第39話 路地裏大戦

酒場の中を通り過ぎると、俺は闇のおちた街路に出た。


東京と比べ、ムヴァモートの夜は暗い。が、帝都だけあって、酒場や店からもれる明かりで真っ暗闇であるということはなかった。


夜風がそよと吹いてくる。少し冷たいが、火照った肌には気持ちよかった。


その帝都であるが、いくら都とはいえ、夜の町の一人歩きは危険である。ムヴァモートの文明度は低いからだ。


 けれど俺にさしたる警戒心はなかった。フォシアとキスした後である。ごろつきどもにからまれたとしてに負ける気はしなかった。


 俺は夜の街路をそぞろ歩いた。ふと目をむけると、路地に佇む少女の姿があった。


 夜目にも綺麗な輝く金髪。年齢は十四、五歳といったところか。


 俺がみてもわかるほど高価そうな衣服をまとっていた。それが気の強そうな整った顔立ちに良く似合っている。


 その少女を取り囲むように数人の男たちが立っていた。見るからに人相のわるい男たちだ。


 嫌な予感がした。路地に良い思い出はない。


 これ以上もめ事に巻き込まれたくはなかった。ソイアの件でこりている。


 けれど少女を放っておくこともできなかった。あの俺たちに連れ去られでもしようものなら、どうなってしまうかわからない。


「あ、あの……」


 思い切って俺は声をかけた。すると男たちが俺に目をむけた。凶意のこもった視線が俺に突き刺さってくる。


「うん? なんだ、おまえ?」


 男の一人が凄んだ。


「いや、あの……その娘に用があって」


 つっかえながら俺はいった。すると俺ちたが苛立たしげに俺を睨めつけた。


「うるせえ。おまえには用はねえんだ。怪我したくなかったら失せな」


 男の一人がどすのきいた声で命じた。


 さすがに俺はびびった。


 東京でも、こんな連中にかかわるとろくでもないことになる。怪我くらいは覚悟しなければならないだろう。


 ましてやここはムヴァモートだ。殺されてしまう可能性があった。


 その時だ。俺は少女の表情に気づいた。


 気の強そうな顔をゆがめ、泣き出したそうになってある。怖くてしようがないのだ。


 その少女の顔立ちが、俺のなけなしの勇気に火をつけた。ふるえる足を踏みしめ、いう。


「あんたらこそ、失せろ。その娘をおいて」


「なんだとぉ」


 男たちが目を見交わした。どうやらやるつもりらしい。もう逃げることはできなかった。


 ニヤニヤしながら男たちが歩み寄ってきた。余裕のある態度だ。簡単に叩きのめせるとふんでいるのだろう。


 すぐに間合いはつまった。男の一人がいう。


「地面に額をすりつけて謝るんなら、ゆるしてやってもいいぜ。じゃねえと半殺しにする」


「あの娘を放してくれるんなら謝ってもいい」


 俺はいった。すると男たちが派手に笑った。


「馬鹿か、こいつ。あの女をあきらめるはずねえだろ。十分楽しんでから、娼舘に売るんだからよ」


 男の一人が下卑た笑いに顔をゆがめた。俺は唇を噛んだ。


「だったら謝らない」


「なら半殺し決定だな」


 ニヤリとすると、男が殴りかかってきた。喧嘩なれした身のこなしだ。


 そこそこ良いパンチなのだろう。今の俺には通用しないが。


 今夜の俺は、少し残忍になっていたらしい。ゆるい男のパンチを躱すと、俺は男の股間を蹴り上げた。


 男が目をむいた。声たもあげえず倒れると、股間をおさえて苦悶する。


 他の男たちの顔つきが変わった。反撃されるとは思ってもいなかったのだろう。


「野郎。やっちまえ!」


 怒声とともに男たちが殺到してきた。


俺はするすると彼らを躱した。襲撃者の手練から比べるとたいしたことのない連中だ。案山子を相手にしているようなものだった。


 すれ違いざま、俺は拳を男に打ち込んだ。急所など知らないから、だいたい身体の中心部めがけて。


 それで十分だった。威力のある俺のパンチは殴るだけで男たちの肉体を損傷していたからだ。


 男たち全員が地に這うまで、さしたる時間はかからなかった。やはりフォシアのキスの力はすごい。


「あの……」


 少女の声に、俺は我に返った。


目をやると、涙を目に浮かべた少女の姿が視界に飛び込んできた。気の強そうな美貌が、この時ばかりはひどく頼りなさそうに見える。


「助けていただいて……ありがとうございます」


 少女がぺこりと頭をさげた。外見に似合わない素直な少女のようだ。


「いえいえ」


 俺は手をひらひらと振った。勝手にしたことなので、丁寧に礼をいわれるとくすぐったくなってくる。


「あの……余計なことかもしれないれど、夜遅くにこんなとこをうろついていたら危ないですよ。早く自宅に帰った方がいい」


 俺は忠告した。すると困ったように少女は目を伏せた。


「それが……この街に自宅はないのです」


「自宅がないって……旅行者なの?」


「は、はい」


 一瞬だが間をおいて少女はうなずいた。


「モスナ公国からやってきました」


「モスナ公国?」


 知らない国名だ。まあ、ムヴァモートの国なんかほとんど知らないのだが。


 少女は訝しげに眉をひそめた。


「ご存知ありませんか?」


「いや、そんなことは……」


 俺は笑いでごまかした。そして急いで言葉を継いだ。


「じゃあ、宿屋に早くもどった方がいいよ。なんなら送っていってあげるけど」


「それが……」


 困ったように少女が声を途切れさせた。何か事情がありそうだ。


 ややあった少女は思い切ったように目を見開き、いった。


「宿屋はとっていません」


「宿屋をとっていない?」


 俺は得心した。泊まるところを探して彼女はこんなところをうろついていたのだ。


 俺は辺りを見回した。


まだ開いている酒場がある。たいてい上階が宿屋になっているので、今からでも泊まるところを捜すことも可能だろう。


 そのことを告げると、少女は唇を噛んでうつむいた。まったく動こうとしない。


 その様子に、まさか、と俺は思った。少女が金をもっていないのではと思い至ったのである。


 俺は少女の衣服を改めて見直した。衣服のことなどろくにしらない俺はでもわかる。少女のまとっている衣服が高価なものであることが。


 数日ムヴァモートで暮らして、俺にも少しだがわかったことがある。庶民の生活だ。


 現代の日本と違い、中世程度の文明であるムヴァモートの清潔感覚は低い。一般人の衣服は、よほど裕福でもないかぎり、汚れて埃っぽかった。


 けれど眼前の少女のまとう衣服はどうだ。ほとんど汚れなどなかった。


 それならば、どうして金がないのれだろう。考えられるのは、少女が所持金を失ってはしまったということだ。


「もしかして……お金がないの?」


「は、はい」


 恥ずかしそうに少女はうなずいた。


「気がついたらなくなっていて。どこかにいってしまったようなんです」


「どこかにいったんじゃなくて落としたんだと思うよ」


 もしくはすられたか。ともかく無一文なのは確かだ。


「それは困ったね」


 ため息を零してから俺は窺うように少女を見た。それから提案してみた。


「じゃあ、俺の宿屋にきてみる?」


「えっ」


 驚いたよう身をひき、少女は顔を真っ赤に染めた。


「あ、あの、お、お申し出はありがたいのですが、そ、その初めてあった男性とベッドをともにするというのは、その……」


「違う、違う!」


 あわてて俺は否定した。


「同じ部屋に泊まれっていうんじゃないよ。違う部屋をとるんだ。宿代はたてかえてあげるから」


「でも……助けていただいたうえに、宿代までたてかえていただくというのは」


「遠慮しなくていいや。あげるんじゃなくて、たてかえるだけだから。それに君を放ってはおけない。君の宿を決めないと、俺も宿には帰れないからさ。俺を助けると思ってついてきて」


 少女を安心させるため、俺は精一杯の笑みを顔にうかべた。

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