思春期の罠 PART3 ~わたしのゲームチェンジ~

小林勤務

第1話 再選

「では、みんなの投票の結果――」


 ああ、なんてこった。


「1年1組の文化祭の出し物は――」


 今年、教師になったばかりの先生は愛用のチョーク棒で黒板を叩き、その投票結果を読み上げた。それは、わたしが最も恐れていた――


「――マンガ博物館に決定します」


 やったあと勝利の声をあげたのは、後ろの席にいる桜井さん。いえいっと両隣の仲良し女子グループとハイタッチ。可愛くて、友達も多くて、いつだってクラスの中心であり、彼女の発言はだれもが耳を傾ける。


 そして、敗北の涙を貯めるのは、わたし。だいたい下を向いて、静かに本でも読んで、真っすぐ家に帰る。


 席次の前後で、明と暗がはっきりとわかれた。


 公正という言葉はときに残酷で、得てして本当に公正なのかと疑いたくなる。


「じゃあ」と桜井さんは立ち上がった。ずんずんと黒板まで歩き、教壇に両手をダンとつく。勝ち誇った笑みを浮かべて、開口一番。


「マンガ博物館ってぐらいだから、沢山マンガが必要よ。みんな、家にどれくらいある?」


 当初はわたしの案に決まりそうだった。事前のアンケートから、ゴミのリサイクル活動や里山の自然環境といった、いわゆる地味な展示案しかアイデアはでず、勇気を出して手を挙げた。


 それが――古代生物の生態展示。


 これに、思いのほかみんなが興味を持ってくれた。

 決め手になったのは、アノマロカリスのキーホルダーだった。

 小学生の頃から、生き物が好きだった。クワガタの飼育に始まり、深海生物、そして恐竜――。休日は、ほとんど本屋で過ごした。古代生物の図鑑を食い入るように眺めて、夜な夜なその生態を調べていると、わたしはいつだって楽しい気持ちになれた。


 このキーホルダーは、いまはどこにも売ってない限定品。精巧なつくりで、節足動物のリアルさを伝えるには丁度いい。クラスメイトも実際に見るのは初めてだったらしく、興奮気味に群がってきた。


「キモすぎ!」わいのわいの目を輝かせて顔を近づけるクラスメイト。


「でしょー! こんなグロテスクな生き物が太古の海を泳いでいたんだよ!」


 姉とおそろいの思い出の品が褒められると、喜びが増した。引っ込み思案で、姉ぐらいしか話し相手もいなかった、わたしが唯一饒舌になれる瞬間だった。


 そのまま古代生物の生態展示に決まりかけたとき、桜井さんが手を挙げた。


「せっかく初めての文化祭なんだし、展示よりもっと楽しいことやらない?」


 こうして出た案が――マンガ博物館。


 普段から、わたしと桜井さんでは力関係がちがっていた。誰とでも仲良く、華があり、人気者の彼女と、物珍しい古代生物の力を借りて一時の人気を得たわたしとでは勝負の差は歴然だった。


 投票の結果、接戦となることなく7対3で桜井さんの勝利。本当はこれを機に、をしたかったけど、そんな秘かな物語も幕を閉じた。


 だけど――


「家にマンガはあるけど、うちのクラスだけで足りる?」


 男子の誰かが発したこの疑問が、クラスにさざなみを起こす。

「確かに」「私、マンガそんなにないよ」「俺、バトルものしかない」

 次々と疑問の声が沸き起こり、今まで沈黙を守ってきた先生が重い腰をあげた。


「マンガ博物館、だよな。だったら色んなジャンルが大量に必要だな。他のクラスにも協力してもらう方がいいから、彼らの意見も聞いてみるか」


 こうして――『わたしたちのクラス(1組)の出し物を決めるホームルームに、わたしたちのクラス(1組)以外のクラスの代表者(2、3組)が参加』することになった。


 でも、これっておかしくない?


 どうして、先生はこんな提案を――


 そんな疑問を噛みしめながら、昨日の姉とのやりとりを思い出した――


 *


「選挙ってめんどくさい。なんで、毎回日曜日なんだろうね。これって法律で決まってるの?」


「さあ、決まってないんじゃない」

「平日にやればいいのに。そうしたら、放課後に寄れるよね。しかも、だいたい会場ってうちの中学校だし」

「平日なんて会場の設営とか大変じゃない。しかも、授業中にどやどや大人たちが学校に訪れたら、あんたたちも落ち着かないでしょ。休み時間も静かにしろって言われるよ」

「別に。わたしは本読んでるだけだし」

「あんた友達いる? 若い時なんて一瞬で過ぎ去るものよ」

「まだまだ過ぎないよ。だって中学1年だし」

「そういう意味で言ったんじゃないの」


 少し呆れたように肩を叩く姉は、今年高校を卒業して、看護学校に入学がきまった。今日は、市議会選挙の投票日だ。いまの日本の選挙制度では、満18歳から選挙権が発生する。姉もひとりの大人として選挙にいくことになり、両親は勉強のためと別々に投票に向かい、姉は勉強のためと妹のわたしを連れていく。


 勉強の押し売りというものは水が下に流れるが如くかな。


 そんな悪態を心のなかで吐く。


 この選挙というやつは妙にめんどくさい。家から歩いて10分ほどの会場(うちの中学校)に向かい、黙って投票して帰るだけ。時間にして1時間も満たないのに、半日つぶれた感覚に陥る。しかも今日はあいにくの雨模様だ。せっかくの休みに、傘を差して学校に行かなければならないなんて。


 姉は「で――」と長いタメをつくったあと、「文化祭はあんたの案でいけそうなの?」


「たぶん」


「良かったじゃん。前から頑張ってたもんね」


 普段、小言ばかりの姉から珍しく褒められたもんだから妙にくすぐったく、「明日の資料をまとめなきゃいけないし、選挙なんて行ってる暇ないんだよね」

 こんなふうに悪態で濁してしまう。


「それとこれとは別。だいたいね、選挙って大事よ。私たちの未来を自分たちが決められるなんて良いことじゃない。選挙も行かないで、政策にケチをつけるのはお門違いね」


「自分だって、今までお父さんに連れられていたときは、めんどくさいってぼやいてたのに」

 急にカッコつけちゃって。普段は年上の彼氏にデレデレしてるこどもなくせに。

 だいたい、どうして選挙権を18歳に引き下げたんだか。少子高齢化により若い有権者を増やすといった目的らしいけど、


「何かあったら私に言いなさい。助け舟出してあげるから」


 得意気に鼻を鳴らす姉を見ると、人数を増やすために若いひとに選挙権を与えるって、ほんとに正しいのと思ってしまう。


 でも――

 

 翌日、その投票ってやつの罠から逆転の光が見えるなんて。


 *


「なんで1組が決めたことに、うちが協力しなきゃならないのさ」


 至極当然の疑問を投げかけたのは2組の男子。その発言に引きずられるように、3組の女子が、


「1組が派手なことやると、こっちが地味に見えるから嫌よ」

「そうだよな。勝手にうちらを巻き込まないで欲しい」

「そこをなんとかお願い。マンガぐらいいっぱい持ってるでしょ。ケチなこと言わないでよ」

 発案者である桜井さんは両手を合わせてウィンクする。

 が。

 こんな小技が効くのは男子だけ。3組の女子には通じない。


「だいたい、文化祭なんだからもっと真面目なやつの方がいいわよ。それこそ、マンガじゃなくて小説とか本全般を扱った『Book Station』とか」


「小説よりマンガの方が上よ」

 小説なんかつまんねーよ。

 マンガの方がウケがいいんじゃない?


 桜井さんの反論に、1組はおおむね賛同の声を寄せるが、3組も持論を曲げない。

「そんなことないわ。小説もジャンルは豊富よ。恋愛、ホラー、ミステリーとか色々あるし、小説だけじゃなくて図鑑や絵本、週刊誌もあるのよ。マンガにこだわる必要ないわ」

「じゃあ、ラノベとかもアリ?」と2組が乗っかる。

「当然アリよ。あれも本だしね」と3組は満面の笑み。

「それなら協力するぜ。うちのクラスで流行ってるからさ」


「じゃあ、Book Stationでいいんじゃない? マンガ博物館より派手じゃないし、2,3組の出し物と比べても1組だけ突出して目立たないから、私たちもやり易いし」


 だよなと、彼らは呼吸を合わせた。


 正直なところ、わたしはマンガをほとんど持っていない。どちらかと言えば、本棚を飾るのは図鑑ばかりだ。悔しいのだが、彼女の提案は魅力的に映り、同調する者がちらほら現れる。


「で、でも、1組はマンガって決まったのよ」食い下がる桜井さん。

「マンガなら2組は協力しない」

「3組も」


 突っぱねる二人。


 1組の生徒は30人。数では圧倒的に1組の方が多いのに、たった2人の部外者の意見に引っ張られていく。


 そして、行き着いた先は――


「だったら投票して決めようぜ。2,3組が協力しないスカスカのマンガ博物館にするか、Book Stationにするか」


 とうとう、彼らが出した案との決戦投票までもつれこんでしまった。


 なんで、うちが決めるものに――言うなれば、自分たちが自分たちのことを決めるのに、2,3組の部外者が口出しするの。


 流石におかしいと救いの目を先生に向けるが、先生は生徒たちが決めたことに口を挟むことなく、いつもの涼しい顔を見せた。

 だめだ。先生は、新しく教師になったばかりで、文化祭の運営はおろか生徒の気持ちなんてわかってないんだ。

 部外者を入れたら話はこじれるってわかりきってるのに、なんで先生はわざわざこんなことを――

 そして、先生は腕を組んで立ち上がる。一堂を冷たく見下ろすと、静かに口を開いた。


「じゃあ、それで決めよう」すっと愛用のチョーク棒をあげて、みんなの挙手を求めようとする。「みんなの投票で決めることが公正だ」


 公正という、一見もっともらしい先生の言葉と、キラリと流れ落ちたある事実に引っかかる。


 公正……。


 投票こそが公正……。


 そして――電流が脳を打つ。


 みんなの投票で決まったことが公正ならば、これだって公正なはずだ。


「先生!」


 感情にまかせて声を張り上げた。未だかつてないほどの注目を浴びる。あまりのボリュームに、みんなは驚いているみたい。

 そうよ。わたしはこんな声だって出せるんだから。


「どちらかを投票で決める前に、投票をお願いします」


 みんなの意見が割れてるし、もしもBook Stationに決まったら、それは100%わたしたちの意見が反映されていない。

 だから――


「みんなの挙手で決めるんじゃなくて、あみだくじで決めれば一番納得すると思います! 投票ルールを変更するのに反対か賛成か挙手で決めてください! そして、もしルール変更に賛成なら――」


 わたしは思いのたけを言葉にのせて、あることを伝えた。


 言い終わると、一瞬だけ教室が静まり返る。次の瞬間、ぷっと桜井さんが笑った。「賛成。それでいいんじゃない。それなら恨みっこなしね」


 起死回生のわたしの案が、力強く支持される。

 自然と沸き起こった拍手を背に、わたしはまっすぐに先生を見つめた。


 どうなの? これなら理は適ってるでしょ?

 そして、下されたジャッジは、


「皆が決めたことならば、それは公正だな」


 挙手を待つまでもなく、1組の出し物を決める投票ルールは変更され、みんなが黒板に引いたチョークの縦線に横線を入れていく。最後に、「ぼくも横線入れないと、にはならないよな」と先生が目を光らせた。

 公正なるあみだくじの結果――

 見事、わたしの勝利となった。



 1年1組の文化祭の出し物は『古代生物の生態展示』に決まった。



 *


 放課後、だれもいない教室から茜色に染まる夕空をながめて、ある人を待っていた。

 あの人は必ず、コレを取りに戻ってくる。

 予想通りガラガラと扉が開いて、慌てた様子の先生と目が合った。

「先生」

「ど、どうした」

「わたしの考えを聞いてくれませんか?」

「考え? 何のことだ」

「なんで先生が、わざわざややこしくなるように、他のクラスもホームルームに参加させたか」

「ああ、あれは……」


「わざとですよね」


「……」


「第三者が加わることで議論がこんがらがって、一度決めたことがひっくり返る状況を作りたかったんですよね。それも、先生が決めるんじゃなくて、生徒たちが自らそう決める状況になるように」


 目を細める先生を前に、持論を展開する。


「わたしたちが決めたことを、先生が頭ごなしに否定することはできない。それは公正じゃないし、なにより投票の主旨に反する。だから、2,3組を議論に参加させることで、暗に、その決定は果たして良かったのかとみんなに疑問を投げかけたんですよね」


「おいおい、そんな……」


 わたしは先生の言葉を遮り、こう言った。


「先生は、過去を覆そうとしたんですよね」


「……どうして、そう思ったんだ?」

「だって」わたしは、あるものを先生に見せた。「落とし物です。コレ、先生のですよね」


 それは――アノマロカリスのキーホルダー。


 しかも、わたしと姉と同じ限定品のキーホルダー。先生がチョーク棒を挙げたときに、はらりと付けていたソレが落ちるのが見えた。


「先生も古代生物が好きなんですよね」


 先生はふふっと笑って、「考えすぎだよ」と忘れ物を受け取った。


「じゃあ、どうしてあみだくじに一度却下になった『古代生物』を入れることを許してくれたんですか? 話の流れから、挙手からあみだくじに変えるってだけなのに、わたしのお願いを……」


「単純に確率をあげたのさ。2分の1じゃなくて、3分の2にね。もともと1組の出し物は古代生物とマンガの二択だっただろ?」


 答えはいつも単純だよ。


 そう言い残すと、


「古代生物の展示に向けて、前から頑張ってたそうじゃないか」


 がんばれよと肩を軽く叩かれて、先生は教室をあとにした。

 暮れていく教室にひとり佇み、姉との市議会選挙を思い出した。


 選挙権の年齢を引き下げた目的は、少子高齢化により若い有権者を増やすことや、欧米先進国の基準に合わせることだけではない。

 国民投票の年齢に合わせる。

 つまり、誰かを選ぶだけではなく、ルールそのものを投票で変える権利、これを若いひとが持つって意味もあるらしい。


 姉からもらったキーホルダーをぎゅっと握り込む。


 わたしが生き物を好きになったのは、姉の影響だ。


 姉は昔から昆虫が好きで、気持ち悪い節足動物を見せてきては、わたしに生き物の面白さを教えてくれた。でも、そんな姉は大きくなるにつれて、クラスメイトから変な趣味だとからかわれるようになり、いつしか生き物への関心もなくなってしまった。

 これが、大好きな姉の、唯一気に入らないところ。


 だから――


 わたしは証明したかった。


 好きなものを、好きなだけ、堂々と展示したい。


 過去は変わらない。だからこそ、結果を見つめて未来を変える。

 まるで、古代生物みたいじゃない。

 だれかに掘り起こされて、今はわたしを夢中にさせている。


 夜な夜な、どういう展示がいいかずっと考えてたんだから――


 ――って。

 ちょっと、まって。



 なんで、先生はわたしが展示に向けて頑張ってたって知ってるの?



 もしかして、あのキーホルダーって。

 最後に先生が引いた横線って。


 開けた窓から、びゅうっと風が吹き込んだ。



――答えはいつも単純だよ。



――何かあったら私に言いなさい。助け舟出してあげるから。



 了




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