第2話 なにも好きでこうなった訳では無い
「なんか、空気薄くなってね?」
「うん、室温もちょっと上がったかも……ぷぷっ」
私が教室に入った瞬間に聞こえてきたヒソヒソ話。毎朝の光景。黒板の前にたむろする数人の男子生徒が私を一瞥すると楽しそうにはしゃぎ出す。教卓のある教壇は床より30センチほど高くなっていて必要以上に彼らの姿は目立つ。朝から私の姿を見かけただけで彼らの話題に上るほど彼らも暇なのかもしれない。開け放たれた窓から5月の乾いた風が入り込み、その妙な爽やかさが私を余計惨めにさせる。
悪意のある陰口は髪に引っ掛かった蜘蛛の巣のように私に纏わりつき、手で払いのけても今度は手に纏わりつく。巣の中心に佇む蜘蛛は巣に引っ掛かった私が弱るのをじっと待っている。決して自らの手でとどめを刺す事は無い。力尽きるのをじっと待つ。
とはいえ、先程の陰口は何も私に向けられたものでは無い。私に向けて言い放ったとバレる程彼らも愚かではないのだ。
私が教室に入った瞬間にたまたま空気が薄くなったようだし、たまたま室温も上がったようだ。原因は判らないけど彼らの中では原因が思い当たるのだろう。彼らの視界に入った物体が空気を薄くさせ、室温を上げたのだ。だけれど、それを彼らは口にしない。あからさまなイジメを行う程子供ではないのだろう。
彼らにそう感じさせたものは私の見た目だろう。身長150センチの割に体重は60キロ近くある。パッと見た目はデブ。クラスの数名が私の事を影で「ドラミちゃん」と呼んでいる事も知っている。あれくらい愛嬌があれば友達の一人でも出来たかも知れない。むしろ面と向かってドラミちゃんと呼んでくれたなら面白おかしく返せるかも知れないのに。にも拘わらず、私と同じような体型をした男子生徒が「ドラエもん」と呼ばれることはない。彼は明るくてひょうきんなキャラだからだろうか。
なにも好きでこうなった訳では無い。
子供の頃から太かった。小学生の頃は特に気にせずご飯も食べていたのだけれど、中学生になり流石に見た目を気にするようになった。食も細くし痩せようと努力はしたのだけれど、それでも一向に落ちない体重。
両親も太っていて、もともと太い家系なのだ。運動も苦手で部活にも入っていない。この見た目のせいで私の方から誰かに積極的に話しかける事も出来なくなった
高校生になり、いよいよこの見た目にコンプレックスを感じ始め、もともと内気な私には友達もあまり出来ず、大きな身体を小さくして日々高校生活を送っている。他人を不快にさせない様に、他人に嫌われない様にと努力してきたのだけれど、努力は万人に報われるものではないらしい。結局は冒頭のような陰口を叩かれる事になる。
デブは痩せている人より空気を吸うらしい。彼らはそう思っている。
デブは表面温度が高く大気熱を上昇させるらしい。彼らはそう思っている。
はっきりと判るような敵意を見せられたのなら対処のしようもあるという物だ。だけれど、冒頭の言葉も彼らの世間話であって私に向けられたものではない。そう、判らない様に会話しているのだ。本当に卑怯。彼らの言葉を聞いた周りの生徒達も、何故彼らがそう言ったのか判っているのに判らせない様にしているのだ。情報統制の取れた社会のように私に真実を漏洩させない。だけど多少は私の耳に入らないと面白くないのか、聞こえるか聞こえないかの音量で情報を発信する。
悔しい……瞼の裏が熱くなる。口を真一文字に結び、俯いて涙を零さない様にしながら教科書を机の中へしまう。
もう自分の声も忘れてしまいそうな感覚に陥る。幼い頃、近所の男の子と遊んでいる時の私はどんな声を出していたんだろう。どんな笑顔を彼に向けていたのだろう。家族にではなく、友達と会話するときの私の声はどんな風だっただろう。思い出の中には何故か自分の声は無く、幼馴染の楽し気な声があるだけだ。
「
不意に聞こえてきた穏やかで優しい声に振り向くとクラス委員の
おはよう! 宮田君! と、心の中で挨拶をし、実際は、ぎこちなくはにかむ様に作り笑顔を拵えて軽く会釈をする。
だけど正直、その優しさが怖いし迷惑だ。彼にとっては私もクラスメイトの一人なのかも知れないけど、彼はこのクラスで唯一無二の存在なのだ。彼から話し掛けられると周りの女子から刺さるような視線を向けられる。デブがイケメンと会話してんじゃねーよ。そう聞こえてくる。実際そう思っているのだろう。
「宮田君、おはよう!」
横から大きな声が聞こえてくる。宮田君が私に話しかけると必ず
”デブが宮田君と話してんじゃねえよ”
清香ちゃんの心の声が聞こえてくる。実際そう思っているのだろう。清香ちゃんごめんね、私だって話したくて話している訳じゃないんだよ。
そんな清香ちゃんだけど、実は小学1年生からの同級生だったりする。あの頃は仲良くしてたんだけどな。中学生になってから清香ちゃんはおしゃれになって段々と私達から離れて行った。
その後、彼女はやたらと序列を気にするようになった。いわゆるスクールカーストと言う物。常にクラスの上位にいる事を意識し始め、彼女のお眼鏡にかなった子はグループに入れてもらえる。それは高校生になった今でも変わらず、彼女は入学して2か月ですでにこのクラスの中心的グループのリーダーになっている。
私は太い身体をなるべく小さくして席に着く。
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