第9話 推しの弟と美術展

「おはよう、榎本くん。待たせちゃった?」

「おはよう。そこまで待ってないから大丈夫だよ」


 この日私は、推しの弟と美術館に来ていた。


 ────


 その経緯は、テストも終わり、もうすぐで夏休みとなる頃まで遡る。


 私が所属する美術部は夏休み中、主に週2で活動することになっていた。少し先の文化祭で展示する絵を描くためである。


 推しも同じ美術部に所属しているため、夏休み中も会える予定ではあるんだけど……


「え? 美術展に?」

「そう、どうかな」


 そう尋ねてきたのは推しの弟だった。


「……何で私?」

「栞とふたりで出かけるのはあまりしたくないし、栞は用事があるらしいから。ね?」


 近くにいた推しは、少し不満そうに息を吐いた。


「ええ、家の方の用事が少し立て込んでるの。でも、断ってくれていいのよ。ひとりで行かせればいいのだから」

「ひどいな。気になっていた美術展があったから誘っただけじゃないか」

「あの藤堂くんと行けばいいんじゃないかしら」

「藤堂は興味ないだろうし、絶対来てくれないよ」


 むちゃくちゃ言い合いしてる……

 推しは行かないのか、残念だな……と若干気が遠くなりかけていると、聞こえてきた私を呼ぶ声。


「小松さん。小松さんも興味ないかなって思ったんだ。だめかな?」

「いや、だめってことはないけど……」

「じゃあ一緒に行こう」

「え、あ」

「君と行ってみたいんだ」

「……うん」


 殺し文句。あれだよ、乙女ゲームでありそうな台詞だよ。

 これ、好きな女の子増えるやつ。それか恋愛詐欺とかされそう(失礼過ぎる)で怖いやつよ。気をつけないと、勘違いする子いるよ……

 というか完全に圧し負けた。私には断りきれなかったよ……

 遠くで開催してるならまだしも、近くの美術館で開催するから、あまり断る理由がないのである。


「はぁ……ごめんなさい。強引過ぎるわよね。後で注意しておくわ」

「いや、私も気になってた美術展だから」


 推しの姉としての片鱗を見た気がする。

 それにしても、彼は私と行っても楽しいのかな……

 自分を卑下してる訳じゃないけれど、あまり仲良くない人とふたりで出かけるのって、会話に困ったりするじゃない?

 行きたいところならなおさら、私だったらひとりで行っちゃうんだけどな……


 まぁ楽しみ方は人それぞれだからね。

 私は私で楽しみますよ。


 あ、でもちょっと待って。

 推しの弟とふたりって、男の子とふたりってことでは?

 ひぇっ……しんどい。

 彼が気にしてなさそうでまたしんどい。


「あ、そうだ。連絡先交換してなかったよね」

「わぁ!……そ、そうだね」

「交換しよう」


 急に声かけるのやめてもらっていいですか……


 この世界にもスマホはある。 

 私が中学生の頃は、携帯も持ってなかったな……

 みんな普通に持ってるから不思議なものよね……


 メッセージアプリの連絡先を交換した後、画面を眺める。そこには家族と友人。そして推しと推しの弟の名前がある。

 このスマホを操作すれば、いつでも推しと繋がれる。

 それは嬉しくて、少し悲しくて。

 遠い別の場所へと来たことを表しているかのようだった。


「小松さん? どうしたの?」

「え?……ぁ、いや、なんでもないよ」

「そう? ……じゃあまた連絡するね」

「うん」


 またね、と言って推しの弟は帰っていった。


 そういう訳で、彼と美術展に行くことになりましたとさ。おしまい。……となったら良かったのだけど、ここはゲームの世界である一方で現実でもあるため、そうもいかない。

 少し気後れはするものの、約束したのだから私も楽しめばいいのだ。


 それから夏休みとなり、課題と部活、そして趣味といった充実した日々を送っていた。


 そして今、待ち合わせ場所である美術館に無事に集合し、冒頭の会話へとつながる。


 いや、本当にふたりきりなんだよね。

 推しにもう一度来れそうにないか聞いてみたが、案の定無理だった。悲しい……


「小松さん、行こうか」

「うん」


 今回開催されている美術展は、世界的に有名な芸術家の企画展だ。滑らかな曲線と繊細な装飾が特徴的で、彼の描いた作品には独特の美しさがあった。

 そんな人気のある画家の作品が展示されることに加えて、夏休み中ということもあり、家族で訪れている人も多く、なかなかの盛況ぶりだ。

 もしかすると、県外から訪れている人もいるかもしれない。チケットがなかなか買えなさそうだ。


 そういえば、前の中学生の頃に自主的に美術館に来ていたかと考えてみたが、おそらくなかっただろう。たとえ入館料が無料だとしても、興味のアンテナがそちらに向いておらず、わざわざ足を運ぶことはなかったように思う。

 一度中学生を経験した私も、あまり美術館に来ようとは思わないため、推しの弟は一風変わった人であるようにみえる。

 この間知り合った藤堂くんとはまた違った不思議さがあるように感じた。


「何だか久しぶりに会った気がするよ」

「そうかな?」

「うん。夏休み中は、学校で見かけることもないからね」

「部活をやってるところが違うから会わないよね」


 美術部が活動する校舎と、剣道部が活動する体育館だと会うどころか見かけることもないのである。

 練習試合がある場合は他校に行ったりして学校に来ないこともあるだろうし、会おうとしない限り会えなさそうではある。

 まぁ別に会う予定がないためどちらでもいいのが本音であるが。


というか、あの運動会後から勉強会までも、同じくらい会っていなかったような気がするのだけど、私の気のせい……?


 そんな風に時折話をしていれば、館内のチケット売り場へと到着した。

 中学生は無料ということで、チケットを購入すれば(もらえば)観賞の時間。


 昨今は音声ガイドなるものがあるが、今回は遠慮しておいた。作者や作品について、時代背景や物語などの解説を聴くことでより深い理解につながるという、大変興味深いものである。だかしかし、600円程度と言えど、中学生の自分にとっては手痛い出費なのである。

 すまない、また今度会えたら会おう、音声ガイド。


 音声ガイドと別れを告げて、観賞を始めた。

 人が多くて混雑した通路を作品を観ながら通ることがなかなか難しい。じっくりと観たくとも、後ろから人がやってくるためあまり集中ができない。


 少し人が空いている空間でひと息つく。

 そういえば、彼はどこにいるのだろうか……

 周りを見渡してもその姿は見えない。

 ……諦めて歩みを進めることにしよう。


 観て回る中で目に止まったひとつの作品。

 この時、その周りには人が少なかったが、まるで吸い寄せられるように近づいた。

 それは星をテーマにして女性達が描かれており、色彩豊かではないものの、細やかな描き込みがされているようだった。

 私はしばらくその作品の前に呆然と立ち尽くし、魅入られていた。


「気になる?」


 小さくもはっきりとした声が耳に届き、驚いて声を上げそうになった。

 反射的に振り返ると、思ったよりも近くに推しの弟が立っていた。


「ごめん、驚かせちゃったかな」

「いや、大丈夫……」


 びっ……くりした……!

 別に大声じゃなかったけど、すごいはっきりと聞こえるから、思わずというか……


「本当にごめん。あまりにもじっと観ていたからさ」

「……そんなに?」

「うん……吸い込まれそうだった」


 そんなにか……

 きらきらとしたような、華やかな作品ではないかもしれないが、とても惹かれたのは確かだった。


 それからしばらくして次の作品の元へ向かったが、最後にもう一度目に焼き付けるように振り返った。それは、先ほどの静けさが嘘だったかのように、人で溢れて見えなくなっていた。


 ───


 それから人の波は収まったのか、入り口付近よりゆったりと観賞することができた。

 先ほどとは違い、常に近くには推しの弟もいるようだったが、特に話しかけてくることもなかった。


 出口付近にはショップがあり、作品の写真や解説が載ったカタログの他に、絵はがき、クリアファイル、お菓子なども売られていた。


 私はあの魅了された作品が忘れられなかったため、それを含んだ絵はがきと、クリアファイルを購入した。

 彼も何か手に取っていたようだが、何を買ったかはわからなかった。


 私と同様に彼も電車で帰るようで、駅までの道のりを一緒に帰ることに。


「小松さんは今日楽しめた?」

「うん、楽しかった。参考になるし、来て良かったよ。榎本くんは?」

「うん、とっても楽しかったよ。新しい発見があったからね」

「そうなんだ……?」


 新しい発見とは?

 まぁ楽しめたのたら良かった。ほとんど一緒に回ってなかったけどね……

 途中で見失ったから気にせずひとりで楽しんでたよ……


 一緒に来た意味はあったのかという疑問は残ったものの、推しの弟とのお出かけはこれにて終了した。

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