23.向日葵宮で捕まえて —ひまわり—

 どこまでも広がるようなひまわり畑だった。

「わあ、すごい」

 文月のエリアは、雨が降らなければ日差しがきつい場所もあり、フジコは麦わら帽子をかぶっている。ネザアスは、着物に合わせて菅笠のようなデザインのものをかぶっていたが、意外と格好良い。

 基本的には廃墟と荒地が続く、かつてのテーマパークの奈落だ。そんな中、広大なひまわり畑が唐突にあらわれたので、フジコは思わず歓声をあげた。

 おおきな黄色な花が、奈落の作り物の太陽をむいている。視界いっぱいまで、黄色の花と緑の葉で覆い尽くされている。

「すごいね、ネザアスさん」

「まぁなあー。おれとしては、勝手にここまで蔓延られるとムカつくんだけどな」

 かつてはテーマパークの保守業務をやっていたネザアスは、こういう狂った場所にはちょっとうるさい。雑なところもあるが変なところで几帳面な彼には、どう考えてもやりすぎなこういう光景は受け入れ難いのだった。

「つうても、ここのひまわり畑は、ワザと植えたのが始まりらしいからなー」

「わざとって? ひまわり迷宮のアトラクション?」

 きょとんと小首を傾げると、ネザアスは首を振る。

「いや、汚泥の除去だよ。効果あるかも、って植えたけど、結局、効果大してなかったんだよなー。上層アストラルの汚染された土地はここよかひでえからな。普通のニンゲンは近づけない場所だってあるさ。どうにかしたくて、色々試した形跡が、この土地にも残ってるんだ」

「そうなんだ」

 そう言われてみると、一斉に作り物の太陽を見上げるひまわりは、不気味でもあるが、どこか寂しそうだ。

「ま、でも、土地は肥沃にはなったんじゃね? ないよりマシだったかもな。それに、ここのひまわり畑、アトラクションでもなんでもねえのに、昔から謎に人気だよ。お前の言う通り、迷路みたいだってな」

 ネザアスは笑う。

「行ってみたいだろ? 迷ってもおれはお前を見つけられる。スワロと遊びに行ってきてもいいぜ。ちょっとしたかくれんぼ気分になるぜ。お嬢レディ

「本当?」

 そう言われて、ウィステリアはぱっと顔を明るくする。

「じゃあ、スワロちゃん、行こう!」

 ぴぴ、と肩のスワロが返事をする。

 フジコは、黄色と緑の迷宮に足を踏み入れた。

 背の高いひまわりのアーチを通って、スワロと駆ける。

「ネザアスさん、ちゃんとあたしたち、見つけてくれるかな?」

 ぴ、とスワロが返事をする。大丈夫だということのようだ。

「ふふ、簡単に見つけられそうなら、隠れちゃいたいよね」

 ほんのり意地悪なことを言ってみる。

 と、その時、突然、ふわっと目の前がぼやけた。

 ひまわりをそのままに、意識が遠のく。

 誰かの笑い声。子供?

 映像と音声がおぼろげなままなだれこんでくる。

 フジコは、優秀な魔女候補だったから、他の魔女や黒騎士などの残留思念のようなものと意識的に繋がって、その記憶を垣間見ることがある。ネザアスの記憶がなだれ込むみたいに、他の誰かの思いのかけらを拾うこともあるのだった。

(あたし、誰かの記憶を拾ってしまったのかしら)

 男の子と女の子が、ひまわりの畑で遊んでいた。彼等の背を越えるほど高いひまわり。

「トオコちゃん、あんまり奥に行くと危ないぞ。迷ったら出られなくなる」

 心配性らしい男の子が、はしゃぐ女の子の後を追いかける。

「大丈夫だよ。シローくんと一緒でしょ? シローくんは道に迷わないの、知ってるもん」

 女の子は少し活発で、心配する男の子をよそに黄色と緑の迷宮の中に迷い込んでしまいそうだ。

 少年は、理知的で生真面目そうだった。白騎士候補のID票を首から下げて、女の子をおいかける。

「トオコちゃん!」

「あははっ、ごめんごめん」

 女の子は振り返り、麦わら帽子を被り直して微笑んだ。

 なんだか、どこかで見たような顔をした少女だった。栗色の髪をおさげにして、藤色の瞳をしている。この子も魔女候補なのだというのは、首から下げたID票で予想がついた。

(白騎士と魔女の候補が、顔を合わせるってあるんだ)

 フジコは、ほとんど女子校のような環境で育った。施設に集められたのは、魔女候補だけ。おそらくだが、男子はいない。ほとんどが男だという白騎士候補も、彼等だけ集められていたから似たようなものだろう。

 ただ、実験的に男女共学の環境で育てられたものたちもいるという噂は聞いていた。

「トオコちゃんは、お転婆で困る」

 少年が眉根を寄せた。

「考えなしに突撃するのは、良くないぞ。ここは、ちゃんと管理されているっていっても、半分は放棄されているんだ。迷って出てこられなかったらどうするんだ」

 少年がお説教モードになっていたが、少女の方は気にしていない。

「シローくんは、心配性だなあ。平気だよ」

 少女は明るく笑う。

「シローくんは、だって、いつでも、あたしを見つけてくれるじゃない。だから、迷ったって平気。あたしが大人になってどこかに行ってしまっても、シローくんは見つけてくれるでしょ?」

「当たり前だろう? トオコちゃんは、糸の切れた風船みたいなところがあるんだ。それでもおれは探すと決めているからね」

 憮然と少年は答える。

「あはは。だから安心なんだよ。シローくんがあたしを忘れちゃわなければ、いつかあたしを見つけてくれる。白騎士になって、遠くにいっちゃってもね。あたしは、安心して迷っていける」

「トオコちゃんのその考えは、前向きだけど、本当に心配になるな。最初から迷わないようにしてほしい」

 明るい少女に、少年は呆れ気味だ。

「シローくんはまじめだなあ。でも、あたしはそういうところ、好きだよ」

「はっ? い、いきなり、何を!」

 真っ赤になる少年に、少女はふきだす。

「あはははっ、シローくんのそういうところ、本当にかわいい」

「からかわないでくれ!」

(なんか、素敵だなあ)

 そんな会話を交わす二人。恋人というにはまだあまりにも幼い。その清らかで爽やかなカップルは、少女のフジコにある種の憧憬を与えてくれる。

(でも、なんだろう。とても素敵なのに、少し不安になる感じがする)

 その理由はわからない。ただの勘か、それとも、この誰かの記憶にまとわりつく不安なのか。

 二人の笑い声が聞こえる。ひまわり畑の黄色い色が光のように幸せに滲んでいく。

 でも、この二人。

 その後もこんなふうに笑い合えたのだろうか。

「ウィステリア!」

 ぐっと肩を掴まれて、フジコは我にかえった。気がつくと、いつのまにか奈落のネザアスが背後に立っている。

 先ほどまでの幻は消えて、けれど、それと同じような黄色に彩られたひまわりの迷路の中だった。

「気をつけろ。ウィス」

「あれ、あたし?」

 目を瞬かせると、彼がうなずく。

「お前は優秀な魔女だからな。同じ魔女の灰色物質アッシュ・マテリアルを持つやつや、黒騎士、はたまた黒物質ブラック・マテリアルに感応しやすい。泥の獣からですら、なんかしらの形跡を受信することもある。白昼夢見る感じになってたんだぜ」

 ぽんぽんと頭を左手でなでつつ、慕うようにしなだれるひまわりを空っぽの右袖で払う。

「ひまわりといえど、迷路ラビリンス迷宮ラビリンス。こいつらこう見えて惑わしてくるぜ? こういうところで、他人の思いに囚われると出られなくなるぞ」

「あ、そうか、ごめんなさい」

 そう言われて、不安になってぎゅっと自分の服を掴む。ネザアスはふふっと笑った。

「まあ、おれがいる間は大丈夫だけどな。どこにいても見つけ出せる」

「うん。スワロちゃんもいるもんね。スワロちゃんとネザアスさんは、接続されて通信しているから」

「いや、それもあるけどな」

 とネザアスは言った。

「おれは、お前を守るっていったろ? おれは今のとこ、まだ恩寵の騎士だから、守護対象にしたやつを守るための機能ってのが多少使えるんだ。お前を守護対象に登録してるから、どこにいても大体わかるんだ」

 きょとんとするフジコに、ネザアスはにやりとした。

「おれだって、要人警護系のプログラムは入ってんだよ。それの応用で、お前を認識してるから、位置とか大体わかるのさ。危険な目に遭っていたら、ある程度の距離までならわかるぜ」

「本当?」

 フジコは目を瞬かせる。

「ふふん、おれを見くびってもらっちゃ困るぜ。まあ、そんなわけで、お前が迷っていても、探し出してやれるから安心しろな」

 そんな奈落のネザアスの得意げさに、先ほどの不安感が解消されていく。

「ネザアスさんはさすがだね」

 ひまわりの黄色い迷宮の中、フジコは確かに守られていた。



「グリシネさんは、一体、ウィステリアさんに、なにかあればどうするおつもりだったのか、見解を聞きたいものですな」

 なんとなく、雰囲気が重たい。

 珍しく怒っているらしいフォーゼス。一方、グリシネはこの間とは違って、氷の女ぶりを発揮して無表情だ。

(なんだろう。なんでこんなに険悪なんだろう、この人たち)

 ウィステリアとユーネが、パーティーから無事帰還した翌日の午前。

 グリシネに報告をしようとしていたところ、訪ねてきたフォーゼスと鉢合わせしたのだ。

 フォーゼスとしては、ウィステリアのパーティー参加をきめ、自分の都合も確認せずに一方的な同行を求めてきたことに腹を立てているらしい。

 まあ、それもそうだ。実際、フォーゼスはその日に予定が入っており、ユーネが彼のフリをして同行したのであるし、ウィステリアも危険な目にあったわけなのだから。

 ウィステリアの身の危険も考慮せずに、身元のはっきりしないような白騎士達の中に放り込んだことも許せないのではある。

「あ、あの、フォーゼスさん。あたしは大丈夫でしたから、ね」

「そういう問題ではありません」

 取りなすように言うウィステリアに、フォーゼスはビシッと断る。

「ルーテナント・ワイムなどという怪しげな輩が相当危険な人物だということは、貴女は十分おわかりだったはずだ。せめて、彼女を守るべく私の予定を先に押さえてから依頼するべきだったはず」

『貴方が休暇申請をしていることは存じ上げておりました』

 グリシネの声が冷たい。

『ですから、彼女を守れるだろうと』

「は? 休暇時に他用がないとなぜ断定できるのです? 今回は仮にもどうにかできたから良かったものの」

 実際はユーネがなんとかしたのだから、どうにかできなかったわけで、フォーゼスとしてはそこを説明できないのはもどかしい。いまだにユーネがこの島にいるのは秘密なのだ。

『親しいのでしょう?』

 何故か冷え冷えと響くグリシネの声。

『ウヅキ・ウィステリアとは、随分親しい間柄だとききましたが? だとすれば、プライベートな用事を後回しにしても守るべきものでしょう?』

「はァっ?」

 基本的には、ネザアスとは容姿以外はあまり似ていないフォーゼスだが、怒りでまるで彼みたいな反応をしてしまう。

「そんな根も葉もない噂を信じて、勝手に人の予定を! 実際、ウィステリアさんは危険な目にあっていたのに、そのことについて配慮不足だと反省もしないのか?」

「ま、まあまあ、フォーゼスさん。グ、グリシネも、なにもそんなこと……」

 唐突に二人は無言になって睨み合い。

(な、なんで、あたし、こんなところで板挟みにされてるんだろう)

 よく考えると、自分は、グリシネにはもっと文句を言っても構わない。ただ、フォーゼスのいうことは正論だけれど、何故か、彼に対峙するグリシネが無理に氷の女を作り上げているような気がして、ウィステリアは思わず二人の仲裁をしてしまったのだった。

 しかし、二人は全く歩み寄る気配がないのだった。


 フォーゼスが頭を冷やすとかいって離席してしまい、グリシネも機械的な報告だけで、一旦通信を切ってしまった。

(肝心なこと報告できてないし、あいつらが何者だったのか、 聞けてないんだけど、それは……)

 置いていかれ気味の当事者のウィステリアは、ため息混じりでリビングに来る。

「なんだか、疲れが抜けないー」

 ふとみると、リビングのテーブルにひまわりの花が活けてあった。今日の朝はなかったものだ。

「これ、ユーさんかなあ」

 普段のユーネは、深夜から早朝に偵察を終えて、この時間はソファでごろごろしているが、今日は姿が見えない。

「ウィスが、おレこわいといけなイから」

 昨日の朝、この島についてから、ユーネはあまり彼女の前に姿を現さない。彼は自分がウィステリアの前で見せた、凶暴な一面を気にしている。

 朝夕の儀式にすら、彼は参加していなかった。何かの気配を感じたから、遠くから見ているのかもしれないが。

(あたし、怖くても平気だって、言ったのにな)

 ユーネが花を摘んでくるのは、きっとウィステリアの為だった。けれど。

「あたしが、最初の人魚じゃないことを知ったから、嫌いになってしまったかな」

 ひまわりの花を撫でるようにしながら、ウィステリアはそっと呟く。

 ご飯の時間にすら姿を見せない。そんな彼が心配になるばかりだ。

「ひまわり畑。そういえば、近くにあったな」

 ウィステリアはそう思い至り、顔を上げた。

「迷惑かもしれないけど、探しに行ってみよう」

 ウィステリアは、麦わら帽子を手に取るとそれをかぶって外に出た。

 島には険しいところや、緑の深い場所も多いが、ひまわり畑はなだらかな草原のところに突如ある。なにかの実験用に植えたのか、種を採取したかったのか、土壌の改善をしたかったのかわからないが、とにかく海の見える丘のような場所に、黄色いひまわりが植えられていた。

 今では手入れはされていないものの、この時期、一斉に咲いている黄色い花と島の緑、青い空と青い海の対比は、なかなか綺麗だった。

「ユーさん、ここにいるかな?」

 感覚が鋭いわけではないけれど、魔女のウィステリアにも黒物質ブラック・マテリアルを少し感知できる。ユーネほどの強い存在なら、彼が気配を消していなければ、なんとなく痕跡は辿れる。そこに、ユーネの気配は確かにありそうだった。

けれど、探すにしても背の高いひまわりに囲まれる。なんだか、彼を探す前に迷子になりそうだった。

「ユーさん!」

 ウィステリアはそう呼びかけてみる。

「ユーさん! いるんでしょ? 返事をして!」

 風がふいてざわっと音がする。その声に微かにうめくような吐息が混じっている。

 ふっと、彼がいる場所がわかった気がして、ウィステリアはひまわりをかき分けて進んだ。

 その向こうに大きな木があって、そこだけひまわりや背の高い草が途切れている。その木に寄りかかって座るユーネがいた。

「ユーさん!」

 声をかけると、ユーネは気だるそうに彼女を見た。ユーネは、いつもの耳のついたパーカーをきていたが、それがへろりと垂れ下がっている。そんな彼は何もない右袖をきつく握りしめて、真っ青な顔をしていた。

「どうしたの?」

「はは」

 ユーネは困ったように笑いつつ、視線を落とした。

「ウィスに見つかっちゃっタなー」

 その顔は、青ざめていることもさることながら、ほとんど消えかけていた黒い色が戻っていた。

「大丈夫?」

 ウィステリアが隣に来る。

「前カラ、おれ、たまにこう」

 ユーネはため息をついて言った。

「体の右側、ウマク構築できない時あって、そういう時痛い。最近、それなかったから、忘れてタ」

(まさか幻肢痛? ネザアスさんもそうだった)

 奈落のネザアスは、右半身を負傷してから度々右腕の幻肢痛に悩まされていた。ユーネも元から右側の体がうまく再生できていない。

「もしかして、一昨日から右手の義肢をつけていたせい? 無理したからかな」

「それダケちがう。ウィスのせー違う。元から」

 ユーネは苦笑する。

「身体痛いトキは、無理しない。前はずっと入江で潜んで寝てタ。だから今日入江行こうトしたけど、なんでかうまくケモノになれなかったからここに」

 ユーネは、ふうとため息をついて、少し顔を上げた。

「不思議。ウィスの声、きくと、やっぱりちょっと痛いノ治る。痛いノ、昨日からウィスと会ってなかったせいだナ」

「え」

 ユーネは、目を伏せた。

「ウィス、おれのコト、怖くない?」

「怖いわけないでしょう? 怖かったら、探しにこないわ。そんなことより、あたしが、ユーさんを怒らせちゃったかって思ってて」

 ウィステリアは小声になる。

「嫌われたかと思った」

「おれ、ウィス、嫌いになったリしない」

 ユーネは、痛みが薄らいだ中、そっと握りしめていた右袖を離した。

「ウィス、おれナ」

「うん」

「おレ、ここの島で、人魚見ルの好きだった」

 ユーネはぽつりと言った。

「島の灯台、必ず人魚イタ。色んな人魚がイテて、おれは綺麗なのみるのがスキだから、こっそり見にきてタ。最初、灯台には男も女もイタから賑やかだったケド、一回、姿を見せたら皆、おれのこと怖がっタ。おれ、今もだけど獣の姿醜くてコワいから」

 ユーネは続ける。

「おれは、それから人前出るノやめた。人魚、何人カ入れ替わってタ。泥の獣に食われたのもいて、守ってあげればよかった思っタ」

 風が吹いて視線の先で、強い日差しの元でひまわりがざわざわ揺れる。

「ウィスのいう人魚、その後で来た。確かにキレーだった。イツモ泣いてて、助けてアゲたかったけど、人魚が泣くと海の水がヨゴレてしまう。他の黒い泥が溶けてシマウし、おれも触れると体イタくなるから泣いてるノに近づけなかった」

 その人魚が弥生の魔女、人魚姫ヤヨイ・マルチアだと、ウィステリアはわかっている。何故かこころが痛い。自分が彼女に、嫉妬しているんだと思うと余計。

「おれ、確かにあのコはスキだった。でも、そのうち、いなくなって、ずっと心配シテタ。でもそれから海はキレイになって、島の近くを泳げた。デ、しばらくしたら、また人魚戻ってきてた。おれ、嬉しかっタ」

 ユーネは言った。

「おれ、人魚は歌うんだと思ってた。人魚なのに、みんな歌わないのヘンだと思ってた。ダカラ、お話みたいニ声を奪われたノかと。でも、戻ってきた人魚は歌ってタ」

 ユーネはうなずく。

「おれは、人魚の歌きくのスキだった。人魚姫の声きいてたら、カラダ痛いのも、思い出せなくてつらいのも、全部忘れられるカラ。人魚ノ声聞いたら治った」

 ユーネは苦笑した。

「ウィスといる間、発作起きなかっタからそのこと忘れてた。昨日から歌ちゃんと聞けてなかったカラ」

「そっか。ごめんね、ユーさん。もっと早く来るべきだったね」

「ううん、おれが顔合わせるの怖くて逃げてタ」

 ユーネはうなずき、考えてからにこりとした。

「ウィス、あのナ」

「なに?」

「おレ、好きになった言った人魚、本当はお前ノこと」

 唐突にユーネは言った。あまりにサラリと言うので、ウィステリアは反応が遅れた。

「ウィス勘違いしてル。獣のおれ、今より目が良くなかったケド、流石に歌うのと歌わない人魚くらい区別つく。大体、お前は近くで見たカラ、その時わかった。歌わないのとチガウ人魚って。でも、キレイだと思った」

 ユーネは憮然として言った。

「おレ好きになったノ、歌う人魚。だから、おれ、最初から、ちゃんとウィスのこと好きだったゾ」

 いつのまにかユーネの顔の右の黒い部分が薄れていた。彼の体調にも左右されるのかもしれない。

 ユーネは立ち上がって、ウィステリアに少し大人びた表情で笑いかけた。

「ウィス、おれのコト見くびったらダメ。それくらい区別つく」

「え。う、うん。ご、っ、ごめんなさい」

 ウィステリアはそう答えるのが精一杯だった。

 遅れてようやく、顔が真っ赤になる。何を言われたのか理解するのに時間がかかる。

 そんな彼女の気も知らず、ユーネはウィステリアに手を差し伸べる。

「ウィスと話してたら、痛いノ治って、腹減った。そーいえば、イノアにあってない。イノア、おれいないとちゃんとごはん食べないダロ? 帰って一緒にごはんしヨ」

「そ、そうだね」

 ぼんやり手を出すと、ユーネに引っ張り起こされる。

「早く帰ロ?」

「ま、まって、ユーさん、そんなに急に走れないよ」

 せきこんで走り出そうとするユーネ。転びそうになってウィステリアはそう声をかける。


 ひまわり畑を横切る。

 太陽を見上げるひまわりの間を、風が爽やかに吹き付けていく。

 もう少しだけ夢を見られる。

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