ちょっと拝借、文豪様

@r_417

ちょっと拝借、文豪様

***


 本は良い。

 俺の世界が広がっていくから。


 本は良い。

 俺の好奇心が満たされるから。


 本は良い。

 図書室はまさにオアシスだ。


***


 そんなわけで、放課後。

 俺は下校時刻ギリギリまで図書室で粘る。

 アガサ・クリスティ、江戸川乱歩、コナン・ドイル……。

 文豪たちの本を開いた瞬間、心の中は名探偵。


 日常の中で味わう非日常。

 家と学校を往復する刺激のない毎日で、いつしか俺は名探偵に憧れていた。


 けれど……。


「ねぇねぇ」

「なんだ?」


 すっかり辺りが暗くなり、満月が浮かぶ帰り道。

 隣で歩いていた幼馴染が、急に真面目なトーンで尋ねてくる。


「『月が綺麗ですね』に、どんな意味があるか知ってる?」


 幼馴染も俺に負けない読書家だ。

 純文学が好みの彼女とは、好きなジャンルこそ異なるものの本好き同士。

 夏目漱石が『I love you』を『月が綺麗ですね』と翻訳したという逸話を知らないとは考えにくい。むしろ、知っていることを再確認したと考えた方が筋が通る。とりあえず話を進めながら、様子を見よう。そうしよう。


「もちろん、知ってるよ」


「さすが! 相変わらず、本の虫ねえ」

「お前にだけは言われたくないなあ」

「えええ、そんな......。まあ、気持ちは分からなくもないけれど」

「え、分かっちゃうのか?」

「だって、お互い本が恋人みたいな感だし。まさに『お前が言うな』状態というか」

「まぁ、確かに......。否定は出来ないな」

「でしょ、でしょ!」


 今も昔も変わらないノリで、彼女はクスクスと笑い続ける。

 そんな彼女のノリに安堵しかけた瞬間、予想外のアクションを起こしてくる。


「では、そんなアナタに問題です! 『欠けた月、探しませんか?』は、どんな意味でしょう?」

「......は?」

「だから『欠けた月、探しませんか?』」

「............」


 にこやかな笑みを浮かべて語る彼女の声はとても弾んでいる。

 対して、俺は意味が分からず困惑ばかり。


「なぁ、こんなフレーズなんて何処にも書かれていないよな?」

「そうね、私も書かれている本なんて見たことないわ」

「だったら、反則じゃ......」

「あら、何が反則なの? 別に『このフレーズを知ってるか?』とは尋ねていない。私は『そんなアナタに質問です』と言ったはずよ?」


 悪びれることなくケロリと述べる彼女に向けて、今一度確認をする。


「つまりはオリジナル問題である、と」

「まぁ、そうとも言うかも」


 そう言って、にこにこしている彼女からはこれ以上の情報は望めそうにない。

 ならば、ここまでの状況をヒントに推理していくしかないだろう。


 たしかに俺は、日常に隠された真実を見抜く名探偵たちに憧れていた。日々、追体験という名の読書も欠かしていない。

 『なぞなぞ』と表現した方がしっくりするような問題くらい軽々と解けなければ、憧れの名探偵に顔向けが出来ないというものだ。


「わかった、状況はよーく理解した」


 明日に引き延ばすほどの難問でもなければ、即答する出来るほど単純な問題でもない。ということは、必然的に解決までのタイムリミットは別れ道……。そんなことを考えながら、最後の信号を渡り切る。


 別れ道まで残り400メートル少々。

 自然に引き延ばせる時間のリミットはおよそ5分……。

 俺は名探偵に憧れる者として、彼女の挑戦を受けることにした。


***


 もう一度、状況を整理することにしよう。

 彼女と俺を繋ぐ共通点は読書好き。そして、幼馴染。

 彼女が純文学を好むことも、なんなら小学校6年生の冬に夏目漱石の作品を読破したことも知っている。


 俺自身、彼女に猛プッシュされた数冊は読み切った。けれど、それだけ。猛プッシュしても、無理強いはしない。俺の決定をキチンと尊重する。翌日以降もネチネチと持ち越すことはない。

 何はともあれ、夏目漱石作品を読破している彼女とは夏目漱石に対する熱量が違うことは確かなこと。だけど、そんなことは彼女だって知り尽くしているわけで……。十中八九、『夏目漱石』の存在は無視していいはず。むしろ、『月が綺麗ですね』というフレーズを引き合いに出したことにこそ注目すべきだろう。恐らく『月が綺麗ですね』と同じく、『欠けた月、探しませんか?』というフレーズもかなりの意訳である可能性はきわめて高い。

 しかし、理解している前提を並べまくれたとしても、最大の疑問点をクリアすることなく解決に近付くこともないだろう。最大の疑問点、それは……。


「......欠けた、月ねぇ」


 どうして、彼女は『欠けた月、探しませんか?』と投げかけたのだろう。

 下校時刻ギリギリまで図書室に入り浸る本の虫同士。

 月が浮かんだ帰り道を一緒に歩く機会はしょっちゅうある。むしろ、一緒に帰宅しない日のケースがレアなくらいだ。

 約束こそしていないが『欠けた月』を見上げながら一緒に下校する機会は、これまでに何度もあったし、何度もチャンスが巡るバックグラウンドもある。


 それにも関わらず、どうして今日? 満月の日に?

 欠けた月の日を避けた理由はなんだろう?


「うーん……」


 『月が綺麗ですね』というフレーズ同様『欠けた月』も比喩表現だとすると、空に浮かぶ欠けた月の形状とは異なる可能性は高い。だとすると、満月の日に問題を投げかけ、欠けた月の形状から目を逸らせる効果を狙ったと考える方がしっくり来る。


 しかし、月のようにまるく、そして欠けている状態がデフォルトだと分かっても、対象があまりに多すぎる。CD、浮き輪、シフォンケーキにドーナツ......。とてもじゃないけれど、絞り切れそうにない。

 次々と浮かび続ける数々の候補に頭を痛めながら、原点に立ち返れば、大きな大きなヒントに気付く。それこそ『月が綺麗ですね』という前置き......。


 『月が綺麗ですね』というフレーズにロマンスを語る意味合いを含めていたなら、きっと『欠けた月、探しませんか?』というフレーズにもロマンスが絡むはずだろう。つまりは......。


「成る程、デートのお誘いというわけか」

「なっ!?」


 真っ赤な顔をしている彼女の様子から、まず間違いなさそうだ。

 つまりは、欠けた月である美味しいドーナツや新発売のCDを探し求めるお出かけ......デートをしませんか? というお誘いなのだ。逆説的に考えれば、デートという答えありきの問題。だからこそ、欠けた月に該当するものは恐らくなんだって有りと踏んだわけでもある。


 俺の答えを聞き、彼女は金魚みたいに口をパクパクさせている。そんな彼女に対して、伝える言葉は一つしかないだろう。


「お前に文豪気取りはまだ早い」


 彼女の気持ちに気付かないほど、鈍くはない。

 だけど、今はまだ本と戯れている方が楽しいんだ。それは彼女と一緒に語る本にまつわる会話も含めた上で……。 それは逃げか、恥じらいか。一つだけ言える確かなことは、受け止める余裕もスキルもない事実だろう。


「……っ!!」


 俺の言葉を聞いた彼女は、振り向くことなく走り去る。

 狙ったわけではない。だけど、話題の持ち越しをしない彼女の性格を考えると、別れ道の手前で回答したことだけは正解だったと思う。


 今回、俺は確かにミッションをクリアした。彼女の用意した問題の解答にはたどり着けた。だけど、彼女が真に欲していた回答を用意することは出来なかったのだから。


 文豪たちの作品で活躍し続ける、憧れの名探偵たちならどう応えただろう。

 相手の心は千差万別。マニュアルのような正解がないこともわかっている。だけど、絶望的に俺は足りないスキルが存在するのは確実だ。


 ひとまず、名探偵に顔向けができない事態は避けられた。

 だけど、文豪たちの知恵をちょっと拝借すればいいと思うような心意気は捨てなくてはダメだろう。名探偵と肩を並べたいと、本気で願うなら──。


【Fin.】

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