序列問答

 6月2日は、ロンバルディア教国の建国記念日とされている。

 この国の建国の母はソフィーとソフィアの双子の姉妹で、いわゆる術士奇譚に登場する梟雄セトゥゲルの腹心バルの末裔まつえいである。彼女らは術者としての力を用い、多くの人々を疫病から救って、絶大な名声を得た。折しも弱体化していた当時のアパラチア帝国を打倒しようとする一派が、この姉妹を担ぎ上げて新国家を樹立したのが、ロンバルディア教国の興りである。ソフィー・ソフィア姉妹の軌跡については、いずれ別に詳しく書くこともあるであろう。

 ちなみに24ある貴族家のうち、そのほとんどがこの革命運動を主導あるいは賛同した人々の子孫である。そのなかでも最大の功労者が四大貴族家に名を連ねるルモワーヌ公爵、ペドロサ公爵、トルドー侯爵、トスカニーニ侯爵で、彼らの先祖は教国開闢かいびゃくの際に四大功臣として称せられたほどである。

 さて、建国記念日は言わずもがな教国における重要な祭日のひとつであって、文武の臣下を集め、盛大に式典を開くのが恒例となっている。その目玉は、式の最後に予定されている女王から主立つ臣下への個別の慰労の言葉と褒賞の授与及び臣下からの忠誠の誓いで、この場合の臣下には王女も含まれる。

 当日。

 式典はまず神官長ファティマ女史の祈りと説教から始まる。悲痛なほどに長たらしい説教のあと、教義にのっとった瞑想が行われ、次に音楽隊による聖歌の演奏と合唱があり、さらに女王が代々伝わる権杖を手に玉座から数歩進み出る。そして臣下に言葉をたまわるのだ。

 マリエッタ女王はまず、プリンセスを呼んだ。可憐なカーテシーを受けたあとで、自ら歩み寄り、手を握って、にこやかな笑みで親しく声をかける。女王と王女という立場は互いに守りつつ、実に仲睦まじい様子がうかがえた。

 マリエッタはさらに枢密院議長サイモン伯爵、神官長ファティマ女史、女官長エリン、王立陸軍最高幕僚長セプルベダ将軍を順番に招き、型通りの挨拶をこなした。

 この場は、通例では女王が玉座に着座した時点で次に進み、神官長の閉会宣言で終わることとなる。だがファティマ女史は、マリエッタ女王が腰掛けたのを見ても、困惑した表情のまま、動けずにいた。

 カロリーナ王女へのお声がかりがない。

 参列者の誰もが、ファティマ女史と同様の心情であったろう。これも通例ではあるが、こういった場合は第二王女も第一王女と同等の待遇や儀礼を受けるものだ。第一王女と第二以下の王女とは、限りなく対等に近い関係なのである。無論、複数いる王女のうち誰かが女王となれば、それ以外の王女はその臣下となるが、一方で第一王女が無条件で次の女王となることが約束されているわけでもない。だから、少なくとも王女の期間は第一であると第二であるとを問わず、同等に扱うのが通例である。

「陛下は、カロリーナ王女へのお声がけを忘れられたのか」

 人々は誰からとなく顔を見合わせ、無言のざわめきを共鳴させた。ファティマ女史も、会場のそうした雰囲気のなかで、立ちすくんだように行動を起こせずにいる。

 彼女の視線の先にいるマリエッタ女王は、太った頬に朱色をさしのぼらせ、表情を変えずに黙っている。その顔色には、わずかの迷いもなく、満場の動揺と違和感を察知しつつ、それをことさらに無視しようとしているように見受けられる。

 すると突然、女王の近くから声が上がった。ブランシュ近衛兵団長である。

「陛下。プリンセス・カロリーナへのお声がけがまだでございます。プリンセス・エスメラルダと同様、何卒、ご懇篤こんとくなお心遣いをたまわりますよう」

 それは、この場に立ち会うすべての臣下の気持ちを代弁した言葉であった。だが、女王の次の言葉が、列席する人々の胆を冷やした。

「その必要はない」

 全員が驚いた。そのうちの何割かはその驚きが口から洩れ、特に老婆と言っていい年齢のエリン女官長などはやや大げさなほどに息を呑んだ。

 マリエッタはそうした反応を承知しつつ、顎を上げ、昂然と言い放った。

「プリンセスは余自身も同然の者。余にとってもこの国にとっても特別なお方である。余人と同様の扱いをすることはできぬ。また今後、プリンセスの呼称をエスメラルダ以外の者に用いてはならぬ。この国でプリンセスとは、プリンセス・エスメラルダただ一人であるぞ」

 この瞬間、プリンセスとカロリーナ王女とのあいだには、決定的な、文字通り雲泥のごとき序列の差が生じた。カロリーナ王女は、例えばサイモン議長やファティマ神官長、あるいは女王の筆頭小間使い程度の存在でしかないエリン女官長にすら劣る扱いを受けたことになる。母でもある女王と直接話すこともできぬまま、満座のなかでプリンセスと呼ばれることすら否定されたのだ。

 カロリーナは生まれてからかほどに悲惨な扱いを受けたことはなかったのであろう。顔は透き通るほどに青ざめ、膝がそれと分かるほどに震えている。

 プリンセスはやや表情をこわばらせ、彼女に接するときとはまるで別の人種のように厳しく冷酷な母の姿をただじっと見つめていた。

 恐れ入った様子のブランシュ近衛兵団長が引き下がり、それを合図にファティマ神官長が歯切れ悪く閉会を告げた。ブランシュ近衛兵団長の行いは、無論、マリエッタ女王とすべて相談の上での芝居である。

 この事件が宮廷と貴族社会に与えた影響は甚大であった。

 カロリーナ王女の実父で、居城であるトラモント城に戻っていたトスカニーニ侯爵は、懇意にしている官僚からの速報を受け取って、こめかみの血管がはち切れるのではないかというほどに激怒した。彼はその影響力のもとにある貴族たちと会合し、その席上でさかんに女王批判をぶった。いや、それはすでに批判などという建設的なニュアンスを含んだ議論ではなく、誹謗中傷と言えたかもしれない。

 トスカニーニ侯爵は自らはその居城に腰を据えつつ、徐々に自身に共鳴する貴族たちをひとつの大きな野党とするべく、勢力の扶植ふしょくと浸透を始めていった。具体的には、例えばトルドー侯爵家である。

 女王マリエッタと、トルドー侯爵家との間には容易ならぬ因縁がある。

 トルドー侯爵家の現在の当主はシルヴェストルという30代半ばの男で、妻はマルチーヌといい、夫妻のあいだにはフィリップという名の嬰児えいじがいる。

 この妻のマルチーヌは、以前は王族だった。すなわち前女王の第二王女で、現女王マリエッタの義理の妹、つまりは現在のプリンセスとカロリーナのような関係であったと言える。

 教国における王位継承の慣例では、複数の王女のなかから女王が選ばれた場合、ほかの王女は実家である貴族家に戻るなり、あるいはいずれかの貴族家と縁組を結んで、王族の地位からは外れることになる。第一王女であったマリエッタが順当に女王を継いだあと、彼女はマルチーヌに対する好意として、縁組先を探すのに奔走した。マルチーヌは義姉のマリエッタとは年が離れており、当時はまだ22歳の若さであった。

 マリエッタとしては容姿が衰え婚期を逃す前に、義妹の縁談をまとめてやりたいという親切心であったが、マルチーヌとしては王宮を追い出された、とひどく屈曲した物事の見方をした。しかも見つかった相手は名門の家柄とはいえ、すでに30歳を過ぎたあまり冴えのない男で、当時、年下の若い子爵家の次男坊に懸想けそうをしていたマルチーヌは落ち込み、義姉に対して一方的に恨み心を持った。

 以来、トルドー侯爵夫人マルチーヌは女王との私的な交流を完全に絶って、居城であるドランシーの館に引きこもっている。当主のシルヴェストルは、若い王女を妻に迎えられたというので有頂天になっており、その尻に敷かれているため、妻に同調して王家に対する忠誠心は低い。

 いまひとつ、重大な因縁が直近に発生している。

 トルドー侯爵シルヴェストルの末の妹はエルザといい、この年15歳になる。侯爵とは親子ほどに年が離れており、容色に恵まれ、深窓の令嬢として社交界では有名であった。幼少期の人間関係に問題があったのか、異常に内気で引っ込み思案な性格だったが、出自が名家であるから、養女の選定の際は有力候補と目されていた。

 それが最終的には理由も告げられずに除外されたので、侯爵も妻のマルチーヌも選定のプロセスに深刻な不信を抱いた。特にマルチーヌは、この一件も義妹に対する女王の嫌がらせであるなどとまで曲解した。

 もともとトルドー侯爵家とトスカニーニ侯爵家とは、同格の侯爵ということもあり、かつて激しい権力争いなどもあって折り合いが悪かったが、マリエッタ女王に対して不満を抱えているという点では重大な共通項がある。

 このためトスカニーニ侯爵は使者に贈り物と手紙を持たせ、トルドー侯爵へと送った。今すぐに叛逆を起こすわけではないにしても、女王に対する抵抗勢力同士で手を結んでおくことは、あとあとのことを考えても損にはならないであろうとの算段であった。

 水面下で貴族たちのこうした動きがある反面、王宮に務める官僚たちや、トスカニーニ侯爵に反感を持つ一部貴族たちのあいだでは、先述の「序列問答」によって少々風向きが変わったきらいもある。

「女王陛下のプリンセスに対するご寵愛は甚だしいものがある。プリンセスが未来の女帝となることは既定の路線とさえ言っていいのではないか」

「あの場の陛下のお言葉から拝察するに、プリンセスはもはやご自身も同然。カロリーナ王女はプリンセスの臣下となるべき身である、と言っているように聞こえる」

「聞こえる、どころではなく、明らかにそのような意図を込めての仰せだ。ブランシュ近衛兵団長は実は道化で、遠回しに世間に対して、プリンセスを次の女王として崇めるように命ぜられたのだ」

「次期女王は有力な後ろ盾があるカロリーナ王女かと思ったが、ところがどっこい、陛下はプリンセスをことのほかご寵愛なようだ。王位もいずれはプリンセスのものであろう」

「後ろ盾がないからこそ、ご寵愛なのさ。ご実家が強大な門地を持つ貴族家であるカロリーナ王女よりも、ご自身以外に寄る辺よるべのない天涯孤独のプリンセスの方がかわいく思われるのは当然であろうよ」

 口さがない宮廷の人々は、プリンセスやカロリーナ王女についてそのように噂をし、プリンセスを次の女王と見込んで、早期にその面識を得、機嫌をとり結んでおこうなどと考える気の早い者もいた。

 女王とプリンセスにより近い宮廷の官僚たちと、地方で力を持つ貴族たちは、はっきりと二元論で語れるほど分かりやすく分裂しているわけではないものの、そうした傾向は認められつつ、少なくとも表面的には平穏に、さらに一年を経過することとなる。

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