第28話 救ってくれる人

 駅の出口を出て周辺を見回すと、もう既に榎本くんの姿があった。

 駆け足で近づけば、私に気がついて笑みを浮かべる。


「待たせてごめん!」

「小松さん、おはよう。僕もさっき着いたところだから大丈夫だよ」


 今日は約束していたお店でケーキを食べる予定で、お昼過ぎにお店の最寄り駅前で榎本くんと待ち合わせをしていた。


 それにしても、榎本くんがよくある待ち合わせの台詞を口にしたけれど、あれって大抵優しい嘘なのだろうか。

 本当にさっき着いた可能性もあるし、こういうのは気にしないでスルーしてしまおうか。


「じゃあ行こうか」

「うん」


 榎本くんに連れられてたどり着いたのは、"KOS"という店だった。おそらく"コス"と読むのだろうが、聞き馴染みのないその言葉が何を意味しているのかはわからない。


 先に行くよう促されてドアを引くと、軽やかなベルの音が響いた。

 中に入ると榎本くんが言っていたように店内にはイートインスペースがあり、洋菓子店兼カフェに見えた。


 ショーケースの中にはケーキが並べられており、色とりどりの果物が宝石のようにケーキの上で輝いている。

 見目麗しいそれと並んで素朴な外見をしたケーキもあり、見たことのないもので溢れていた。


「その様子だと、気に入ってもらえたみたいだね」

「っ……!」


 ショーケースに並ぶケーキに夢中になっていると、横に来ていた榎本くんの距離が思ったより近くて体が固まった。


「あぁ、ごめん。近かったかな」

「だ、大丈夫」


 酸素が急に巡ってきたかのようにバクバクと鳴る胸に手を当てて、早く静まるように願う。

 そんな私に気づいているのかいないのか、榎本くんはずっと笑顔のままで気にしていないのが何だか釈然としない。


「さ、どれにする?」


 榎本くんの視線の先にはケーキがあって、私がどんな顔をしているのか気づきもしないのだろう。

 息を吐いてから気をそらすようにショーケースに目を向けた。


 改めて見ると、惹かれるものが多すぎる。聞いたことのない名前のケーキもあって、これでは決められそうにない。


「……おすすめは?」

「そうだね……レモンタルトはどうかな。以前食べた時、甘酸っぱくて美味しかったよ。でもどれも美味しいと思うから、小松さんが食べたいと思うものを選ぶといいよ」


 そんなことを言われたらもっと迷っちゃうじゃん!


 むしろ悩むことを後押しする言葉に聞こえて、聞かなければ良かったかもしれないとすら思う。


 おすすめされたレモンタルトはもちろん、白いモンブランに、メロンショートケーキ、聞き馴染みのないヴィクトリアケーキにトスカケーキも気になる。

 お腹の空き具合からして、そう何個も食べられないのが残念で仕方ない。


 なかなか決めることが出来ず、悩み過ぎてうなっていた私を、榎本くんが優しいまなざしで見ていることに気づくことはなかった。


 ようやく決まったケーキと飲み物を頼んで席に着く。

 初めて入った店内を見回していると時間は簡単に過ぎていき、店員さんが紅茶を持ってきてくれた。

 それぞれ小さなポットが置かれ、2杯分飲むことができるらしい。それから時間を置かず、ケーキが運ばれてきた。


 私が最終的に選んだのはレモンタルト。せっかく榎本くんがおすすめしてくれたし、普段は食べないのであえて選んでみた。

 こうしてガラス越しでなく実際に見ると、より輝いて見え、こんもりと盛られたメレンゲとレモンが乗った丸いタルトは見るからに美味しそうだ。


 一方榎本くんはメロンショートケーキを選んでいた。

 こちらもメロンとクリーム、スポンジのグラデーションが綺麗で爽やかな見た目をしていて、そっちも美味しそう。


 こちらを見守る視線を受けながら、フォークを手に取る。一口食べてその美味しさに目を見開いた。

 甘酸っぱいレモンにしゅわしゅわ溶けていくメレンゲがたまらない。

 メレンゲが盛られているから重かったりするのかと思ったら、さっぱりとした味だった。タルト生地のサクサクとした食感と、メレンゲのなめらかな舌触り、ふんわりと香るレモンの爽やかな香りでぺろりと食べれそうだ。


「美味しい。幸せ……」


 そう呟いた私に笑みをこぼすと、榎本くんはショートケーキにフォークを差した。



「後で焼き菓子も見てもいいかな?お土産に買って帰りたくて」

「もちろん!私も買っていこうかな……」


 ケーキが残り半分くらいになってから、榎本くんがそう尋ねてきた。

 しっかりとは見れていないものの、焼き菓子が置いてあるのは視界に入っていた。

 私も食べてみたいし、家族も喜んでくれるかもしれない。


「本当はプリンがあれば買いたかったんだけど、今日は無かったみたいだね。ここのプリン、栞が好きなんだ」

「そっかぁ……私も食べてみたかったな」


 プリンが好物な栞さんが好きなプリン、気になる。

 ちょっと遠いけど、また来ようかな。


 栞さんのことを考えていると、今日一緒に来れなかったことが思い返された。


 やっぱり、栞さんも一緒に来たかったな……


 榎本くんと一緒に行ってきてという言葉は、私と一緒に行く気はないのだと、それとなく伝えているようで、なぜか拒絶されたように思ってしまった。

 それが悲しくて苦しくて、胸が締め付けられる。


 絶対変な顔をしている。そう思ったら顔を見られたくなくてうつむいた。


「どうしたの?」

「……栞さん、一緒に来たくなかったのかな」


 心配をにじませた声がき止めていた何かを壊した。

 そうして一度こぼした言葉はとどまることなく溢れ出す。


「私、嫌われちゃったのかな」

「そんなことないよ」

「……ありがと。そうだったらいいなぁ」


 ああ、気まずい空気にしてしまったな。

 でもいいのだ。冷静になって考えたら、全て受け入れてくれるなんて、そんなことはないのだとわかるのに。私の理想を彼女に押しつけていただけ。


 結局まだ私は栞さんを通して未来ゲームの中の彼女を見ている。推しとしての彼女が忘れられないから。


 それがわかって良かったとすら今は思う。

 だから気にしないでほしい。そう口にする前にかすかに声が聞こえてきた。


「……あーあ。失敗しちゃったな」


 その声は周りの音に混じって消えてしまった。

 顔を上げると眉を下げて笑っている榎本くんが目に写る。私が何も言えないでいると、またゆっくりと口を開いた。


「僕が小松さんとふたりで行きたいって頼んだんだ。だから不満そうだったよ。顔もそう言ってた。それに家の用事があったのは本当だし」


 続けざまにかけられる言葉はどこか遠くで聞こえているようで、ただ呆然と聞いていた。

 榎本くんは一度口を閉じると、まるで言い聞かせるように、訴えかけるように話し出した。


「だから栞が来たくなかったんじゃない。そうじゃないんだよ」


 その声は心をじんわりと温めてくれているようで、体にも熱が伝わってくる。


 私は榎本くんに否定してほしかったんだ。


 そんな浅ましい自分に気づく一方で、安心してしまう心は止められず溜まっていく涙。今下を向いたら絶対に溢れてしまうだろう。


 榎本くんは不意に私の心を救ってくれる。

 前にも元気のない時に話しかけてくれて、心が少し軽くなったように感じたのに後になって気がついた。

 私の寂しいや悲しい気持ち、心が揺れた時がわかる能力をやっぱり持っているのかもしれないなんて思う。


「ありがとう、榎本くん」


 今もあなたのおかげで笑えている気がする。


「やっぱりそうしてた方がいいよ」

「え?」

「泣いてるより笑ってる方がずっといい」

「な、泣いてないけど?」

「ははっ、そうだね」


 からかわれて思わず睨んだような目で見てしまう。泣きそうだったのは本当だったけど。

 さっきまであんなにへこんでいたのに、今は笑えているなんてあまりにも単純だ。

 そんな私に、本当に嬉しそうに、優しく笑いかけるから調子が狂ってしまう。


「小松さん」

「……なに、むぐっ」

「美味しい?」


 榎本くんのショートケーキを口に突っ込まれた。

 顔を見ると、さっきまでの優しい笑みは影を潜めて楽しそうに笑っている。

 それもそのフォーク、榎本くんが口に入れたやつでは。


「美味しい……けど自分で食べれるから」


 気になっていたケーキが食べれて口の中は幸せでいっぱいだけど、ここはきちんと言っておかないと。

 私は気にしないけど、潔癖症の人だったら大惨事だ。


「こういうのはあんまりやっちゃいけないよ。大変なことになっちゃうかもしれないから」

「大変なこと……?」


 何も思い当たらないのか、きょとんとした顔を浮かべている。

 口に突っ込むくらいだから、榎本くんは全然気にならないんだろうな。


「たとえ近しい人でも口付けたものがダメな人もいるでしょ?」

「あぁ、そっちね。小松さんはダメじゃないの?」

「私は気にしないから」


 そう言ってカップを傾けていると、視線が突き刺さってくる。


「……これは脈無し、なのかなぁ」


 何かを呟き、頬杖をついて見つめてくる榎本くんに首を傾げた。

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