出会い
即位3年ともなると、この国の女王として優先的に取り組まねばならない課題がある。
後継者選びである。
即位直後は新体制の確立と安定に女王自身と官僚どもの熱量を傾けねばならないが、それが安定期に入ったときには、王朝の存続のためにも後継者を定めておかねばならない。女王自身に不慮の事故や急病があるかもしれず、確かな後継者がおらねば国が乱れる。
実際、直近では第60代女王ラウラが王女を立てぬまま即位後わずか4年で急逝し、次期女王をめぐり高官や貴族らのあいだで意見が対立し、このため半年にわたって女王が空位となった。
これが血統による世襲であれば、さほどの問題はない。人間のごく生理的な活動として子をなした上で、後継者はそのなかから選べばよい。養女をとるよりも手続きとしてはよほど自然である。血脈により王朝を保つというのは、一見、愚劣なように見えて、一定の安定性と合理性があるのだ。
だがロンバルディア教国にあってはそうはいかない。この国はその成立からして特殊であり、その特殊さを引き継いで、王は女性のみ、しかも女王を退位するまでは処女であらねばならず、自然、我が子を次の王として
歴代のどの女王も経験し、かつ頭を悩ませるのが、この養女の縁組というわけである。ある意味では、女王として最も重要で、最も責任の重い事業であると言えるだろう。
ミネルヴァ暦1378年3月1日。
この日は、女王マリエッタと、主立つ文官、女官長、近衛兵団長及び副兵団長、神学者らが一堂に会して、養女選定についての会議を行うことになっている。いわば、後継者選びのプロジェクト会議といったところであろう。後継者については懸案として常に全員の頭の片隅にはあったが、正式な場がもうけられるのはこの日が初めてである。
マリエッタは最前から憂鬱であった。感情的に不安定な方ではないが、気が乗らない公務も少なからずあって、そのようなときは決まって口に何かを入れたがる。
(また、ベニエを召し上がっている)
女官長のエリンは、女王のささやかな癖を目ざとく見つけては、人知れずため息を漏らした。マリエッタは王女の頃から、緊張したり、鬱屈すると、菓子を味わって、落ち着きを得ようとする。菓子は蜂蜜や砂糖をふんだんに使ったベニエと呼ばれる揚げ菓子が特に好物で、このため彼女は幼い頃から人よりも太っていた。もっとも、この時代はふくよかな体格の方が、貴族の豊かさを示すとともに、美しさの要素ともされていたから、これは別に問題はない。
だが、重要な会議の場でもしきりと菓子をつまみ食いしているというのは、彼女の幼少時からの世話係でもあったエリンにとっては、少々頭の痛い癖である。女王にもなって子供っぽい、と思う。もっとも、多くの高官や側近にとって、女王のその癖はもはや見慣れたものではあったが。
議長は、神官長のファティマ女史である。地味で謙虚な性格の者が務めることの多かった歴代神官長のなかでは珍しく、才能に恵まれた賢人で、特に弁論では並みいる顕官の誰にも負けないとされている。それだけに、地位と才を鼻にかける態度があり、同僚たちからは決して好かれていない。とはいえ、女王の養女選びに関しては神官長がプロジェクト長を務めるというのも、これは通例である。
「本日は、陛下の在位3周年記念式典に前後して予定されている王女冊立の儀に向け、その候補者選びを皆様とすべく、お集まりいただきました」
きびきびとしたファティマ女史の進行とともに、会議は順調に進んだ。判断材料は、この時点で多く揃っている。候補者10名はすでに神官と神学者で絞ってあり、その基準となるのはまず年齢で、6歳から16歳としている。幼すぎると資質が見極められず、成人していては
このあたりの下準備の手際のよさについては、さすが機敏なファティマ女史といったところであった。
候補者一人ひとりの評価が行われ、10名が5名にまで絞られた。
トルドー侯爵家のエルザ令嬢、15歳。
パストゥール子爵家のルイーズ令嬢、11歳。
トスカニーニ侯爵家のカロリーナ令嬢、8歳。
ロサリオ男爵家のミシェル令嬢、8歳。
チェーザレ伯爵家のコンスタンサ令嬢、7歳。
この段階で、最大の当事者であるべきマリエッタ女王は一言も発言していない。自分の養女を迎える検討を他人が進めているというのも妙な話ではあったが、とはいえ自分が能動的もしくは主体的に進めたいと思えるほどに興味のある事柄ではなかった。まず、自分が母親になるという実感がない。次に、彼女は子供が好きではなかった。
鬱々と、ひたすら皿の上のベニエに手を伸ばしている。結局、彼女は最後まで菓子を口に運ぶ以外で、その舌を使うことはなかった。
最終選考に残った5名の令嬢は後日、各貴族家の領地から王宮を訪問し、女王と直接、面談することとなる。その面談を通して、マリエッタ自身が次期女王の資格を持つ王女を選ぶのだ。
どうも、気が乗らない。
マリエッタは半日にわたる会議のなかで、16個ものベニエを平らげた。それだけが、彼女の仕事のようですらあった。
翌日、マリエッタは40名の近衛兵とともに、王宮を出て、国都アルジャントゥイユの5区に新たに建設した孤児院の視察に向かった。
(いい気晴らしになる)
王宮たるレユニオンパレスは、広大かつ壮麗な宮殿で、女王の住まいとして足らざるところはひとつとしてないが、人間という生き物は一つ所に留まればどうしても気が鬱屈する。久しぶりの外出は、マリエッタにとって気分を弾ませる要素に満ちている。
同行するのが護衛の近衛兵だけであるというのもいい。視察や巡察のたび、側近が補佐や情報提供のために随行するが、それは同時に口うるさいお目付け役でもあって、そばにいるだけで疲れてしまう。孤児院の視察などという政治的重要性の極めて低い案件であれば、側近もわざわざ同伴する必要もなく、近衛兵は単なる護衛役でしかないから、マリエッタとしてはのびのび過ごせるというものである。
この日、訪問することになっているのは、プエルトリャノ孤児院とセントロ・シエーナ孤児院の二つである。前者は午前中に、休憩のあと後者を訪れ、明るいうちに王宮へ戻ることとなる。
孤児院の視察は、子供の扱いに慣れないマリエッタでも、さほど難しくはない。孤児院での生活について尋ねたり、逆に王宮の暮らしを話したり、そのあとは絵本を読んだり、ゲームをしたりする。視察中の女王を取り囲むわけだから、問題のある子どもなどは予め除外されており、何かあれば孤児院の教師が助け舟を出してくれるので、気楽である。
(子供と接するのも、あしらい方に慣れれば楽なもの)
午後、セントロ・シエーナ孤児院では、院長や教師、そして30人あまりの子供が代表してマリエッタを出迎え、色とりどりの花束や贈り物、壁の飾りなどで歓迎した。
孤児院の大教室に移ると、まずマリエッタが自己紹介をする。
「みなさん、こんにちは。私は女王のマリエッタです。今日はみなさんの暮らしをよくするために、王宮から来ました。みなさんのお話を、たくさん聞かせてくださいね」
孤児院は、災害や疫病、もしくは貧困といった理由で、親や身内の手元で育てられない子供を預かる場である。それだけに心に傷を負った子供も多いが、この場には孤児院側もそのような子供はあえて出さないらしい。女王に失礼や粗相のないような、それなりに明るく利口な子供ばかりを集めているのだろう。
マリエッタの挨拶に、全員から大きな返事があった。
時間と話題が進むうち、彼女はあるひとりの少女に目を奪われた。その少女は活動的で
最後の自由時間になって、マリエッタは女王としての振舞いとしては異例なことながら、自らその少女のもとへ歩み寄り、膝を折って、名を尋ねた。
「こんにちは。あなたのお名前は?」
少女はにこにこしながら、
「女王陛下、お目にかかれて光栄です。私はエスメラルダと申します」
「エスメラルダ」
エスメラルダとは、宝石のエメラルドのことである。教国ではほとんど産出されない貴石で、緑がかった色合いに特徴がある。
「エスメラルダお嬢さん。あなたの将来の夢を聞かせて」
「女王陛下のお召し物のような、素敵なドレスを刺繍してみたいです」
マリエッタは一瞬、胸を打たれた。少女の言葉には、わずかな偽りも、追従も、打算も感じられなかった。それほど、少女の瞳にはけがれがなく、痛々しいほどに無邪気で、ひたむきであった。
この娘は服の仕立て屋になりたいのか、と思ったが、話には続きがあった。
「それから、お花を育てて陛下に届けたり、料理をして陛下に召し上がっていただいたり、陛下のお馬のお世話をしたりしたいです」
「何故、そこまで余のことを?」
「陛下がこの孤児院をつくってくださいました。私たちに、帰る場所と家族を与えてくださいました。大人になったら、陛下にたくさんの贈り物を差し上げたいのです」
「あなた、おいくつ?」
「8歳です、陛下」
内心で、マリエッタは驚愕した。8歳にして、これほど聡明で徳の高い人間が存在しうるのだろうか。
孤児院に収容されるということは、出身は貴族ではなく平民であろう。理由はどうあれ、引き取る親族もなく、この孤児院で同じ境遇の子供たちと慎ましく一枚の毛布を分け合って暮らしているに違いない。
そのような境涯にしては、凛々しい品格がある。卑屈でもなく、下品でもない。ごく自然に、女王であるマリエッタと対等に、しかしあふれるような敬意をもって接している。
さらに話したい、と思ううち、王宮に帰るべき時刻となった。公務の時間を貴重に感じたことのないマリエッタが、このときばかりはいたたまれない思いであった。
帰りの馬車で、マリエッタはついに声を出し、視察に帯同していた近衛兵団長ブランシュを車内に呼び入れた。
「陛下、いかがされました」
「今日のセントロ・シエーナ孤児院」
「えぇ」
「あの孤児院で話した娘ともう一度話したい。王宮へ連れてきてくりゃれ」
「あら、興味を引くお子さんでも?」
ブランシュは、近衛兵団長などといういかめしい肩書におよそ似つかわしくない穏やかな性格で、口調もひどくのんびりしている。その物腰は、有能な護衛役というよりは寛容な老婆というに近い。年も40に迫っており、この役職にあってはすでに老境である。
「名は、エスメラルダと言っていた。あの娘と、じっくり話してみたい」
「ようございますとも」
「側近に知られるとあとがうるさい。内密に」
「はい。で、いつ?」
「明日」
「明日、ですか。それはまた性急なことで」
「明日、必ず連れてくるように」
「はい、それではそのように」
女王とは、孤独である。孤独で、空虚で、無味乾燥とした時間だけが、流れている。
しかし少女との出会いには、彼女のその愚かしいほどの無彩色な時間のなかに、突如としてまぶしいほどに鮮やかな光をもたらした。
マリエッタは、ただひたすらに、その少女との再会を待った。それはもう、憧れの人を待つ少女のような
マリエッタのこの突飛な行動が、のちに彼女をして歴史のある面において偉大な王として輝かせることになったというのは、歴史の気まぐれさであり、無論、彼女自身も想像していなかったことであろう。
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