お披露目

 3月5日、先日の養女選定会議の参加メンバーは前触れもなく、女王マリエッタからの緊急召集を受けた。前回の会議で、5名の候補者が選出され、各貴族家と日程を調整し次第、女王と候補者の顔合わせを行うという流れになっている。女王の側から火急に相談すべき懸念事項があるとも思えない。

「本日、陛下が我々を呼ばれたわけとは」

 誰もがその点を不思議に思い、会議の前から議場のそこここで談合が行われた。養女選定に関し、最も深く噛んでいるはずのファティマ神官長でさえ、事情を知らないという。平素、マリエッタ女王は何事も臣下を頼り、独断専行をするということがないだけに、列席者のなかには常ならぬ事態に不穏な胸騒ぎを覚えた者もいたようだが、実際、現れた女王の口から発せられた言葉は、全員の度肝を抜くのに充分な衝撃を含んでいた。

「先日は苦労でしたが、この度、余は養女を迎え入れた。この国の王女でもあるので、みなに披露しておく」

 一瞬、座が大きくどよめいた。つい数日前、王女にふさわしいのは誰か、その選定と今後の段取りについて、ちょうど同じ面々で話し合ったばかりではないか。それが、養女を迎え入れたので披露しておく、などと事後報告のように言い出すとは何事であろう。

 臣下らの反応をよそに、マリエッタは手元の鈴を鳴らして合図をした。ブランシュ近衛兵団長にエスコートされ、部屋に姿を現した少女を見て、一同はさらに呆気あっけにとられた。

 まだ幼い。緊張しているのか、頬のあたりにこわばりが見受けられるが、シャンパンゴールドのドレスに身を包んだ姿には、自然な高貴さと上品さがにじんでいる。何より、座の異様な雰囲気にも負けることなく、大きく見開かれた瞳に、いじらしいようなひたむきさと健気けなげさがある。

 多くの者が、少女ながらに大人びた宮廷衣装を隙なく着こなすこの小さなプリンセスに、並々ならぬ気品を感じた。

 だが、感嘆の数がそのまま同意の数になるわけではない。

「陛下」

 ファティマ神官長が、先陣を切って言葉を発した。その響きには、詳細な説明を求める意図と、自分に何の下相談もなかったことに対する非難が明確に込められているように、マリエッタには感じられた。

 マリエッタは答えた。

「名前はエスメラルダです。みなにご挨拶を」

「みなさま、ごきげんよう」

 左右の裾をつまみ上げ、右足を後ろに下げ、背筋を伸ばしたまま、両膝を深く曲げる。それだけの動作が、まるでその少女のために生み出された挨拶であるかのように、優美に華麗に、人々の目には映った。

「あの方は、生まれながらのプリンセスである。幼くして、人の上に立つたたずまいがあった」

 多くの者が、後日になるとそのように述懐するものである。しかし当時の議場は、それほど少女に対する歓迎と好意で満ちた雰囲気ではなかった。

 ファティマ神官長は、少女の丁重なカーテシーに対し、表面上はにこやかに会釈を返しつつも、明らかに不満のある語調でマリエッタ女王に詰め寄った。

「陛下。養女の迎え入れは王家の大事ではございますが、同時に国家の大事でもございます。我々臣下一同にご相談なくお気の向くままに事を進められたのは率直に申し上げて遺憾に存じます。せめてどの貴族家のご令嬢か、迎え入れのきっかけなど、つまびらかにお教えいただけますと、我々も安堵できるのですが」

 まるで自分がこの場の臣下全員を代表しているかのような口ぶりであった。この時期、ファティマ神官長の権勢はときに政権の首座にあたる枢密院議長サイモン伯爵をしのぐほどであり、そうした意識と自信が、このような言葉の端々に表れているのかもしれない。

 ファティマ神官長の明らかな不快感を察し、マリエッタは少女を下がらせてから、あえて平然とした表情をつくって真実を打ち明けた。貴族家の出ではなく、孤児院で見知った娘である、いわばあれは拾い子だ、という真実を。

 再び、部屋にどよめきが満ちた。当然だが、そのほとんど、あるいはもしかすればすべてが、女王の判断に対して懐疑的な声であった。

 この国の貴族家は、成立事情が特殊である。その事情とやらは長くなるのでこの時点では省くが、少なくともその存在意義の重要なひとつが、後継女王の輩出である。女王は少なくとも在位中は処女で、我が実子を女王にすることはできない。そのための次期女王準備機関として、貴族家というのは機能しているのである。実際、マリエッタ自身もマリオッティ子爵家の出身であった。

 孤児院で見つけた、いわば得体の知れぬ馬の骨を拾ってきて王女なりと称するのは、力を持つ貴族家への配慮を欠き、場合によっては敵に回す行為であり、王家と国家にとっては害でしかない。

 まして、後継候補として選ばれた各貴族家にはすでに招待状を発している。彼らは事情を知れば、怒り心頭に発することであろう。

 ファティマがそれら反対意見をくどくどと並べている間、マリエッタはただ黙々とベニエを食していた。この数日、マリエッタにとっても変化やストレスが多く、その度に卓上のベニエに手を伸ばすので、彼女の口の周りには常に砂糖や蜂蜜の食べ残りがついている。

 反対意見のあれこれをようやく聞き終えたあと、マリエッタは緊張のあまり口元をぴくぴく痙攣けいれんさせながら甲高い声で告げた。これは、列席者の反対を想定して、マリエッタが予め考えておいた宣言であった。

「みなの懸念は分かりました。それはそれとして、エスメラルダは万難を排してでも、プリンセスとして立てます。今後、彼女に対してはプリンセスの称号で呼び、王侯の礼を尽くすように。従わぬ者は余に対する不敬とみなす」

 一方的に言い捨てておいて、マリエッタは席を立った。女王の意外かつ異様な様子に、一同は顔を見合わせ、やがていくつかのグループに分かれてひそひそと小声を交わしつつ、退出していった。

「陛下は、いかがされたのか。これまで、臣下の意見を無視して政策を強行するなど一度としてなかったが」

「今回のご決断が、臣下や貴族家とのあいだに無用な溝をつくらねばよいが」

「奇妙なこともあるものよ。もしやあの娘に、毒でも盛られたか」

 最後に発せられた悪意に満ちた憶測は、それ自体が不敬であるとして、さすがに発言者自身もばつが悪そうに口元を抑えた。しかし事実として人々の多くは、氏素性の知れない庶民の娘がプリンセスの称号を手にし、かつそれに対して絶対的な服従と礼節を強いられることを、決して喜んではいなかった。

 閉鎖的な旧弊に染まった宮廷人であれば、筋目の正しい貴族家の令嬢を王女として選出したいと望むのが、自然な行動原理でもある。

 彼らからすれば、女王の今回の行動こそ異常であり、いたずらに宮廷社会の和を乱す行いとしか見えない。

 そうした宮廷人の冷たい反応に、感性の鋭いプリンセス・エスメラルダは早くから気付いていた。議場から部屋へと帰る廊下で、彼女は随行のブランシュ近衛兵団長に尋ねた。

「私を養女として迎える件、みなさんは反対されるでしょうか」

「どうお答えすればよいでしょう」

 ブランシュは終始、穏やかな眼差しを彼女に対し向けている。そのあたたかい表情とやわらかい物腰が、彼女の一種の安心感を引き出したのであろう。

「ありのまま、お話しください」

「ではありのまま。確かに多くの政府高官が、反対されるでしょう」

「私のことで、陛下におつらい思いをさせてしまう……」

「今はそのことで、お心を痛められませぬよう。すべては陛下のご叡慮えいりょのうちにあることです」

「ありがとうございます、ブランシュさん」

 わずかな時間ではあるが、彼女はブランシュに対して信頼を寄せつつあるようであった。

 しかし、ブランシュは近衛兵団長として、本来は常にマリエッタ女王の傍らにあるべき存在である。慣れない王宮において心細い思いをするであろうプリンセスが相談役として頼ることは難しい。

 (誰か、信頼できる近衛をつける必要がありそうね。年も近く、ともに学び、ともに遊び、姉妹も同然の、肝胆相照らす無二の知音ちいんになれるような……)

 ブランシュは脳裏の人物鑑をめくり、思案した。そのような都合のいい人材が、近衛兵団にいたであろうか。

 (いた)

 あの者なら、とその者の顔を浮かべて、思わず笑みがこぼれた。

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