第四話


 暗くなった空からは、ちらちらと白いものが降ってくる。

 ところどころネオンの光で本来の白い色に、さまざまな色が投影されて、綺麗だけれど、それは随分人工的だ。

(やっぱり、寒くなったなあ)


 一仕事終えて街中に戻ってきたら、既に時計は十一時をまわり、深夜に差し掛かっていた。

 夜のステージを終えた後、そのままコートを羽織って『仕事』に向かったので、今日のウィステリアは歌い詰めだったのだ。

 調査員エージェントの仕事にしたところで、彼女は獄卒のパフォーマンスを上げるために、その声の力を最大限に発揮する必要がある。

 彼女の声は敵対する囚人を鎮め、弱らせ、味方の獄卒の精神や肉体のコンディションを良くして、能力を底上げする。

 もちろん相性というものもあるわけで、効くか効かないかは相手にもよる。ウィステリアが何人か契約している獄卒は、そうした相性が比較的良い人物を選んでいる。

(疲れたけど、何事もなくて良かった)

 今日はクリスマス・イブだが、忙しくてそれどころではなかった。忙しない年末感だけが沁みる。

 キラキラのイルミネーションが眩いが、ウィステリアには、どこか遠い世界のようだった。

 まだ空から白いものがちらついている。上を向いてため息をつくと、息も白くなる。

 本当に寒い夜だ。

 そんな風に考えていると、

「あー、クソ寒い! ちょっと運動した程度じゃ、ぜんっぜん暖まらねえ!」

 という情緒も疲れも吹っ飛ばすような、不平の声が背後から聞こえた。

 そして続く、きゅきゅっと宥めるような声。赤い小さなだるまみたいなモノアイのロボットが、彼のそばを浮遊しながらたしなめる。しかし。

「なんでこんな寒い日に、仕事行かなきゃならなかったんだよ。ちいっ、エモノも手応えねえしー! 最悪だな! なんだよ、もっとやべえヤツの時に呼べよ」

 あんな雑魚、誰でも倒せる、と彼はいう。

 やれやれとウィステリアは肩をすくめた。

「あたしだって、いきなりお願いして悪かったとは思ってるのよ」

 ウィステリアは振り返って言った。

「でも、旦那しか頼めなかったんだもの。一応、居住区のフェンスの中だし、唐突な囚人発生。しかも結構強い。街は夜も賑わってるし、早急に退治する必要あり。人助けだと思って……。ねえ」

 背後にいる男は半ば無視している。

「とにかく対応できるのは、ユーさんしかいなかったから」

「ユーさんはやめろっつってんだろ」

 さらっと言ったつもりが聞き咎められる。背後にいる男、ユーレッドはむっとしていた。

 普段は話を聞き流しているくせに、こういう話にだけ反応が早い。

(相変わらず、態度悪いなあ)

 ウィステリアはため息をつく。

(ファッションセンスもどうかと思うけれど、本当に態度悪い)

 今日も例の白いスーツに赤いシャツ。街中を歩く時は、夜だろうと、ピンクの混じったレンズの、丸いサングラス。

 ハンカチとネクタイは、一応季節を意識しているらしく、クリスマスカラーだ。というか、真緑のネクタイは、多分クリスマスツリーそのものが描かれているらしい。

(シャツとネクタイが完全に反対色……)

 と思ったが、口に出すのはやめておいた。この間、謎の花柄のジャケットを着て、黄色と黒のネクタイ締めていた時よりマシな気がする。

 彼は獄卒。

 ユーレッドというのは通称だ。

 獄卒UNDER18-5-4が彼の正式名称である。

 獄卒の彼は、管理局が汚泥による汚染と、その変異した怪物の囚人の脅威から防衛するために、苦肉の策として導入した不死身の使い捨て兵士の一人だ。その人権無視な倫理的にも問題のある肉体改造や運用から、その対象になるのは重犯罪者が多く、本人達も人格に問題のあるものが多い。

 しかも、簡単に死ねないために、何度も蘇生させられては戦場に送り込まれる生活を送るため、精神的な疲弊も多く、耐用年数が五年と言われて久しいが……。

 そうした獄卒の中でも、多分、このユーレッドは例外だと思う。

 ウィステリアが知る限り、その男は五年以上は獄卒をしている。つまりそれぐらいの間、ウィステリアも彼と付き合いをしているということ。

 それは、それだけ、彼が強いということでもあるのだが、それだけでなくて、なんとなく普通の獄卒とも思えないユーレッドだった。

 素行が悪いので評価は常にUNDERだが、彼の場合、何となく点数調整をして上のクラスに上がらないようにしているフシがある。その辺、上層部も把握しているようで、彼はけして評価が上がることもないが、マイナスの限界を超えて懲罰を受けることもない。裏で蓄積された計上されないポイントでもあるのだろう。

 実際、ウィステリアとて、彼を普通の獄卒だと思っていないからこそ、こうして特殊な任務をお願いできるのだけれど。

 正式な秘密保持の契約をしていない獄卒で仕事の依頼ができるのは、彼だけだ。

「いいじゃない。報酬も出るし、評価もちゃんとつくわよ」

「は? 俺は今日はツイてたんだぞ! せっかく勝ってたカードゲーム中断させやがって! しかも、俺は今日は徹夜明けでー……」

「勝ち逃げの口実ができて良かったでしょ?」

「ぬ!」

 ウィステリアの鋭いツッコミに、ぐっとユーレッドが詰まる。ウィステリアが肩をすくめると、スワロがきゅきゅーと同意する。

「ねー、スワロちゃんもそう思うでしょ? そのままやると絶対負けてたと思う。旦那、あんまり博打強くないじゃない」

 スワロがウィステリアの肩に来て、きゅっと鳴きながら、チラッとユーレッドを見やる。よくぞ言ってくれたと言わんばかりだ。

 形勢が悪くなり、むうっとユーレッドが唸った。

 仕方なく、うっすらと話を変える。

「で、でも、な、なんで俺なんだよ。公式の戦闘員コマンド寄越せよ」

「中央局の戦闘員はそんなに腰が軽くないの。それに騒ぎになる前に討伐しないといけないし……、ってなると獄卒の人に頼むのが早いのよ」

「俺じゃなくてもいいだろ? ほかにもどうせ契約してるやつ、いるんだろうが。呼びつけろよ。報酬は経費で落ちるんだろ?」

「そりゃいないわけじゃないわ。でも、他の獄卒に頼むと大変なのよ」

 とウィステリアはため息をつく。

「旦那以外にも、もちろん、こっちで契約してる人はいるけれど、彼等も獄卒だからね。追加でお金払えって言われたり、体で払えって言われたり。しつこく口説かれたり、面倒なことはたくさん……」

 と言いかけたところで、なぜかユーレッドがむむっと反応する。

「は? なんだ? そんなこと言うやついるのか」

 むっとユーレッドが眉根を寄せる。

「そりゃあいるわよ。相手は獄卒だもの。倫理観怪しい人が多いの、旦那だって知ってるでしょう?」

 とウィステリアはため息をつく。

「なんだかんだ、旦那はそういう意味では安心できるからね。旦那の仕事の後の憎まれ口くらい可愛いくらいよ」

 それに、実際問題、ユーレッドは優秀なのだ。正規に計上した討伐成績だけでも、エリア屈指のエースであるユーレッドは、やはり強い。

 彼は、今日の標的を雑魚だと評したが、それは彼が並外れた手だれであるからで、並の獄卒であれば、ウィステリアの能力で支援してもそれなりに苦労はする相手だ。

 今回は居住区の中に入り込んでいる囚人でもあったので、その対応は迅速かつ秘密裏に行う必要がある。もし市民に勘付かれたら、パニックになる危険があるのだ。寧ろ、囚人が活性化する深夜、人の気付かぬうちに始末するには、ユーレッドは最適の人材である。

 そんなユーレッドは、ウィステリアの気も知らず。むむむー、と、さらに眉根をよせる。

「ウィス」

 と、なぜか真剣な口ぶりだ。

「何?」

「今後はそういうやつとの契約は打ち切れ」

 いきなり何を言い出すのか。

「そうしたいけど、旦那が手伝ってくれないと彼らに頼る必要もあるし、契約は上でしてるからあたしがどうにかするものじゃないわ」

 そうこたえると、ユーレッドは盛大に舌打ちした。

「ちッ! なんなんだ、お前の上官。セクハラクソ野郎放置しやがって!」

「あたしだって、だからユーの旦那に最初に電話してるわけよ」

 ウィステリアはため息をついて、ちょっと俯く。

「いいわ。別に払い除けられない相手じゃないし。旦那が本当に嫌なら、今度から別を当たるから、断ってくれても良……」

「俺は嫌とは言ってねえ」

 ぶすっとしたままユーレッドが言う。

「そんなやつ頼むくらいなら、仕方ねえからやってやる。今後は、そんな奴らには絶ッ対頼むな。もういい、雑魚も厄介なのも、全部俺に持ってこい」

「えっ、でも」

 そこまで言われると、ウィステリアの方が困惑してしまう。あんなに面倒くさがってたくせに。

「でもでもなんでも! 俺がやればいーんだろ! いいぜ、全部頼んでこい!」

 ユーレッドはなんだか不機嫌になりつつ。

「ふん! 断れねえようにしやがって!」

 ユーレッドは、苛立たしげだ。

「どうせ、エリックのやつだろ、そういう小細工すんの! クソ、アイツ、そうすると俺が断らねえと思って! 女ダシに使うなって、何度言ったらわかんだよ、あの人でなしのクソ野郎があ!」

 ユーレッドはそう吐き捨てると、キリッと切り替える。

「……って俺が言ってたって伝えろ! いいか、絶対、今度殴るって言っとけ!」

(ホント、エリック様とどういう関係なのかしらね、この人)

 ウィステリアの上官にあたるエリックは、それはとてもとてと偉いヒトであるのだが、何故か底辺獄卒の筈の彼と面識があるらしい。

 ウィステリアとしては、そこは当然気になる部分なのだが、エリックにもユーレッドにも、その辺のことはなんとなーくうまくはぐらかされていた。結局、ウィステリアはいまだにその関係がわからないのだったが、なにか訳はあるのだろう。

「まったく、アイツは、優しい顔して、やることえぐいんだよ。ヒトの気持ちが、わかってねえ! なあ、スワロ!」

 ユーレッドは、そばのアシスタントのスワロの同意を求めるが、スワロは自分も大概な部分のあるご主人に半ば呆れた様子だ。

(そう、このこもスワロちゃんなのよねえ)

 ウィステリアは、改めてユーレッドを見やる。

(本当にネザアスさんに似てるのよね、この人)

 同じ名前のアシスタントがいるだけでなくて、彼は本当にあの奈落のネザアスに似ていた。

 痩せた背格好も彫りの深い顔立ちも。

 声はユーレッドの方が掠れてしゃがれ、ハスキーだけれど、声質だって似ている。

 違うのは、この態度の悪さくらいなものだ。

(それが一番違うのだけれどね)

 有能だった黒騎士ネザアスの複製コピーは、たくさん作られた。

 フォーゼス然り、公式の強化兵士の白騎士にも採用された。あのユーネだってそうだったかもしれない。

 非公表の情報だが、獄卒用に造られた複製品クローンにもそういう劣化コピー同然の存在はいる。

 ユーレッドが、そのどれに当たるかはわからない。

 だからこそ、ウィステリアは彼が本当は何者なのか、いまだに知らない。

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