそらくはそやつらだろう。が、おかしなこともある」
マンヘマー子爵は不審そうに眉をひそめた。
「おかしなこと?」
「ああ。そやつらの兵力では叛乱など不可能だということだ。それゆえに、このようなことは起こるまいと油断していたのだが……」
「……ピリキカ」
俺は地図のことを思い出した。そうだ、とバレートもうなずく。
「ピリキカ? ピリキカがどうかしたのか?」
マンヘマー子爵が興味をひかれたのか、目の光を強めた。
「はい」
うなずくと、俺は先日の地図のことを語った。
「なるほど。そういうことがあったのか」
マンヘマー子爵はうなった。
「はい。もしかすると、この謀叛の裏でピリキカが動いているということはないでしょうか?」
「考えられることだ。叛乱を企んだ者どもはピリキカの口車にのせられたのかもしれん。愚かな連中だからな」
怒りの滲む声でいうと、マンヘマー子爵はそれきり黙り込んだ。
ひたひたと足音をならし、俺たちはひたすら地下通路を進んだ。
やがて通路は終わった。階段が現れたのだ。
「バンサーの君、隠し扉を開けてくれたまえ」
マンヘマー子爵がバレートに命じた。一瞬不服そうに顔をしかめたが、すぐにバレートは従った。階段を上がり、天板を押し上げる。
するとマンヘマー子爵がカンテラを差し出した。受け取ったバレートがカンテラをかざす。
そこもまた地下室のようだった。が、マンヘマー邸と違って物はおかれていない。隠し扉が塞がれないようにとの用心だろう。
「ここは邸からやや離れた一軒家だ。もしものために用意してあったものなのだが」
「こんなものがあったなんて」
ミーラが息をひいた。彼女も脱出用に用意された家屋の存在は知らなかったのだろう。
「叛乱を起こした者たちの規模はわからん。が、軍のほとんどを掌握しているとも思えん。私は宮殿にむかう」
「大丈夫でしょうか。マンヘマー子爵を襲ってきたということは、叛乱者たちは有力な貴族を抑えようとしているんだと思います。最も彼らが抑えたいのは公王様でしょう。宮殿がただですむとは思えないのですが」
俺は指摘した。
最も多くの兵力を宮殿をおさえるために使うのは当然だと思ったからだ。宮殿にむかうと、群がる叛乱者たちと遭遇する可能性があった。
「なかなかに鋭いな、ハルト殿は。が、叛乱者どもが多くの兵力を割くのと同じように、宮殿にも多くの兵力がある。その兵が宮殿周辺を制圧している可能性が高いと私は思っている」
「それではミーラも一緒に」
「いや」
マンヘマー子爵はかぶりをふった。
「もしもということがある。宮殿が戦禍にさらされた時、ミーラに危害が及ぶかもしれん。そのようなところにミーラを連れていくわけにはいかんのだ。だから、ハルト殿、ミーラを連れて逃げてくれ」
マンヘマー子爵が俺を目をじっとみつめてきた。その目に哀願の色をみとめて、俺はなにもいえなくなった。
が、ミーラは違う。必死の顔で叫んだ。
「嫌です。お父様をおいて、わたしだけ逃げるだなんて。わたしもお父様と一緒に宮殿にむかいます」
「だめだ」
マンヘマー子爵が怒鳴った。それから慌てて声を低めると、
「おまえが宮殿に来てもどうにもならん。公王様にも迷惑にならだけだ。この私にとってもな。おまえが安全であることが私にとって何よりなのだ。わかってくれるな」
言い聞かせるようにマンヘマー子爵が告げた。間違いなく父親の声で。
「……わ、わかりました。お父様の言いつけ通りにいたします」
涙声でミーラがこたえた。うなずくと、マンヘマー子爵は俺に目を転じた。
「聞いたとおりだ。ミーラのこと、頼めるな、ハルト殿」
「わかりました」
俺は肯首した。うなずかざるを得ない。
「すまぬな。このようなことになって。では、私は宮殿にいく」
「ちょっと待ってください」
俺は階段をあがっていった。一階の廊下に出る。
小さな家屋らしく、二階はなかった。廊下が玄関と裏口に続いている。
俺は裏口にむかった。閂をはずし、ドアを薄く開ける。
暗い路地裏に人の姿はなかった。けれど物々しい雰囲気は伝わってきた。
「誰もいないようです」
マンヘマー子爵にむかって俺は告げた。
するとマンヘマー子爵がドアを開けた。出て行こうとし、しかしマンヘマー子爵は足をとめた。ふりかえり、ミーラに微笑みかける。
「それではな、ミーラ。騒ぎおさまったら迎えにいく」
「お父──」
ミーラの返事も待たず、マンヘマー子爵は裏路地に飛び出していった。
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