第十章 第6話

 莉恩りおん凌安りょうあん、そして漣壽の三人の視線が。一斉に声の主へと向けられる。

 これまでの騒動ですっかり忘れていたが。

 彼は劉彗りゅうすいの連れてきた協力者という男だ。

検閲けんえつで引っかかった荷を一時的に留め置く倉庫が港にあるだろ。……って、おい。この国に変なものが入って来てるのは、そっから持ち出されてるからだって……。お前ら、知らないのか?」

 呆れたような口調が一気にくし立てる。

 いや、しかし。そんなことよりも……。この男は一体、誰なのだろう?

 向けられた凌安りょうあんの問うような目に。莉恩りおんも困惑に口を閉ざし。救いを求めるように、近くに座っていた漣壽へと視線を向ける。

 その、莉恩の表情を見てとり。漣壽の涼やかな声音が、その場の沈黙を破った。

「わたしは第三亮藩、之水府しすいふ管轄区配属の武官で漣壽。彼女は幼馴染の莉恩です。先程はご支援いただきありがとうございました。……それで、あなたは?」

 漣壽の口調に毒気を抜かれたように。猫目の男が一度、口の両端を下げる。その場にいる三人を、順に眺め。諦めたように名乗りを上げた。

「俺は玖爾くじ永豊えいほう志波しなみで用心棒をしてる」

 歳の頃は四十過ぎといったところだろうか。南域の意匠を思わせる裾の広い濃紺の装束を身に着けている。

 浅黒い肌に、やや吊り上がった鋭い目。後頭部で一纏めにされた量の多い黒髪。そこからこぼれた髪がひと房、顔に掛かっていた。

 その、顔に掛かる癖の強い前髪を。玖爾は鬱陶しそうに掻きあげる。じろりとひとつ。大仰な態度でこちらを睨みし。そうしてふんと、大きく鼻息を吐き出した。

 手にしていた丹塗にぬりの鞘に納められた剣の、その先で。苦しげに床に伏せる劉彗をくいと示して。

「その男。劉彗とか言ったか。そいつが昼間、うちの店に来た。水城みずしろの、出戻った娘からの紹介だとか言ってな」

 劉彗は昼間、浅霞あさかの妹へ話を聞きに行っていたはずだ。そこで何か情報を掴んだということなのだろうか。

 考えを巡らせる莉恩の横で、凌安りょうあんが相手の出方を窺うように、そっと口を挟む。

「たしか。志波しなみは以前、武器商人をしていたね。店主の頑臥がんが殿は、岩嶺がんれいの乱で亡くなられたのでは……?」

 莉恩はその名に、思わず玖爾へ目を向けた。頑臥という名には覚えがある。岩嶺に建てられていた石碑に刻字こくじされていた。

 凌安の問いに。玖爾はいかにも面倒くさそうな態度で、立てた膝に腕を掛ける。

「ああ、今は兄貴が店を継いでるよ。岩嶺がんれいの乱以降、商人による武器の取り扱いが禁止されちまったおかげで、今は古物商をしてるがね」

「古物商……に。何故、用心棒が?」

 漣壽れんじゅが切れ長の瞳を細め、玖爾くじを見つめる。玖爾は手にした剣の鞘尻を立て、その視線をわずらわしそうに見返した。

「あんた第三亮藩だいさんりょうはんに配属されてる武官だろ? なら、永豊府えいほうふがどんなとこか知らないとは言わせねえぜ」

 質問に質問で返され、漣壽れんじゅが反射的に口を閉ざす。代わりに答えたのは凌安だった。

「永豊は晤遙ごようと陸続き。海路が見つかったとはいえ、陸路が完全に絶たれたわけではないからね。永豊には今でも陸路で晤遙と往来を続ける者がいると聞く」

「陸路で……?」

 漣壽れんじゅと莉恩の驚きの声が重なった。永豊府えいほうふから晤遙街ごようがいへ行くには、危険な山道をふた月以上かけて進まなければならない。これだけ航路での往来が頻繁になった今。陸路を使う者がいるという考えは、全くなかった。

「俺達は商人だ、情報を何より尊ぶ。この国で晤遙街に最も近い場所に位置しているのは永豊で、そして一度出来た繋がりはそんなに簡単に切れたりしねえ。俺達は今でも陸路で往来を続けてる」

「それは、一体。なんの目的で……?」

 莉恩りおんの言葉に、玖爾くじは軽蔑するように軽く眉根を寄せた。そうして呆れたような溜め息を一つ漏らす。

「いいか、時間がないから手短に話す。晤遙街は一枚岩じゃねえ。おっかねえ猛禽類もうきんるい巣窟そうくつだよ。複数の組織が日夜互いの背中を狙い合ってるような、そんなとんでもなく物騒な場所だ。そんな中で頭一つ飛び抜けた力を持った組織がいる。それが斎国さいこくから『晤遙街ごようがいの顔役』と呼ばれ、浅霞あさかが取引を始めた相手。……雄渾会ゆうこんかいだ」

 玖爾くじの口が滑らかに晤遙街を語る。それは実際にその土地へ行き、体感したことのある者にしか発せられない、確信に満ちた響きだった。

「ところがこれが、斎国の厄災の始まりだった」

 玖爾くじの声がそこで一度、深く沈む。右腕を引き寄せた刀に絡めたまま、視線が畳の上をさ迷った。

雄渾会ゆうこんかいは表向きにほ目利きの商人の集団で、浅霞あさかとは非常に上手く付き合いを続けた。浅霞も雄渾会との取引により、斎国内での株が上昇。やがて王都で重用されるようになった。浅霞は王都の権力者と、雄渾会の代表を引き合わせたらしい。……風向きがおかしくなったのは、そっからだよ」

岩嶺がんれいの乱の発端となった、勅令の発布はっぷ……か」

 凌安りょうあん玖爾くじの言葉を拾うようにして言葉を続ける。

「ああ。国は勅令を出し、第三亮藩だいさんりょうはんから貿易を取り上げた。おかげで雄渾会ゆうこんかいは斎国と独占販売状態さ。当然、晤遙街にいる他の商会から恨みを買っただろう。しかし不思議と雄渾会はその後も晤遙街に君臨し続けた。何故かって? 雄渾会ゆうこんかいは晤遙街の闇社会に君臨する黒幇咾党こくほうろうとうと手を組んでいたからだ。黒幇咾党やつらはとんでもなく冷酷で無慈悲な集団だ。金になるなら、何でもする。人身売買も殺人も一切の躊躇ちゅうちょなく、な。斎国は。いや、斎国の上の方にいるは。それらもまとめて雄渾会ゆうこんかいから買ったんだろ」

 莉恩りおんは何を言おうとして。しかし、結局。言いかけた言葉は喉の奥に引っ掛かったまま、出てこなかった。

 晃朔こうさくと一緒にいた、色を持った少年。あの子もそうして、この国へやってきたのだろうか。

「以前から、変だと思っていたんだ……」

 漣壽れんじゅの澄んだ声が、莉恩の胸中に立ち込めたもやを払拭する。

「この数年、不自然ではない程度に上級官吏の死が相次いでいる。それも、国政に異を唱える者ばかりだ。病死や事故死など、やけに悪い偶然ばかりが続いた……」

 漣壽の表情は昏い。その言葉の意味するところに気付き、莉恩の背筋に悪寒が走る。あの黒装束の集団と、猩々と共にいた少年。彼らならば、証拠を残さずを成すことも可能なのではないだろうか。

「そのうえ、貿易品を含め国が取り締まる品の中からこうして毒劇物が市井に流出している。このままでは国内の経済は、近いうちに大きく崩れるだろう」

 武官として国の機能の一部として働く中で、漣壽も度々思う所はあったのだろう。彼の口調は相変わらず穏やかなものだったが、その言葉にはどこか苦さが滲む。

「武官にしちゃあ、まともな見方ができるやつがいたもんだな。ただの真面目なお坊ちゃんかと思ったが……」

 玖爾くじが茶化すような目を漣壽へと向けて。そうしてそのまま視線を劉彗りゅうすいへ流す。そこで、ぐっと表情を引き締めて。

「情報は商売の基本だ。俺たち永豊府の商人は岩嶺の乱の前からずっと、晤遙街からこの地に届く物資の流れを追ってる。だからこそ気付くことができた。晤遙街からこの国に持ち込まれる貿易品は、流通を操作されてるってことにな。そこには明らかに、誰かの意思が存在してる。いや、意思というよりも。これはもう……『悪意』に近い」

 そこで玖爾くじは一度言葉を切る。剣の鞘尻を畳に突き立て、ぐいとこちらへ身を乗り出した。

「そこで行き着いたのが、之水港しすいこうだよ。国内で流通を制限された物品が発見されると、処分される決まりになっているのは知っての通りだ。しかし即時処分されるわけじゃない。まずは一時留め置き用の倉庫へ運び込まれ、そこで適切な処分が行われる日まで保管される」

之水港しすいこうで行われる貿易品の検閲けんえつは武官が、そしてその後の処分は文官の手によって行われる。貴殿の話では、その手順のどこかで貿易品が流出している、と……?」

「むしろ、そこからしか流出しようがないという消去法による結論だな。検閲を担当できる官吏は限られてるうえに、地方じゃ役付きの人間はそうそう入れ替わらねえ。ある程度立場のある者であれば倉庫の鍵も持てるし、帳簿も書き換えられる」

「その人物の目星は、付いているのかい?」

 玖爾くじ漣壽れんじゅの会話に割って入るように。凌安りょうあんが声を上げた。袖の中で腕を組んだままに。彼にしては珍しく、問いただすような厳しい口調で。

 玖爾は、当然だと言わんばかりにその顔を凌安へと向ける。

第三亮藩だいさんりょうはんの書記長官、羽林うりんの側近の一人に、迂棠うどうという男がいる。港の倉庫の鍵の管理者の一人だ。官位は四師士よんししで、帳簿にも問題なく触れられる」

「うむ……」

 その答えに。凌安が、喉の奥で唸るような声を漏らした。そうして不機嫌なときの劉彗がよくそうするように、眉根を寄せて目を細める。

羽林うりん殿は以前から、崔偉さいい武官長と交流が深いな」

「崔偉……か」

 その名が出た瞬間、玖爾くじが不意に鼻先でわらった。それまで漂っていた余裕が一瞬で消え去り、猫のような瞳には剣呑な光が浮かぶ。

「あいつは。親父の仇だ」

 玖爾くじの瞳に浮かぶ仄暗い炎は、まるで闇の淵を漂う魂魄こんぱくの放つ光に似ている。どこにも行き場のない、この幽玄の燈し火を……。莉恩りおんは最近、どこかで見なかっただろうか。


 ――遺恨いこん憤懣ふんまん怨毒えんどく……。そんな、弔うことのできぬ呪いの残渣ざんさ


 痩せ細った躰に襤褸ぼろまとい、不釣り合いなほど立派な菊の花束を手にした老人……。

 あれは。

 あれは、まるで。

 慰霊碑に自身の決意を告げるかのような……。

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