第23話 異世界転生?
世界が赤と黒に染まっていた。
初めは店の照明が急に落ちたのかと思った。が、すぐにそうでは無いことが分かった。乳白色だった天井もフロアも、色を反転したように黒ずんでいる。僕たちが座っていたテーブルに至ってはまるで墨を落としたような黒さだ。そして、さっきまで晴れた青空が見えていたウィンドウからは真っ赤な――夕焼けなんかよりも毒々しいほどに赤い空が道路の標識やガードレールに輪郭を落としている。
僕と及坂は、丁度今のように僕の右手を彼女が掴んでいる体勢でいた。彼女の握る力がぐっと強まった。見ると、怯えた表情で僕を見上げている。
「何をしたんですか!?」
「これは何なんだ!?」
及坂の金切り声に対して怒鳴り返すと「知りませんよ! 何をしたんですか!?」とまた及坂が声を荒げた。まるで今の状況を僕のせいにしたいみたいだ。
「何もしていない! こんなこと、僕に出来るわけがないだろ!」
一気に息を吐き出して、僕はようやく肺に酸素を戻すことができた。
変な話、混乱している及坂を見ていて僕の方は幾分か気分を落ち着いたようだ。
「ぼ、僕は何もしていない。急にこんな――空が、赤い……」
「そんなことはどうでもいいでしょう!?」
今度は掴んでいた右手を強引に振って数歩たじろいだ。
「わけ分かんないっ。何よこれ……門限なのに、怒られちゃう」
「及坂さん、少し落ち着くんだ」
「落ち着く? 落ち着く……はあっ! はっ……」
彼女は自分の胸に手を当てて、急速に無くなった酸素を口を開けて吸い込んだ。
「落ち着こう。取り敢えず。急に空がこんなに赤くなったわけは分からないけど……天変地異でも起こったのか?」
半ば癖でSNSで情報収集をしようとするが、スマホは圏外になっていた。通知には存在を誇示するように「今すぐ走って寺に来い急げ」というメッセージが残っている。まるでこの状況を予期していたように思うのは考えすぎだろうか。
「天変地異? 天変地異って何ですか?」
「地震とか、火山が噴火したとか」
「なわけないですよね。……ナントさんっ、人がいません」
悲鳴に近い声色でそう訴える。
言われて店内を見回すと、本当に今までそこらに座っていた人間がいなくなっていた。それどころか、彼らが席に置いていた鞄やカップも消失している。
僕の背中に冷たい悪寒が走った。
……まさか!
「僕のPCが無くなってるっ!」
他のテーブルだけでなく、僕たちが今座っていた席も綺麗さっぱり空になっていた。大慌てでテーブルの下、ソファの隙間、他テーブルの上下を調べたが、やはり何も無い。かがみ込んであちこち探しても見つからない。無い!
「僕のPCが無くなってるっ……」
途方に暮れて及坂に目をやると、呆れた表情でかがみ込んでいる僕を見ていた。
「そんなことはどうでもいいでしょう!……はあ、なんか、ナントさん見てたら少し落ち着いて来ました。自分よりパニクってる人を見ると落ち着きを取り戻すことって、ありますよね」
及坂は僕の腕を掴んで店の外に引っ張っていった。すっかり力を失った僕は、彼女のなすがままに引っ張られながらも素早くソファの隙間やレジの裏に視線を巡らす。
「そんな執念深く探したってないものはないんだから……ほら、出ましょう」
*
人も車もない道路はひどく整然としていた。何より雲も太陽もない赤い空である。まるで真っ赤な極夜だ。音も無い。それに、歩道のガードレールや標識、信号機のランプまでもが喫茶店の店内と同様に黒く色が落ちているから遠近感に強い違和感、というか不安感を憶えた。
それは及坂も同様らしく、さっきから僕の服の裾を掴んで離さない。
「どうしよう。きっと私たち異世界に来ちゃったんだ」
「異世界転生ってやつかい?」
「転生とは……違う気がしますけど……。『千と千尋』、みたいな」
「なるほどね。……僕には地獄に落ちた、と言う方がしっくり来るけどな」
「地獄――」
元々不安な表情だった及坂の顔が一層暗くなった。
「地獄に落ちたんですか、私。悪いこと、したのかな……」
「そうマジに取ることは無いよ。ただの妄想さ。あるいは、ただの悪夢かもしれないな」
僕は真っ黒な通りを恐らく大通公園に向かう方向に歩き出した。裾に噛みついていた及坂の指がパッと取れる。
「ちょちょ、ちょっと、どこへ行くつもりなんですか?」
「この喫茶店の前にいつまでいたってしょうがないだろう。取り敢えず、人気のある方面に行ってみようかと思って。もしかしたら人がいるかもしれないだろう?」
及坂が早歩きで僕の隣に追いついた。
「いなかったら、どうします?」
「寺に行こうと思う。洞照寺、知ってる?」
「お寺ですか?……ナントさんって、熱心な仏教徒だったりするんですか?」
「いや、これだよ」僕はSMSに届いたメッセージの画面を及坂に見せてやった。「僕の友人に寺生まれの刑事がいてね。ついさっき、この世界になる直前にこのメッセージが送られてきたんだ。期待外れかも知れないけど、他にどうしようも無いだろう?」
「寺生まれですか? なんだかそれって――ひっ」
突然及坂が僕の裾をビシビシ引っ張って大通公園外縁の木々を指差した。
「……?」
大体木々にしても黒くて濡れたような質感の葉に赤い光がまぶしているようで目が痛くなる配色をしている。しかし、及坂が示しているものがそれらの間から見えるものであることはすぐに分かった。
それは水の出ていない噴水近く、泰然と佇む人影だった。あの辺りは周りに物体も無く、自分の足下をじっと見つめて突っ立っている人間の輪郭だけがぼんやり大地の暗さに立ち上がっている。
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