第十章 第6話
これまでの騒動ですっかり忘れていたが。
彼は
「
呆れたような口調が一気に
いや、しかし。そんなことよりも……。この男は一体、誰なのだろう?
向けられた
その、莉恩の表情を見てとり。漣壽の涼やかな声音が、その場の沈黙を破った。
「わたしは第三亮藩、
漣壽の口調に毒気を抜かれたように。猫目の男が一度、口の両端を下げる。その場にいる三人を、順に眺め。諦めたように名乗りを上げた。
「俺は
歳の頃は四十過ぎといったところだろうか。南域の意匠を思わせる裾の広い濃紺の装束を身に着けている。
浅黒い肌に、やや吊り上がった鋭い目。後頭部で一纏めにされた量の多い黒髪。そこから
その、顔に掛かる癖の強い前髪を。玖爾は鬱陶しそうに掻きあげる。じろりとひとつ。大仰な態度でこちらを睨みし。そうしてふんと、大きく鼻息を吐き出した。
手にしていた
「その男。劉彗とか言ったか。そいつが昼間、うちの店に来た。
劉彗は昼間、
考えを巡らせる莉恩の横で、
「たしか。
莉恩はその名に、思わず玖爾へ目を向けた。頑臥という名には覚えがある。岩嶺に建てられていた石碑に
凌安の問いに。玖爾はいかにも面倒くさそうな態度で、立てた膝に腕を掛ける。
「ああ、今は兄貴が店を継いでるよ。
「古物商……に。何故、用心棒が?」
「あんた
質問に質問で返され、
「永豊は
「陸路で……?」
「俺達は商人だ、情報を何より尊ぶ。この国で晤遙街に最も近い場所に位置しているのは永豊で、そして一度出来た繋がりはそんなに簡単に切れたりしねえ。俺達は今でも陸路で往来を続けてる」
「それは、一体。なんの目的で……?」
「いいか、時間がないから手短に話す。晤遙街は一枚岩じゃねえ。おっかねえ
「ところがこれが、斎国の厄災の始まりだった」
「
「
「ああ。国は勅令を出し、
「以前から、変だと思っていたんだ……」
「この数年、不自然ではない程度に上級官吏の死が相次いでいる。それも、国政に異を唱える者ばかりだ。病死や事故死など、やけに悪い偶然ばかりが続いた……」
漣壽の表情は昏い。その言葉の意味するところに気付き、莉恩の背筋に悪寒が走る。あの黒装束の集団と、猩々と共にいた少年。彼らならば、証拠を残さずそれを成すことも可能なのではないだろうか。
「そのうえ、貿易品を含め国が取り締まる品の中からこうして毒劇物が市井に流出している。このままでは国内の経済は、近いうちに大きく崩れるだろう」
武官として国の機能の一部として働く中で、漣壽も度々思う所はあったのだろう。彼の口調は相変わらず穏やかなものだったが、その言葉にはどこか苦さが滲む。
「武官にしちゃあ、まともな見方ができるやつがいたもんだな。ただの真面目なお坊ちゃんかと思ったが……」
「情報は商売の基本だ。俺たち永豊府の商人は岩嶺の乱の前からずっと、晤遙街からこの地に届く物資の流れを追ってる。だからこそ気付くことができた。晤遙街からこの国に持ち込まれる貿易品は、流通を操作されてるってことにな。そこには明らかに、誰かの意思が存在してる。いや、意思というよりも。これはもう……『悪意』に近い」
そこで
「そこで行き着いたのが、
「
「むしろ、そこからしか流出しようがないという消去法による結論だな。検閲を担当できる官吏は限られてるうえに、地方じゃ役付きの人間はそうそう入れ替わらねえ。ある程度立場のある者であれば倉庫の鍵も持てるし、帳簿も書き換えられる」
「その人物の目星は、付いているのかい?」
玖爾は、当然だと言わんばかりにその顔を凌安へと向ける。
「
「うむ……」
その答えに。凌安が、喉の奥で唸るような声を漏らした。そうして不機嫌なときの劉彗がよくそうするように、眉根を寄せて目を細める。
「
「崔偉……か」
その名が出た瞬間、
「あいつは。親父の仇だ」
――
痩せ細った躰に
あれは。
あれは、まるで。
慰霊碑に自身の決意を告げるかのような……。
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