第27話 何だかくねくねしてるヤツ
どういう話法なのかは分からないが、義堂君が低い声で尋ねると突然空気が重く張り詰めた。決して嘘を許さないような緊張感が心臓を高鳴らせる。
「わ、私……何もしてません」
「もう一度聞くぞ。何をした?」
「私何もしてないっ!」
及坂が大声で言い返す。義堂君は射殺すような目で及坂を睨んだままだ。そうして、すとんと沈黙が落ちた。
やがて、寺の庭からカラカラと葉っぱの鳴る音が聞こえてきた。道地君がサッと障子を開いて「秋雨だぜ」と部屋の空気を無視して報告する。僕も、缶ビールを持って縁側の方に赴いた。見ると、針のような雨が紅葉に跳ねて丸っこく弾けているのである。
そう、秋雨なのだ。
思えば、この奇妙な事件――<ミトリさま>に関する出来事も、七月の始まり頃に道地君が僕の部屋を訪れたのが切っ掛けと言えば切っ掛けだった。それからなんやかやと二ヶ月が経過し、今や九月。この時期の札幌は、秋と呼ばれる冬の助走に掛かっている頃合いだ。
「おい義堂。女の子を虐めるのも大概にしておけよ。大体テメーの顔は凶暴なんだから」
「兄貴に言われたかねえや」義堂君は自分のスキンヘッドをするすると撫でて、そのまま太ももをパンと叩いた。「それにな。ハッキリ言ってこの娘は異常だよ。兄貴にも分かるだろ? 右足を現世、左足を幽世に突っ込んで立っているようなもんだ。」
「そう言われても、私、本当に何もしてないです」
及坂は涙声でそう言った。そのまま、流れ出た涙を制服の袖で拭い始める。
「私、本当に何も分からないです。真が突然あんなことになって、それに、<ミトリさま>のことだって……。私、どうしてこうなっちゃったんですか」
「どうしてって、だからそれをこっちが聞きたいんだがなあ」
義堂君は困ったように言う。流石に泣いている女子高生を責め立てる程胆力があるわけではないらしい。
「<ミトリさま>だよ。多分」
背中から温まり過ぎた空気が流れていくのを感じながら僕は言った。
「何です?」
義堂君が怪訝な顔でこっちを向いた。
「話しただろ。例のこっくりさんもどきのお呪いだよ」
「兄貴、マジで言ってんのか?」
「試しにやってみればわかるんじゃねえのか。なあ? やり方は分かってるんだろ?」
「分かってるけど……確か、死んで欲しいと思う人間の名前が必要なんだ」
「そんな罰当たりなことはできない。住職として示しが付かねえからな」
「俺も無理だ。殺したい人間が思い浮かばねえ。お前は?」
「僕は、そもそもそんな感情を持てるほど人間関係が広くも深くもないね……」
道地君が頭をポリポリ掻いた。
「――ま、大人の人間関係なんてそんなもんだよな。深く憎む前には関係なんかとっくに断ってるってもんだ。……そう考えると、椎葉が死んだのはある意味スジは通っているな。あいつが死んで喜んでいる政治家なんて山ほどいるだろうぜ」
確かに。僕たちの価値観からすれば、おまじないに縋るほど死んで貰いたい人間なんてそう思い浮かばないものかもしれない。それでも考えられるとすれば、関係を断ちたくても断つことが出来ない人間による怨嗟か。
「井崎――」苗字で呼びかけて、そういえば僕は井崎真の親戚であるという設定を際どく思い出した。「真はそれほど恨まれていた……? 関係を断ちたくても断てない関係……例えば、家族とかに」
「井崎の親か? 腹の中で考えていることは分からんな」
僕たちが悩んでいると、いつの間にか涙を止めた及坂が言った。
「私、真を見ました」
ふっと場の空気が冷えた気がした。僕たちが俯いている彼女に目を向けると、それをしってか知らずか滔々と話しを続ける。
「ナントさん、覚えてますか? 私たちがビルの隙間を突っ切ったとき、制服を着た人が私たちを追ってくるでもなく突っ立っていたこと」
「……ちょっと待った。そういえば、君はアレのことを人間みたいに話しているけど、僕にはなんだかグネグネと動く影にしか見えなかったよ」
及坂は眉を顰めた顔を上げた。
「グネグネと動く影、ですか? いえ、私には本当に、人間みたいにみえていたんですが……。あの制服を着ていた女の子、多分真だったんじゃないかと思うんです。少なくとも私にはそう見えました。それに、大通公園に断っていたスーツを着たおじさんも私に向かってニコニコ笑っていて」
「――なるほどな」
義堂君が得心した表情で太ももを叩いた。
「そりゃあ<くねくね>だよ」
「<くねくね>? それって、昔の怪談に出てくるあの<くねくね>のことかい?」
「ええ」
<くねくね>とは、ゼロ年代初期にインターネットの掲示板で誕生した怪談だ。主に川や田畑に出現して名前通りくねくねと奇妙な動きをする怪物であり、遠くからその形を見る分には問題ないが、双眼鏡や、近づいての目視でその様相を見てしまうと精神に異常を来してしまう――という話だったと記憶している。
「でも、あれってインターネットの都市伝説みたいなものだろう?」
「まあそうなんですが、あの怪談は謂わば<くねくね>の一種についての話なんですよ。人間ではない何かが人間に近づこうとするとき、動きを真似してああいう風に見えることは珍しくないんです。つまり、我々には同じ<くねくね>に見えてもその正体はその時々によって異なるんですよ。進さんが見たものも、人間にしては体の形が変だったでしょ?」
そう言われて思い出すと、確かに足が一本にくっ付いていたり、腕の長さが歪だった。
「確かに、そうだった……。しかし、及坂さんはどうして僕と違うものが見えていたんだ?」
「それは、及坂が進さんよりも<くねくね>たちとの距離がうんと近かったからでしょうな。無論、物理的な距離の話ではありません。分かりやすく概念を借りれば、存在としての距離が近い、とでも言いましょうか」
「存在としての距離が近い」――なるほど、何となく理解できた。
突然、道地君がスマートフォンを操作して及坂に画面を見せた。
「コイツは見なかったか」
及坂は目を細めて画面を見つめると、ちょっとしてから「あっ!」と声を挙げた。
「この人、見ました。私が声を駆けたら近寄って来て……。大通公園で! さっき話した、スーツを着ていたおじさんです!」
「やっぱりか」
僕は驚いて道地君を見た。
「誰なんだ?」
「椎葉だよ。アイツが死んだのは大通公園で応援演説中だったからな。もしかしたらと思ったんだが、当たってたみたいだぜ」
「おいおい、マジなのか? <ミトリさま>だって? はあ……」
義堂君は音を上げて立ち上がり、袋から出した新しいビールをカッと開く。
「馬鹿言ってんじゃないよ、全く。そんな妖怪だか都市伝説なんだか分からんものは俺の手に負えないぜ」
そう言ってごくごくと呑み込み始めた。
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