第6話 傘を忘れたひとみちゃん
その後教室に戻り、自分のリュックを背負って昇降口に向かう。宮田君は相変わらず私の横を歩く。いつまで一緒にいるつもりだろうか。たまたま一緒にいたクラスメイトと並んで歩く。それは彼にとっては何も特別な事じゃ無くありきたりな日常なのかも知れないけれど、私にとってはとても特別な事で。
1階に降り昇降口のある渡り廊下に出た時、
「あちゃ、降った来たな」と宮田君がやれやれと言った感じで零した。見ると確かにさっきまでギリギリ持ちこたえていた曇り空は、もうダメだと言った感じで雨を零しだしていた。ジメっとした空気が纏わりつき、雨の匂いもしだす。
昇降口までやってきて下駄箱からスニーカーを出し代わりに上履きを押し込む。とんとんとスニーカーのつま先を地面にノックしていると玄関に人影が見えた。
「あれ、佐野さんじゃないか?」
宮田君が言うように、確かに玄関で外を眺めながら突っ立っているのはひとみちゃんぽい。彼女は家の事があるからいつも私より先にとっとと帰ってしまう。それを少しは寂しく思いながらも仕方のない事だと諦めていた。そんなひとみちゃんがまだいるのだ。ひとみちゃんは空を恨めしそうに見つめながら途方に暮れているようだ。
「あれは、傘を忘れたんだな」
宮田君はそう言うとひとみちゃんの方へ歩き出した。私も関わった以上無関心を装う事も出来ず一緒について行く。
「佐野さん、傘忘れたのかい?」
背後から声をかけられたひとみちゃんは一瞬ビクっとしたけれど、こちらへ向きかえった。声の主の宮田君を認めると、一度だけ小さく無言で頷く。
「僕の折りたたみ傘使いなよ」
そう言うと宮田君は自分の鞄から黒い折りたたみ傘を取り出し佐野さんへ差し出す。
ほら、と言って差し出すけれどひとみちゃんは受け取ろうとしない。その訳は私にも解る。だって宮田君はそれしか持っていないから。宮田君自身はどうするのかと言う事だ。
「え? だけど、宮田君は?」
ひとみちゃんは戸惑いながらもちゃんと声を出して宮田君に問いかけた。ひとみちゃんは私よりも小柄だから首を相当曲げて宮田君を見上げる格好になる。
「僕は自転車通学だからカッパだよ」
そう言うと自分の鞄から今度は薄茶色のナイロン地のカッパを取り出した。だったら何故折りたたみ傘を持っていたのかと言う疑問は残るけれど、きっとこういうところが宮田君なのだろうと思った。
「……えっと、いいんですか?」
ひとみちゃんはそう問いかけつつもなおも傘を受け取ろうとしない。自分に向けられる善意の正体が何なのか判らずに戸惑っている様子だ。それは私にも理解出来る事だった。ここ数日の宮田君の優しさに戸惑ってばかりいる。
「気にしないでよ、明日返してくれればいいからさ」
宮田君がそう言ってさらに傘を押し付けるとひとみちゃんはようやくソレを右手で掴んだ。
「すみません。ありがとうございます」
ひとみちゃんはそう言うと顔を紅くし照れたようにフッと微笑んだ。
その微笑みに私達3人の周りの空気が緩む。
優しさの引力は万能で、どんな物も引き寄せてしまう。
それは例え固く閉じ込められたひとみちゃんの笑顔でさえも。
私の心にやわらかな花が咲く。その種はどこに植えられていた物なのか良く判らない。
「じゃあ僕、自転車だから。またね」
そう言うと軽く手を上げて宮田君は雨の中自転車置き場の方へ駆けて行く。その後ろ姿はとても男らしく、カッコよく見え、私は無意識にゴクリと息を飲んでいた。
残された私とひとみちゃんはしばらく宮田君の後ろ姿を見つめていたけれど、宮田君が校舎の角を曲がり見えなくなるとようやくひとみちゃんが私の顔を見た。私もそれに合わせお互い見合った。フッとひとみちゃんが私に紅い顔で微笑む。私も自然と笑みが零れた。
「かすみちゃん、久しぶりに一緒に帰ろう?」
うん、と小さく零しながら頷く。
「宮田君って良い人だね」
まったくだと思う。大きく頷く。
クラス委員だから。先生に頼まれたから。宮田君はそう言うけれど、きっとそれだけじゃない。彼の優しさは自然な物でそこにタネも仕掛けも無い。私にはそう思える。心に咲き続けている出所不明の柔らかい花は照れ臭そうに、だけど嬉しそうに揺れていた。
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