第15話 呪術師

 すすきの銀座通りから細い路地に入り、外にむき出しになっている地下への階段を降りると、埋没するように軒を構える<北海小料理居酒屋 ふるき>の暖簾目の前にある。


 実は、ここが道地君が大学時代から行き着けている居酒屋なのだ。


 中に入ると、視界の右半分がキッチンを兼ねたカウンターになっており、左半分にはカウンターに沿って並べられた座席が並んでいる。狭く、座った椅子の背もたれが後ろの壁に擦れる程だ。


 奥の方に座っている道地君の隣に座り、今日の粗方の出来事を道地君に話した。


「ミトリさまねえ。話は何となく分かったが、結局それって学校の怪談とどう違うんってんだ。俺たちは放課後探検隊じゃないんだぜ」


「だから、ミトリさまの話は都市伝説ではなくて、事実としてあるんだよ」


 店内には僕らの他にはまだ誰もいなかったので、僕は周囲を憚らずに秋葉から聞いたことを話し始めることが出来た。


「とある道北の漁村の話なんだ――そこは長らく無医村でね。風邪一つ引いただけでも大変だったそうだ。何しろ、オホーツク海を目の前にする小さな村の背中には山脈が連なっていて、開業医がいる町まで、患者は一山越えなければいけなかったんだ」


「道北の漁村……」


「ところが、あるとき村人たちの前に二人の男女が現れた。二人は夫婦だった。いつの間にか村の外れの空き家に住み着いていて、しばらくの間は訝しがる村民達の目を憚るようにひっそりと暮らしていたそうだ。ところが……近隣に住んでいた漁師の妻が病に倒れて、状況が変わった。夫が漁に出ているときのことさ。よそ者の夫婦はその家からは食材を貰っていたりと世話になっていたことから、漁師の妻を看護することにした」


「よそもの夫婦ねえ」

 道地君は話を聞きながら首をごきごき鳴らした。

「どっかで聞いたような話だぜ」

 

「すると驚いたことに、二人の看護の手際と言ったら全く見事なもんだった。医薬品もないような村でありながら、山菜などを使って漢方薬まで拵えた。――そして、二人が医師と看護師だということが分かったんだ」


 それから、二人を取り囲んでいた村人たちの態度は一変した。何しろ、願ってやまなかった医師が現れたのだ。雨漏りのするような元空き家は村民達の手で立派な診療所に生まれ変わり、次々と現れる患者たちからはお金だけでなく食料が運ばれるようになった。

 こうなると、流れ者の女は元来の明るい性格を露わにして村人たちと一艘仲良くなり始めた。……男の方は、不気味な程の寡黙さを保ち続けていたが。


 村人たちの健康状態は流れ者の夫婦によって大きく向上したのだった。


 ……数年後、村の若い男が、急患が出たために山菜採りに出ていた流れ者の医師を探しに行ったところ、谷底に文字通り潰れていた人間の体を発見した。背中には男が山菜を採るときに使っていた籐の籠。

 事故だった。


 突然のことで大きなショックを受けながらも、それはそれとして急患はなんとかしなければならない。折り悪く、看護婦の方も山を越えた町の方に医薬品の買い出しに出ていた。


 そこで村人たちが目を付けたのが、診療所の棚に敷き詰められた漢方薬と、これまた棚の奥にひっそりと差し込まれていた一冊の手帳だった。それは、流れ者の医師が診療の際などに何か書き付けていたものだった。


 村人はこう考えた。もしかしたら、手帳を読めば症状毎にどの漢方薬を処方すれば良いのかわかるかもしれない。


 ところが、人々は手帳に書いてあったものを見て驚愕することになる。

 正確には、書いてあった文字を。


 ――朝鮮語を。


 男は、脱北者だった。

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