泥に塗れて溺れたい
緒出塚きえか
第1話 偏った二人
「エプロン着けないの?」
電動轆轤に一心不乱に向かう背中に声をかける。振り返るどころか返事すらない。
「塚本さん、制服が汚れちゃうよ」
名前に反応したのか、少しだけ肩が揺れた。
「服なんていいよ、別に」
女子に限らず男子でさえもエプロン、もしくは作業着を着ている。授業始めに芸術担当の矢作先生も着るように言っていたはずだ。
「先生も着ろって言ってなかった?」
「汚れるのが嫌な人は着ろって言ってた。私は汚れても構わないから着なくていい」
華の女子高生が? 化粧や髪型を逐一気にしたり、周りからの目に敏感すぎる年齢の女の子から、まさかそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
「陶芸なんだから粘土を使うのは当然だし、粘土扱ってて汚れない方が不自然。授業でついた汚れを咎めるような人間はどうかしてるでしょ」
それはどうだろう。僕は小さい頃、砂場で泥遊びをして「あーもう、こんなに汚して」とよく親に怒られていた。
彼女の主張は、抑揚のない落ち着いた口調もあいまっって、妙に説得力があるのが悔しい。
「力士に太るな、子供に走るな、カップルに手を繋ぐな、っていうのと同じくらい、陶芸で汚れるなってのは無理な話だと思う。それに折角電動轆轤を使えるんだから、泥だらけになるのが醍醐味じゃない?」
それとこれとは別だろう。喉元まで出かかった言葉は音にならず、ゆっくりと飲み込まれていった。
彼女の偏りを感じる感性に怯みつつ、眩しくもあった。
「ちなみになにを作ってるの?」
陶芸をすることは決定事項であっても、どんな作品を作るのかは各々自由になっている。
……緩い授業でもある。
「皿。ケーキ食べるやつ」
急に女子っぽい言葉が出てきた。彼女の愛らしい一面に思わず顔が綻ぶ。
「ははっ、いいね。頑張ってね」
笑い声が溢れ、失礼だったかな? とも思ったけれど特に返事はなさそうだった。
彼女の後ろ姿は、黒々とした髪の毛が背中に流れていて、その弛みが美しかった。
会話の終わりを惜しんで身を翻す瞬間、彼女は粘土に塗れた右手で無遠慮に、髪を耳にかけた。
不健康なほどに透き通った肌、ペンキを被ったかのような艶のある髪に、濃い灰色の粘土が一筋の模様を描いた。
きっと右頬には同じ灰色の横一文字が入ったことだろう。
灰色の粘土が轆轤の上で細い指にこねくり回され、彼女の思う形になる。融合とまではいかないまでも彼女と一体化し、あまつさえ具現化される泥のような粘土が羨ましかった。
彼女の肌に、髪に、記憶に、僕を刻みつけられたらどんなに仕合わせかと無性に思ってしまった。
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