第49話 引き込む者

「<ミトリさま>は、また人を殺しますよ」


「……何故です?」


「人の悪意が尽きることは無いからです――」また咳をする……今度のは歪な笑い声が入り交じっている……収まった。「南戸さんは、性善説を推しているつもりなんでしょう。それは気位の高いことでしょうが。実際の世の中をご覧になって? あなたの好きなSNSは? 誰かがくだらないことで炎上することは、今や日常的な出来事じゃありませんか。アハハ!……くだらない悪戯の動画に、一体どれだけ人の死を願うコメントが付いているか、ご存じですか? 何故、炎上は起こり続けるのか? ふふ。それは、人を呪うことが根源的な欲求だから、ですよ! それは今も昔もこれからもそうなのです。……だから、<ミトリさま>はまた人を殺すようになる。必ず――悪意は51%を超えます」


「僕の考えは違いますね」


 世間は多分、僕が思っているより優しい筈なのだ。炎上したツイートに群がる正義の名の下に悪意を振りまく連中の多さは僕だって知らないわけではないが、彼らが多数派だとどうして言える?


 それに、そんなに悪意が溢れている世の中だったのなら。……僕はきっと、今こうしてコーヒーを啜っていられない筈なのだ。そんな善意に巡り会えたことを、僕は偶然だとは思わないし、偶然にはしたくない。


「ハハハ。南戸さんと私はそればかり! けど、お忘れ無いように。<ミトリさま>は、一度なってしまったら戻れないのですから……」


 木戸がそこまで捲し立てると、一挙に話す元気を失ったようだった。この喫茶店で会った時からさらに二年は老け込んでいるようにすら見える。テーブルの上には、木戸が口元を拭ったナプキンが積み上がっている。


 と、話が切り上がるタイミングで顔色を悪くした木戸が「手を洗いに行く」と言って中座した。


 テーブルに、木戸の連れてきた少年と僕が残る。一緒にテーブルに座って慣れたのか、僕にビビっている様子は無いようだ。長いストローでメロンソーダを啜りながら、じっと興味深そうに僕の顔を見ている。


「君のお母さん、具合悪いのかい?」と尋ねてみても、不思議そうにポコポコとサイダーに息を吹き込むだけだ。


 もしかして言葉が喋れないのだろうか?


 そういえば、最初の<ミトリさま>は看護師だったが、脱北者の医師を連れ添っていた……まさかこの子も? いや、まさかな……。


「あの女の人は、君のお母さんかい?」と再び尋ねてみると、今度は首を振って反応した。


 おや、と思って「それじゃあ、君のお母さんはどこにいるんだい?」と聞くと、またポコポコとサイダーに息を吹き込む。


 分からない、ということか。


 やはり日本語が聞き取れないわけではないらしい。……それにしても、木戸が母親では無いとなると、いよいよ捨て子だった可能性が高まった。一応道地君に連絡しておこう。


 ……木戸はまだ戻ってこない。


 僕は木戸がさっき口元を拭ったナプキンをなんとはなしに眺めた。そうしていると、さっきの木戸が吐いた言葉がチラリと頭を掠めるのだった。


 ――<ミトリさま>は、一度なってしまったらもう戻れない――

 

 こうも言っていた。そもそも<ミトリさま>を脱却することは不可能だ、と。


(……あ)


 もしかして――まさか。


 ……そうなのか?


 僕は、口元を押さえて激しくなりかけた呼吸を鎮めた。

 

 本当に、一度<ミトリさま>になったら戻ることは叶わないのか?


 だとしたら……だとしたら、及坂に深く関係を持ってしまった何かの正体が分かったかも知れない。


 いや――確実にそう、なんだろう。状況から考えると。


 僕は逸る気持ちを抑えながら、及坂の電話番号をコールした。


 *


「――ナントさん! お久しぶりです」


「うん。久しぶり……って、一週間前に秋葉さんたちとご飯行ったばかりだけど。調子はどうだい?」


「今は平気です……平気と言っていいのか分からないんですけど、あれから変なことは私の周りでは起こっていないです、ね。――やっぱり、義堂さんのお陰なんでしょうか?」


「かも知れない。でも、何かあったらすぐ連絡するんだよ」


「はい。……それで、どうしました?」


「ちょっと一つ気になったんでね……」僕は横目で木戸の入ったトイレの扉を見ながら言った。「及坂さん。君は、井崎さんに<ミトリさま>の話はしたのかい?」


「え?」


「たしか、君は井崎さんにこんな都市伝説があるって話をしようとしたんだったね。それで……実際はどうだったんだ? 井崎さんに<ミトリさま>の話は伝わっていたんだろうか?」


「あー……」及坂は苦い思い出を振り返る声色で呻いた。「伝わっていたか、までは……」


「伝えようとは、した?」


「私達、LINEやってたんです。だから、<ミトリさま>っていうのがあるんだよ、ってことくらいは。……今度会った時に詳しい話を聞かせてあげようと思って……」


 やっぱりか。


「そうか――分かったよ。ありがとう」


「それだけですか?」


「うん。ありがとう。それじゃ、また機会があれば会おう」


 電話を切ろうとしたギリギリのタイミングで「あ……すいません、私からも一つ聞いて良いですか?」と聞こえてきたので慌てて耳に当て直した。


「なんだい?」

 

「結局……ナントさんの目的って何だったんですか? いえ、何かまでは教えて貰わなくてもいいんですが。――あの旅で、ナントさんは目的を達したんですか?」


「ああ」その話か。「言っておくけど、僕の目的なんてそう物騒なもんじゃないから安心して良いよ。それに、あの旅で目的を達したとは言えないな……まあ、今は準備期間ってところだよ」


「そうですか。それじゃあ、上手くいくよう祈ってますね」


「ありがとう」


 及坂は一応現役の<ミトリさま>だ。そんな彼女が僕の目的の成功を祈っている。中々頼もしい話じゃないか?


 ともかく、これでハッキリした。


 ――井崎真は<ミトリさま>だった可能性があるということだ。


「ギャハハハハハハハハ」

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