中編
203号室の扉前に案内されるなり、
「なにしてるんですか?」
「掛田さん、鍵はまだ開けないでくださいね」
亜子は結局、二本のヘアピンをL字型に曲げ使い物にならなくした。そして扉前で屈んだかと思えば、鍵穴にヘアピンを差し込み、しばらくカチャカチャと動かし始める。突然の奇行に掛田が絶句していれば、
「あ、開いちゃいました」
ガチャンと鍵穴が回り、扉はあっさり開かれてしまう。亜子がそのまま何食わぬ顔で入室していくのを、掛田は終始呆然と眺めていたが、はっと我に返っては慌てた様子で亜子の背中を追いかけた。
「1DK、バス・トイレ別、エアコン完備、室内に洗濯機置き場……」
ローファーを玄関で脱ぎ捨て部屋に上がった亜子は、スマホを開き、不動産屋のホームページに載った情報と目前に広がる部屋の状態を照らし合わせている。
「あっ、そうだ。ネット回線はどうなってますか?」
「アパートで契約しているWi-Fiが使えますよ」
振り返りざま亜子がたずねれば、掛田はすかさず答えた。
そうですかと小さく頷けば、今度はリュックサックを床に下ろし、中からドライバーセットを取り出してくる。
「なにしてるんですか? そろそろ器物破損罪で訴えますよ」
「この場合は器物破損罪ではなく、建造物損壊罪に該当すると思います」
「と思います、じゃなくて……」
「壊しません。元通りにします。万一のことがあれば賠償します。今から盗聴器と、盗撮カメラが設置可能な箇所を調べていきます」
わずかに言葉尻を強めても、亜子はドライバーを片手に平然としている。
亜子は宣言通り室内をぐるぐる回りながら、設置された家電のコンセント部分をネジ開けたり、家具の隙間や壁をのぞいたり、黙々と盗聴器を探している。いや、現物を探しているというよりは、そういった良からぬ物を置けそうなスペースがどのくらい存在しているかを調べているようだった。
「……ふう。なるほど」
窓を開けベランダまで調べ尽くしたところで、ようやく亜子は手を止め足を止め、本題へと自ら切り出した。
「203号室については大体わかりましたので、掛田さん、次は他の部屋の住人について教えてくださいっ! 直接お会いすることができるんですか?」
掛田はキッチン前に置かれた机へ亜子を座らせると、
「聞き込み調査は今回はできません。日中はほとんどの住人が外出してますから……情報量が住人によって偏るのもフェアじゃありませんしね」
そう言って掛田は、亜子の目前にあらかじめ用意してあった資料を広げた。
資料には各部屋で暮らす住人の顔写真と、大まかな個人情報が箇条書きで記されてあった。合わせて五人、その全員が探偵だ。
101号室──
およそ二十人規模の大手事務所に属しており、陽一は事務所内でも大ベテランにして一番の稼ぎ頭らしい。警察との顔もかなり利くほうで、しばしば刑事事件の捜査にも参加している。
102号室──
事務所には入らず個人で探偵業を営んでいるが、優れたルックスと人柄で女性人気が高く、迷い犬や猫の捜索から尾行調査まで、東京内外を走り回る売れっ子らしい。おかげでアパートを数日空けることも多く、言わば幽霊住人の状態だ。
103号室──
副業でミステリー作家をしており、あらゆる犯罪のトリックを瞬時に見破るという、探偵を名乗る者らしいエキスパートだ。警察の捜査だけではお蔵入りになりかかった事件を解決へと導いた回数も少なくないとか。
201号室──
IT系企業に勤める夫と同居しており、顧客の大半は女性で、業務内容もほとんどが浮気調査らしい。最近ではSNSを駆使した広報活動にも精力を上げていて、オンラインイベントを主催しながら新規顧客の獲得に貪欲な姿勢を見せている。
202号室──
このアパートに最も長く住んでおり、業界歴もおよそ五十年という重鎮だ。もっとも、探偵の仕事は数年前に引退したらしく、今では部屋にこもりめったに顔を出さないという。
亜子が住人の資料すべてに目を通すまで、大体五分くらいの時間を要しただろう。彼女がこのアパートに入居するためには、五人の候補からアパートの大家を探し当てなければいけない。
「……う〜ん。掛田さん、なかなか無茶言いますね?」
亜子は資料から目を離すと、壁に寄りかかっていた掛田を見やった。
「それじゃあ、当てて良いですか?」
「はい。ぜひ亜子さんの推理をお聞かせください」
ニコリと綺麗に笑いかけた掛田へ、亜子は少し間を空けてから真顔で答えた。
真相のすべてを見通したと言わんばかりの、確信めいた瞳で。
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