31.獣は夜空に夢を見る —夏祭り—-2

「良い子ねえ、タイロくん」

「ふん、うるさいだけだ」

 ユーレッドは、なにかと素直でない。

 喫茶室には、ユーレッドと彼女の二人だけがぽつんと残されていた。

 最初はそうだったし、今更何を意識することもないのに、なんとなく気まずい。

 朝の夢の記憶が、不意にウィステリアによぎるのだ。

『とりあえず、一回聞いてくれ』

 ネザアスはそう言っていたけれど。

「そういえば、七月もそろそろ終わりね」

 沈黙にたえかねて、ウィステリアは何でもない会話を振る。

「んー、そういや、そうだな。通りで暑いわけだ」

「ええ」

 ちょっとだけ間が開く。

「な、なんだよ、何か七月に特別なことあるのか? し、七月は、ええと。お前は卯月の魔女で、七月つーと、あのイノアって娘っ子だろ?」

 今度はユーレッドの方が話を振ってきた。

「関係なんかあるのか?」

「いえ、そうではないんだけど。昔いた、灯台の島がね」

「ああ」

「しずんだのも、七月だったなって」

 ふとウィステリアは、自然と口にした。

「あの島で、ある人と暮らしてたの。ある人? 彼が人かどうかはわからないけど、とても可愛い愛嬌のあるひとでね、一年位一緒にいたわ」

 ユーレッドは珈琲カップをおく。

「とても、幸せだったの。あたし、子供の頃にとても幸せな時期があったけど、それ以降はあんな幸せはもう二度とないと思ってたのに。彼と一緒にいて、とても幸せだった」

 話している相手が何者か、予想がついていながら、ぽつんと呟いてしまう。

「いつか、帰ってくるって言ってくれたのに、結局、彼は戻ってこなかったなって、ちょっと思ってたのよ。彼は、ネザアスさんと違って生きてるはずなのに」

 死んでいるはずのネザアスらしき、彼に近しい方の誰かは戻ってきたのに、ユーネは帰ってこなかった。

「あたし。彼に無理をさせたんじゃないかって、やっぱり時々思う。どうするのが、彼にとって一番幸せだったんだろう」

「あのなァ」

 ユーレッドのハスキーな声が、話を遮るように割り込んだ。

 彼の声はネザアスよりも、つぶれている。どうやら怪我の後遺症らしい。

「ウィステリア」

 きょとんとした彼女に、ユーレッドは気怠くため息をつく。

「あのな。俺はこういう話は、その、軽々しくしねえ主義なんだ。そういう、ガラじゃねえからよ。でも。その、いい加減、話さなきゃならねえかなと、思ったから」

 急に左手だけで頬杖をついて、そんなことを言う。

「だから、聞き逃しても二度と言わねえ。ちゃんと聞いとけ」

 いきなり、何? と言いかけたウィステリアを前に、ユーレッドはハスキーな声で静かに告げた。

「昔々、この土地には海があった」

 急に昔語りを始めた彼に、ウィステリアは驚いてしまった。

「黒い澱んだ海だ。上空から泥の降り注ぐ、黒く澱んだ、しかし、とても快適な温暖な海だった。その海、島に入江があって、そこに、一匹の獣が棲んでいた」

 彼の語りが続く。

 その左目が、ウルトラマリンの赤をたたえる。


 黒い澱んだ、その海に棲む獣は、一つ目の化け物だった。体は溶けていて、ただの黒い塊。

 獣は自分がどうしてそこにいるのか、わからなかった。目が覚めると、海の底で泡を眺めていた。記憶がない。

 でも、海の底は綺麗な場所で、空の青が透けてとても美しかった。


 孤独だったが、別に寂しくはない。同類の泥の獣が、いつだって狙って襲ってきていたから。それを返り討ちにするのは、良い暇つぶしになったし、弱肉強食のルールは単純でわかりやすい。

 獣にとっては、そこは天国だった。

 ただひとつ、昔のことを何も思い出せない他は。

 時々、フラッシュバックするように、カケラが思い出された。

 昔飼っていたのに、どこかにいってしまった、近くにいる気がする小鳥のこと。

 はじめのはじめにカミサマとした、大切な約束のこと。

 そして、小さな娘に情をかけて、お前のことをカミサマから守ってやるよと約束したこと。

 どれもが断片的でモヤモヤしたものさ。

 それを自覚するのは、とても苦しかった。思い出せないからな。体も痛くなった。

 その気持ちを晴らすのに、獣は美しいものを見にいった。


 その一つが灯台の人魚だ。

 灯台には、ニンゲンが派遣されてきていた。その中に、必ず人魚がいた。なんのことはない、ひらひらした衣装を着た特別な女。まだ世間では、その娘のことを、魔女と呼んでいたな。

 断片的に覚えていた絵本の記憶で、獣はそいつを人魚だと思った。ひらひらの衣装がとても似ていた。しかし、人魚は人を魅了するほどの歌を唄うはずなのに、誰一人として唄わない。

 獣は不服だった。王子に恋するあまり、魔女に声を奪われた人魚なのかなと思ったほどに。

 人魚は何人か入れ替わり、しかし、誰も歌わない。そのうち、儚く美しい人魚がやってきた。

 獣は美しい彼女に惹かれたが、彼女は泣き続けて島の周囲を毒で汚してしまった。かわいそうに思ったが近づけなかった。

 そうしている間に、人魚はいなくなった。

 心配しながら、島の周囲をうかがっていたある夜、人魚が見えた。

 帰ってきたのだ、と思って様子を遠くから伺った。獣は醜い姿をしていたから、彼女に姿を見られたくなかった。

 人魚の歌声が聞こえて、獣は感激した。

 その人魚の歌声があまりにも綺麗で、その声に惚れ込んでしまった。声を聞くと、忘れた記憶も痛む体のモヤモヤも、全て忘れてしまえる。

 人魚の歌声に魅入られた獣は、毎日彼女の歌を聴きにいった。


 しかし、転機が訪れる。

 ちょっとしたミスをして、敵に縄張りに侵入されてしまった。歌に聞き惚れて、うたた寝してしまったせいだ。

 人魚を襲われてしまった。

 慌てて獣は彼女を助けたが、人魚に姿を見られてしまった。嫌われると思っていたが、彼女は獣を拒否しなかった。

 それは奴にはさぞかし、嬉しかったんだろうよ。獣は、彼女のそばにいることにした。

そして、幸せな生活が始まった。

 やつが、夢から醒めてしまうまで。

 それが、お前も知っている、少し苦い結末の物語だ。


 でもな、実は双方、隠し事をしていた。

 人魚の側も奴に隠し事をしていた。

 歌う人魚は、あの儚い毒の涙を流す人魚に獣が惚れ込んだと思い込んでいた。嫌われるのが怖くて自分は彼女ではないと言えなかったらしい。

 馬鹿だよなあ。獣はそりゃ、頭良くはなかったし、目も悪かったんだが、獣は歌う人魚に惚れ込んだんだ。その歌声が好きになり、娘を守ることにしたというのにな。


 一方で、獣だって隠していた。

 獣は、人魚が好きらしい男を知っていた。種火の部屋にある写真の男だ。その男とそっくりな軍人に、彼女がぼんやりときめいたのを知って、正直妬けた。

 そんな折にひょんなことから、写真の男の残したナノマシンのカケラを飲み込んじまってな、獣は写真の男にどんどん似ていく。


 で、だ。

 

 ここから、お前は知らねえ話。

 ここからは、お前の知らない物語なんだ。


 獣は、な、実は最初から人の姿にはなれたんだよ。

 いや、完璧な姿ではない。色が黒く染まってしまうし、多少歪みが出てしまって、人の姿というにはアレだが、顔なんかは大体できあがっていた。

 獣はあらかじめ、自分の人としての姿がどうなのかを知っていたんだ。

 

 そして、その姿は、娘が好きなあの写真の男とよく似ていた。

 それをあらかじめ知っていた。

 だってよ、考えてもみろ。

 獣の姿のあいつを、人魚は可愛がってはくれたけど、アイツは化け物でしかないわけだ。その醜さはよくよくわかっていた。

 人間の姿になれたら、人魚はさぞかし喜ぶ。で、シャワー浴びた後、そいつは試していたんだよ、折に触れて。どんだけ人間に近くなれるかってさ。

 やってみたら、不完全ではあったが、それっぽくはなれた。

 だが、どう頑張っても、写真のアイツに似てしまう。多分、それが元のそいつの本性だった。

 

 そんな折に、アイツの残骸を食ったことで、もっと完璧に人になれるようになったが、その姿は確実に写真の男そのもののようだった。ま、元の体が壊れててな、右側の再現率が低かったけど。

 で、獣は、人魚が自分が写真の男の影響でこの姿になったと、そんなふうに思っていることをそのまま利用してしまった。

 本当のことが言えなかった。

 なんでかって?

 獣はな、その、な、人魚に好かれたかったんだ。

 だが、自分が本当にその写真の男に似ている、ってことを、利用したくなかったんだよ。

 な、なんで、って?


 それは、その、お前、いやあの人魚がな。


「惚れてる男に似てる顔って理由だけで好かれても、結局妬けるから、だよ」

 ユーレッドは、若干視線を外しつつ言った。

「だって、その、卑怯だろ。その男に似てるの利用すんの。おりよく、なんか似てるフォーゼスとか言うやつが目の前に現れててよ、獣だって焦ってたんだ。多分、うまく人の姿になったら、今より好いてもらえる。それが奴に似ていればより。でも、それは、卑怯だし、自分を好きになってもらったわけじゃねえから」

 ウィステリアは黙っている。

「で、でもだな。ネザアスのナノマシンの影響で、どんどん奴に近づいてると思い込んだ馬鹿な人魚のやつがな、勝手に罪の意識に苛まれて凹むから、っ、最終的にそっち利用したみたいになって、い、言い出せなくなったんだよ! どっちに転んでも卑怯みたいになるから!」

 ふうとため息をついて、彼は続けた。

「そのな、帰ってこなかった、のは、それ言わなきゃならんのと、っ、それとその、まあ、言わなくても俺のこと、わかってんのかなと」

 ユーレッドはもごもごという。

「わざわざ、口に出さなかったのは、……は、恥ずかしかったからだよ! あんな、あの時は、何もわかんねえから、ちょっとその、服とか言動とか、なあ」

 わかるだろ? という彼は、いつのまにか真っ赤になっていた。

「だから、その、ユーさんとか、そう呼ばれるとダメなんだ。思い出すからっ!」

 呆然としているウィステリアをおいて、ユーレッドは立ち上がる。

「そんなに、まだ気にしてるとか、思ってなかったから。基本的に、自分勝手なやつなんだよ、アイツ。だ、だからよ、いい加減、そんな悪い奴のこと、もう忘れろよな」

「あ、ま、待って!」

 そう言って逃げるように立ち去ろうとしたところで、ウィステリアが後ろからぐっと彼のジャケットを掴んだ。そのまま抱きしめられる形になり、ユーレッドは危うく倒れそうになる。

「お、おい?」

「本当、悪い、ひとよね」

 ウィステリアはふるえる声で、ぽつりと呟く。

「う……」

「でも、まだ、持っててくれたんだ」

 ユーレッドは、未だに胸ポケットに藤色の髪飾りを差している。それが視線の先にあった。

「お守りになるから、これからも忘れないで」

「ぅ、あ、あ、ああ。ま、ぁな」

 ユーレッドは歯切れが悪い。

「でも、戻ってきてくれてよかった。おかえりなさい、"ユーさん"」

 潤んだ瞳で彼を見上げて、ウィステリアがそういうと、ほんの少しユーレッドが優しい目になった。が、

「た、ただいまとか、俺は言わねえぞ」

 とボソリと言う。

「俺は、その、ユーネじゃねえからな。そんな、ぼ、ぼやっとした名前で呼ばれんの嫌いなんだ。あ! 公共の場でのネザアスもダメだからな!」

「ふふっ、わかってる」

 謎の抵抗をする彼が、いかにもそれらしくて、ウィステリアは思わずふきだす。

「わかってるよ。でも、話してくれて、ありがとう」

「ああ」

 そういうと、ユーレッドがふと安堵した顔になり、そっとウィステリアの頭に手を置く。

「ごめんな」

 ぽつんと消え入るほどの小ささで、ユーレッドの謝罪の声が聞こえた気がした。

「おれ」

 しかし。

「ただいま戻りましたー!」

 どばーんと扉が開き、浴衣を抱えたタイロが戻ってくる。

 ぎゃあっ、と声を上げて慌てて離れるユーレッド。ウィステリアも反射的に、赤面して目を逸らす。

「あれっ、もしかして、お邪魔な感じでした?」

 タイロは、何事かに感づきつつ、

「お邪魔なら外に出ますけど」

「そんなわけねーだろ! おお、俺とこの女にそういう関係はねえの知ってんだろ!」

「あー、妹みたいな感じでしたっけ?」

「い、イモートっつーか、まあ強いて言うならそうかな」

 ユーレッドがもごもごと言い淀む。

「とにかく、俺が、つまずいちまって、ああなっただけなんだ! なんでもない!」

(ぐっ、なによ。本当のことだけど、そこまで否定しなくて良くない?)

 ちゃんと話してくれたので、見直したばかりだが、なんだかすごくムカつく。

「タイロくん、アイスカフェラテ飲むわよね。ユーの旦那はお代わりでいいわね!」

 不機嫌に、しかし、気分転換にそう言ってウィステリアは、とりあえず二人に珈琲を差し出すのだった。

 タイロの見繕ってきた浴衣は、なかなか前衛的センスだ。ちょっとヤンキー感もある骸骨柄の帯と浴衣自体もそんなふう。が、そこは渋めに抑えられる要素もあり、ユーレッド的にもお気に召したようだ。

「お前、マジでセンスいいな! この浴衣、かっこいいじゃねえか」

「でしょ! ユーレッドさんにぴったりです。あんまりヤカラっぽすぎてもダメだけど、要素は欲しいですもんねー」

 タイロはズバズバそう語りつつ、アイスカフェラテを啜る。

「いや、ウィス姐さん、これ美味しいです。ご馳走様ですー。あまーい。夏バテが回復するー」

「インスタントだろ、どうせ。何ありがたがってんだかー」

 ユーレッドが皮肉っぽくいって、自分の珈琲を啜りかけて、むっとする。

「ウィス、俺のに砂糖入れんなっつったろ!」

「あら、ごめんなさい。タイロくんに入れたからつい。間違えちゃったかな?」

 そういえば、イライラしていてシロップを間違えて入れた気がする。

「はァ? 俺が甘ったるいの嫌いなの知ってて、わざとだろ。俺はブラックしか飲まねえってあれほど!」

 ユーレッドが絡むと、ウィステリアは挑発的ににやりとする。

「なあに? 嫌がらせされる思い当たりでもあるの? ユーの旦那」

「む」

 何かの意図ある視線を感じてか、一瞬ユーレッドが動きを止める。

 今日の彼は、とにかく立場が弱い。

「ちょっと、喧嘩はやめてくださいよー」

 タイロが素早く割って入る。

「ユーレッドさん、ダメですよ。こういうのは、感謝が大切です。作ってもらったらありがとうですよ」

「なんだ、お前、急に」

 きゅ、とスワロもユーレッドを咎めるように鳴く。

 ウィステリアは、ふと、あれっと声を上げた。

「でも、確か、旦那って、ひどい味覚音痴でしょ? よく甘いのわかったわね?」

「俺が味わからねえっていつの話だ!」

 ユーレッドは完全に臍を曲げてしまっているが、それでも、一応その甘ったるい珈琲は飲んでいる。

「流石に今はこれくらいわかるっつーの。極端なやつならな」

「へえ、そうなのー」

「そうだよ。あー、甘ったるい! 口直しにちゃんと作ったやつ持ってこい」

「ユーレッドさん、偉そうなのはダメですよー」

 タイロがやんわり懐柔にかかるが、

「いいのよ、タイロくん。いつものことだから、ちょっと待ってて。珈琲切らしたみたいだから、倉庫から取ってくる」

 そう言って、ウィステリアは扉から外に出た。

 そして、そこで扉に寄りかかって立ち止まる。

 部屋は防音処理がちゃんとなされているが、それは扉が確実に閉まっている場合だ。ほんの少し開けた扉から、二人の会話が聞こえた。

「ダメですよー。ユーレッドさん。女の人は怒らせると怖いんですよー。ここはお礼を言ったり、まるくおさめなきゃーです」

「お前、餓鬼のくせに、そこんとこ世渡りうまいな」

「ヤスミちゃん、怖いですからねー。自然と教育されました」

「マジか! お前、意外と苦労人だな」

 タイロとユーレッドの、そんな会話が何故かほのぼのと響く。

「良かった」

 ウィステリアはそっと胸の前で手を握った。うっすら涙ぐみ、噛み締めるようにつぶやく。

「今は、味、わかるんだ」



 いつのまにか黄昏時。

 着付けを終えて外に出ると、ユーレッドの瞳のような黄昏の空。

「シャロウグの花火は大規模で巧みなんだよなー。もともとテーマパークしてた時の花火師の系統があって、見応えあるんだぜ」

「へえ、そうなんですか! 知らなかったなー」

「後で手持ち花火してもいいよなー」

 あれだけ興味がないと言っていたユーレッドだが、案の定詳しい。明らかにソワソワしており、楽しみで仕方ないのが傍目にわかる。既にテンションが高い。

 謎の骸骨柄の入った派手めの浴衣を着ていたが、センスはどうあれ本人にはよく似合っている。そんな彼の肩には、ピンクの兵児帯をリボン結びにしたスワロが鎮座していた。

 隣には可愛らしい愛嬌のある青年。

 そして、彼のそばにはいつのまにか黒いコートを着たドレイクが、静かにメンバーに加わっている。

「それじゃ、ヤスミちゃんとの待ち合わせのとこまでいきますよー」

 そう言って二人を先導する。

 すでに人出が多い。

 花火大会は、海の見える場所が危険な荒野側にあるため、川近くで行われる。

「屋台、たくさん出てるといいですね。ドレイクさんは、イカ焼きとか焼きそば食べますか?」

「ふむ、焼きそばか。やぶさかではない」

 ぼそりと答えるドレイクだ。彼にもそんなふうに話しかけられるのか。

「えっ、お前、そんなもん食うのかよ! 初耳!」

「イカ焼きも食べぬでもないが、海産物の生焼きは好みでない。焼きそばの方が食べる」

「えっマジかよ!」

「焼きそばおいしいですよねー。わかるー」

 なんだか物々しい二人を連れたタイロはいつかの誰かみたいだ。

(やっぱり、幸せそうだな)

 ウィステリアはふと安堵する。あそこには自分は入っていけないけれど、と思っていた時、不意にタイロに呼ばれた。

「ウィス姐さんも早く。人が少ないうちに写真一枚撮りますよ」

 タイロは、スワロにシャッターを依頼している。スワロは、自分が浮かぶ反重力の動力を利用して、軽いものから浮かせられるのだ。スマートフォンが浮いている。

「えっ、あたしも入っていいの?」

「当たり前ですよ」

 タイロは言う。

「こういうのは、みんなで楽しむもんですからねっ。もちろん、俺もヤスミちゃんもユーレッドさんもウィス姐さんもスワロさんもドレイクさんもですよ」

 ふんとユーレッドが苦笑し、きゅきゅっと、スワロが同意した。

 かつての誰かが得られなかった最適解が、これなのかもしれない。


 夕暮れの空は徐々に暗くなっていく。

「昔は、観覧車から花火見ると綺麗だったんだがなー。みせらんなかった」

「観覧車? 奈落の?」

 ユーレッドがぽつりと呟く。それを拾って、ウィステリアは顔を上げた。

「そう。あの時は花火上がらなかったもんな」

 ユーレッドは意地っ張りでひねくれものだ。あの時のお前に見せたかったとは、けしていわない。

 だから、昼間の、あの、彼の"答え"が現実のことだったか、夢なのか。

 ウィステリアはなんだかわからなくなっていた。あれも、夢の中の出来事では?

 ユーレッドは、今ではケロッとして、いつものユーレッドだ。

(まったく、一体なんなのよ、ユーさん)

 いつだって、彼は彼女の心を振り回す。

 彼女は彼の前では、まだ少女のフジコになってしまうのに。

 ユーレッドもネザアスもユーネも。結局、彼女を振り回すだけの悪い男。

 それがわかっているのに、ウィステリアはまだ彼が好きなのだ。

 

 ひゅーっと花火が上がる音がした。しばらくして大輪の花が空に咲き、大きな音が響く。

「やっぱりなあ」

 不意にユーレッドがつぶやいた。

「花火、去年よりきらきらして見えるぜ」

 もちろん、それが何故かなんて、ユーレッドは決して言わないが。

 相変わらず、彼の瞳に世界は煌めいて見えているらしい。夢から覚めても、それだけは変わっていない。

 それとも、新しい夢を見ているのだろうか。

「この世界、まだまだきらきらだよな」

 誰にともなくそういう。

 ユーレッドの目は、いつもの険が取れていて、いつかの夢見る獣のようだった。



【夢見る獣は入江にまどろむ・完】


お読みいただきありがとうございました。

U-RED in THE HELLに関連のお話があります。

よろしければ、そちらもどうぞ。

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