第42話 編集会議


 さて、やるべきことは決まった。準備を始めなければならない。

 

 僕らが今晩過ごすのは、海沿いの家屋だ。マメに手入れする人間はいないらしく、窓という窓が割れているし、なんなら居室の床も砂埃で歩く度にジャリジャリと音が出る。まあ、吹き込む風は隣の家屋が遮蔽になって凌げる。それだけでも外で野宿するよりは全然ましだ。


 上司に連絡をするという道地君を別れて一足先に廃屋に戻ると、居室で秋葉がパソコンを弄っていた。靴は履いたままだ。僕を見るなり、「驚きました。ここ圏外じゃないんですね」と嬉しそうに報告する。

 

「え、そうなの?……じゃあ、ここは全く連絡無通の村、でもないのか」


 考えてもみれば当然かも知れない。<伝道師>である木戸は、儀式のやり方をインターネットを通じて広めていたわけだし。


「まあ、その代わり回線は非常に遅いみたいなんですけど……早速、さっきの話を<ヨミ>に送ったところです。冴羽さん、今頃悔しがってるんじゃないかなあ、自分が行けば良かったって」


 僕は作業する秋葉の前に腰を降ろして尋ねた。「で……実際どうかな? <ヨミ>で記事になるのかい?」


「勿論です!……センセーショナルですしね。絶対大きな記事になりますよ。なんなら世間を賑わせるかも……。今回の道中の話だけでも結構面白くなるんじゃないかな――そうだ!」秋葉は晴れた笑顔で手を叩いた。「今回の取材旅行は連載形式で行こう! というか、絶対連載にして貰います! 昨今賑わせる不審死で読者を惹いてぇ、ネットでも見られるようにしてェ……」


「商売に励むのは結構だけど」僕は夢見るような表情の秋葉に言った。「僕たちの素性は隠しておいて欲しいね。特に、道地君は現職の刑事だし」


「ええっ!? せっかくキャラが立ってるのに!? 現役女子高生に警官、正義のハッカーですよ!? 隠すなんて勿体ないじゃないですか!」


 僕は思わず苦笑した。確かに、取材旅行のクルーにしてはキャラが立ちすぎている。


「……秋葉さんは、根っからのオカルトマニアなんだな。<ミトリさま>の話、恐ろしいとは思わないのかい?」


「恐ろしいとは思ってますよ。でも、恐ろしいものは好きです。……というか、きっと殆どの人間は恐ろしものが好きなんだと思ってます。これは私の哲学なんですけど、怖い物見たさという感情は、多分本能とエンタメが最も交錯する感情なんだと思います。他人が死ぬ瞬間を見たい。他人が困っている状況を見物したい。ホラー映画にしても心霊体験にしても、いつも消費者は安全が確保された高見から見物がしたいんだと思います――ですが」秋葉はちっちと指を振って言う。「<ミトリさま>は違います。これは――高見に届く怪異ですよ。クラスで隣の席の人が<ミトリさま>かも知れない。隣の奥さんが<ミトリさま>かも知れない――<ミトリさま>を知った人々は、きっと日常が猜疑心に支配されるでしょうね」


「君は案外恐ろしいことを考えるね……」


「そうですか? でも、<ミトリさま>が知られることは悪いことばかりでもないと思ってます。だって、<ミトリさま>に呪われる人たちって、結局他人から恨みを買った人たちなんでしょう? だったら、<ミトリさま>の恐ろしさを知った人々は、――世間は、少しだけ優しくなるんじゃないかな」


 なるほど。秋葉は秋葉でどこかのネジが外れているということか。……まあ、それは随分前から分かっていたことだが。


「それは楽観的な想像と言わざるを得ないね――」僕は言った。「人を恨む理由なんて、何も怨恨だけとも限らないよ。例えば嫉妬心……成功した人間は、悪人であれ善人であれ、多くの人間に恨まれるものだ。もしかしたら、新婚の新妻が呪われた理由もそういうことかも知れないね」


「……確かに、そうですね」と意外とあっさり認める。「うーん、難しいなあ。私、昔から人の感情を考えてないって言われるんですよね。どうやって記事を書けば良いのかな」


「結局、<ヨミ>の読者にとって原始的な知性だとか、ネットワークだとかといった仕組みのことは知られない方が都合が良いだろう。彼らが知りたいのは、多分<ミトリさま>の恐ろしさと不透明さ、それと、どれだけ身近にあるか、なんだからね」


「そうですねえ。<伝道師>の話は面白いネタではあるんですけど。ちょっと、小難し過ぎるし、人によっては神秘性に欠ける印象を受けるかも知れないですね……」


「そうなると、伝えるべきことはシンプルだ。――<ミトリさま>の儀式。あれを書けば良い……いや、それどころか、あの<ミトリさま>の儀式に使う、あの奇妙な図式。あれをそのまんま掲載したって良いかもしれないね。人によってはタブレットや液晶に表示して、そのまんま儀式をする物好きもいるだろう?」


 秋葉は驚いたように目をむいた。


「南戸さん、<ミトリさま>を増やすつもりなんですか?」

 

「おかしいかい?」僕は逆に尋ねる。


「……いえ。……いえ、おかしい、と、思います。それは、一線を超えているような気も」


「だが書かないわけにもいかないだろう。伊代ならきっとそうするさ」


「まあ、そうなんですけど」秋葉はらしくも無く困ったように頭を掻いた。「だから、書き方に悩んでいたわけでもありまして……」


「悩むことは無い。秋葉さんも言ったじゃないか。<ミトリさま>が知られることは悪いことばかりじゃない――世間が、少しだけ優しくなるかも知れない、だろ?……まあ、僕はそうは思っちゃいないけど」


「じゃあ、南戸さんはどう考えているんです?」


「僕は、矯正するまでもなく世間というものはそれなりに優しいものだと思ってるんだ。優先席は譲るか座らない人が多数派だと思っているし、ポイ捨てをする人がいればゴミを拾う人だっているし、人の成功には素直に賛辞を送る人の方が多いと思ってるから」


 それから、僕は秋葉と<ミトリさま>の記事について、LINEで参加した伊代(応答はかなり雑音混じりではあったが)を交えて幾つかの相談をした。もっとも、僕に出来るアドバイスはそう多くはない。


 要は伝え方、なのだ。


 そして、夜が更けても及坂は戻ってこなかった。

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