第32話 北の霊地

 一度事務所に戻っていたという伊代と秋葉が庫裏に姿を見せた。秋葉の方は重そうな紙袋を両手でぶらさげている。中には幾つもの書籍が入っていて、北海道の古い地図帳を収録したものや、地域の歴史、怪談、風俗が示されているものらしかった。


 こうして、僕らは再び会議を始めた。

 

「ここ、何て読むんだ?」


「るいわ、だよ。アイヌ語由来の地名だね」


「<留巌>……」

 

 伊代と秋葉が、示し合わせるでもなく次々と書籍のページを捲り始めた。


「ここが、あの<ミトリさま>の話に出てくる漁村であり、伝道師の居場所でもあるんですね」


「地形的には一致しているようですね」秋葉が本を捲りながら言う。「間違いありません。<ミトリさま>に出てくる漁村は、実在していたんですね……」


「そんなの当たり前じゃない。今更何言ってんの?」


 秋葉と伊代のやり取りは無視して、道地君に向き直った。


「道地君、ここ行ってみよう」


「当たり前だ」


「そういえば、署の方は平気なのかい? 今日は朝から顔出してないでしょ」


「ああ。上にはマメに連絡入れてんだ。こいつでな」スマホを見せびらかすようにしてにやりと笑う。「確かに、こりゃは便利だな。地図も見えるんだぜ。……何はともあれ、こうして新妻の足取りに手が掛かってんだ。何も仕事をサボってここにいるわけじゃない。行くんならすぐに出るぞ。お前、今日明日は平気だろ?」


「勿論。……僕も暇なわけじゃないけどね」


 僕だって、既に調査期間に入っている案件を三件抱えている。だが、調査対象機器のデータ吸い出し作業には大抵一日中はパソコンにやらせているから問題は無い。


「よし。アシは車で良いだろ。山道を歩くことになるかもな……ちょいと準備する時間を入れて、出発は今日の夜でどうだ。諸々の時間を考えれば、<留巌村>には昼くらいで着くんじゃないか」


「オッケー」


 僕らは、早速深夜行の準備に取りかかろうと立ち上がった。そこで、「待ってください。私も行きます」と及坂が声を挙げてきた。


「及坂さん」


 そういえば流れで僕も行く気になっていたが、元々は及坂が伝道師に会いに行きたいと言い出して始まったのだった。むしろ、仕事で新妻の足取りを追う道地君よりも伝道師に会いに行く理由が希薄なのは僕自身だ。


「しかし、君はこの境内から出るわけには行かないだろう」


「そうだぞ。<もへもへ>に呪い殺されたいのか」


「……道地君。<くねくね>だよ」


 及坂は昨日の出来事を思い出したのか、一瞬目許を暗くした。が、「それでも、私行かなきゃいけないんです。呪い殺されたって……。お願いします。ナントさん、私を連れて行ってください」と言ってのける。


 僕は驚いた。一体、何が及坂を伝道師の元に向かわせるのだろう。


 考えてもみれば、新妻にしたって何故か死の直前に伝道師の元へ行っていた。――何か、彼女たちにしか分からない事情がある?

 何にしても及坂を連れて行くわけにはいかないだろう。幾ら決死の覚悟をしているとしても、大人としての分別は僕にもある。


 ところが、「私、どうしても行きます。……ナントさんに連れていって貰えないなら、私一人でも」と言い出したから困ってしまった。道地君も肩をすくめている。


「おい、なんとかしろよ」


 なんとかしろよと言われても。


 その時、廊下の方から今まで何をしていたのか、細く息を吐きながら義堂君が姿を見せた。


「やあ、こんなことになるんじゃないかと思ってたんですよ」


「義堂君。見ないと思っていたら、どこかに出掛けていたのかい」


「ええ。ちょっと宮ヶ丘の方に……向こうに伝手がありましてね。こいつを用意していたんですよ」


 そう言って、フライトジャケットのポケットから何かを小ぶりな包みを取り出して、及坂に渡した。よく見ると、それは以前僕が貰った厄除けみたいだ。


「これ……」及坂が戸惑ったように包みを見つめる。


「そいつは、前に進さんに寄越したような可愛いものじゃないぜ。本物の呪い返しだ。扱いには気を付けろよ。中身は絶対に開かないように」


「何だそりゃ。不動明王生霊返しか?」


 道地君ですら訝しんでその包みを見ている。


「いや、これはもっと憎悪的というか……アナーキーな品だ」義堂君にしては珍しく言葉尻がぼやけている。「正直なところ、俺にも流派は分からん。ただ効能は確かな筈だ。何しろ、本物の呪い師に頼んで拝借したもんだからな。それと、絶対に明後日の朝までには返しに来い」


「本物の呪い師だとぉ……?」とあからさまに嫌悪感を示した道地君を押しのけて、伊代が目を輝かせて呪い返しを持っている及坂の両手を掴む。


「素晴らしい。こんなものにお目に掛かれるとは思いもしなかったわ。中身は何が入っているの? 写真を撮りたいわ。よし、ここで開いてみよう」


 躊躇いなく包みに手を伸ばす伊代を、義堂君が慌てて引き剥がした。


「ちょ、ちょ、ちょっとちょっと伊代さん。話聞いてました? 開封厳禁ですって」


「ははは。冴羽さんはすぐに周りが見えなくなるんだから……」書籍のページを捲っている秋葉が呆れたように笑い声を挙げた。「今効果が無くなったら意味が無いじゃないですか。こっちに帰ってきてから開けば良いんですよ」


「いや、そういう問題じゃないっつうの。……兄貴、マジで伊代さんたちも行くのかよ?監視しておいてくれよ」


「……義堂君は来れないのかい?」

 

「ええ。俺は住職ですから。大事な仕事もありますし、寺を空けるわけにはならんのです」


 ショックだ。この面子の中では割と義堂君を当てにしていたのだが。仕事と言うのなら無理に頼むわけにもいくまい。


「あ、ちなみに<ヨミ>からは秋葉が行くよ。運転には慣れてるから、使ってやってよ」


「伊代も来ないのかい?」


 これは意外だ。伊代の性格からすると他人を押しのけてでも面子に加わりそうなものだが。


「生憎だけど、ここは秋葉に譲るわ。たまには冒険させないとね。それに今月の記事の締め切りも迫っているのよ。秋葉が抜けた分も私がフォローしておかないといけないから」


「私、出張ですかあ? しかもアッシー」

 

「別に私が行っても良いのよ。秋葉が私と同じくらいの仕事ができるっていうんなら。あと、私がいないからって碌でもないレポ寄越したら殺すから。今日は夜まで仮眠取っときなさい」


秋葉はしょげたように口を閉ざしてまた本を捲り始めた。と、そこで手を止める。

 

「……あ。<留巌村>――これだ。元々はその地域に住んでいたアイヌの人々がオホーツク海に船を出すために集落を作っていたものが<留巌村>へと発達したんだそうです。……西の幌延町の方面から流れてきたんですかね。山を挟んで隣の町は<チセプイワ>、今では<知勢富町>と名前が変わって、地域周辺のエゾマツなんかを伐採する林業で発達していたそうですよ」


「チセフに、ルイワ、な」道地君が秋葉の話を手帳に書き写している。アナログ主義を自称するだけあって、こういう所は案外マメなのかもしれない。「ちなみに、<留巌>は?アイヌ語の旧名があるんだろ」


「えーと、はい」秋葉がページを戻して村の名前を読み下した。「<ルルイワ>、ですね」

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