6-9

 目覚めると、隣でリオラが寝ていた。反対に顔を向ければエミリーが寝ている。

 エミリーの背中の向こう側では、窓から白い光が入り込んでいた。

 小鳥が鳴く穏やかな朝だ。

 僕は恐る恐るゆっくりと起き上がってみる。痛みはない。あまり力が入らないが、動けはする。

 僕は身を起こしたまま部屋を見回した。部屋の中にリュザクの気配はしない。外でに出ているのだろうか。

 僕はベッドから出ると、部屋の扉を開いた。

 しんと光がさしこみ、僕は目を細めた。ぎーっと建付けの悪い音が鳴る。

穏やかに風が吹いて、ふわりと外の匂いが香った。ツボカネラの花の甘い匂いと湿った土の匂い。外に出て背伸びする。ずっと寝ていて固まった筋肉が伸びて気持がいい。上を見ると、この場所が高いところにあるせいなのか雲が近くに感じられる。そして、それ以上に目を惹くものがあった。

 碧い泉。

 小屋を出て、真っ先に目に入ってくるこの湖は間違いなく碧の泉だろう。

 周りを雪を被った山々が囲い、湖の周りには白いツボカネラの花が咲く。そう。ここは、リオラが五年前、絵に描いた場所とそっくりそのままだ。

「五年前から導いていたんだな、リュザク……」

「その通りだ」

 後ろから声がして振り向いた。見ると、リュザクが薪を抱え突っ立っている。まさか本人が真後ろにいるとは思わなかった。気配なんて全くしなかったと思ったのだが……。

 リュザクは隣までやってくると、湖を見つめた。

「もう寝ていなくても平気なんだな」

「あんたが作った薬汁のおかげだよ。感謝するよ」

「私ではなくあの二人に感謝しておくと良い。お前をここまで運んできたのはあの二人だ。ボロボロだったお前の腕と腹の傷を癒したのはあの星の子の少女。ツボカネラの採集を手伝ってくれたのもあの二人だ。私は寝所をかしたにすぎない」

「それでも力を貸してくれたのは事実だろ。だったらあんたにも感謝しておくよ」

 リュザクは返事をしなかった。しばし、遠くを見つめると深いため息をつく。

「ひとつ助言をしておこう。もうあまり無闇に魔法を使うな。お前はもう、そういう体ではなくなっている」

「どういうことだ?」

「そのままの意味だ。元々星の子ではないお前は、体力を犠牲に魔力を生み出していた。残りの体力が生命維持に支障が出るくらいになると今度は、肉体自体を消耗する。随分と前に経験しただろ」

 そう言われてみると確かにそうだった。僕は一度魔法の使いすぎで体調を崩したことがある。だが、魔法剣士になってからはそんなこと一度も起こったことがなかった。

 そのことを僕はリュザクに訊いた。するとリュザクは淡々と答える。

「あの娘は蛹に入っている間は、お前に魔力を送ることができていた。遠いところでお前のことをずっと守っていたのだ。星の子は見えない力で星と繋がっている。星の子の持つ魔力はその星が持っている力と同等なのだ。つまりはその星が死なない限り星の子の魔力は無限大だということだ。だが、星滅の日が近づいた今、お前に魔力を送ることはできなくなってきている。星の子自体を守るためだからだ」

 ようやく腑に落ちなかったことが納得できた。僕はもう、以前のようには戦えない。これからの戦いでは、より一層注意が必要になる。

「そういうことだったのか。助言感謝するよ。これからは気をつけるさ」

「感謝か……」

 静かにリュザクはつぶやいた。

「なんか腑に落ちないのか」

「そうだな。これから私がお前らに託すことを聞いてもそんなことが言えるのかな……?」

「何を託そうっていうんだ」

「私の父を——。ゼルフ・ロドリゲスを殺してくれ」


  *


 リュザクから詳しい話を聞いたのは朝食の後だった。昨日の残りのウサギのシチューとパンを食べ、お茶を飲んだあと、少し落ち着いたところでリュザクは話し始めた。俯いて何か過去の記憶を探るようだった。

「父は母を見送ってからおかしくなってしまった。父は母をとても愛していたから無理もなかったのだろう。精神的に不安定な状態が続き回復することはなかった。

 ある日父は騒ぎながら外に出ようとしていた。私も兄も必死に止めたのだが、いくら呼び止めても、無理やり止めようといくら腕を掴んでも父は止まらなかった。まるで何かに導かれているみたいに。

 物凄い力だった。とても人間が出せる力とは思えない力で父は私と兄の腕を解いて何処かに走り去ってしまった。どこに行ったのかはわからない。いなくなってから数ヶ月がたって、もうどこかで野垂れ死んでしまったのだろうと思い始めた頃、父は戻ってきた。だが、その姿は以前のものとはかけ離れていた」

 リュザクの視線がふと上がり、僕を見つめる。

「なんだったかわかるか?」

「ディアトロス」

 僕が答えた。

「そうだ。負の感情を集めた父はディアトロスとなって帰ってきてしまったのだ。

 父は悪魔の一族に身を売ったのだ。そしてその魂は自由のものとなり……」

 僕は唾を飲む。

「……星の子以外で最も魔力が強い、我が兄の体を乗っ盗った」

「いったいなぜそんなことを?」

 エミリーが訊く。

「星の子、シオンの復活のために自分の魂を入れる器が必要だったのだ。兄は、強大な魔力を備えていたから体を修復することもできて、うってつけだったのだ」

「そんな……、魔法で自分の体を修復させて生き残ったっていうの!?」

「その通りだ」

「前回の星の子を復活させるためって、そんなこと——」

「できる。星の子の魂は永遠だ。その星が存在する限り、魂も永遠のものとなる。つまり、まだ冥界に残っているのだ。そして冥界との扉を開けさえすれば、あとは器さえ用意するだけで母は蘇るというわけだ」

「それをするために、ゼルフィーは何をするつもりなんだ?」

「お前の体を乗っ取り、見送り人として自身の願いを叶えようとすることを考えていた。ディアトロスを街に入れたのもお前を魔法剣士にしたのも、テトフス帝国に石火矢を持ち込んだのも全てあの男の策略だ。全てはお前を殺し、抜け殻となったお前の体を奪うためだった。

 だけど、どの策略も上手くいかなかった。最終手段として父は、直接星の子の力を奪おうとするだろう。おそらく、星の子を自身の体に取り込もうとするはずだ」

「ちょっと待って」

 エミリーが急に話を遮った。

「あなたの言うとおり、ゼルフィーがリオラを取り込んだとして、それで彗星はどうなるの?」

「破壊されることなく落ちてくる。地上は滅ぶだろうな」

「それじゃ前回の星の子を復活させたとしても、意味がないんじゃない? だってその夜にこの星はほろんでしまうのよ。シオンの魂も一緒に消えてしまうんじゃないの?」

「滅ぶというのは、星の地上の話だ。星自体が完全に滅ぶわけではない」

「それでもゼルフィーは生き残れないんじゃないの。だって身体がもたない」

 エミリーがハッとしたように目を丸くした。どうやら何かに気づいたらしい。

「奴はもう悪魔だ。物質世界の法則は通用しない。たとえ体がなくなろうとも、魂だけで地上に残り続ける。次の生命が宿るまで」

 リュザクの言葉で沈黙が下りた。

 それは、ゼルフィーの目的はこの星の存続にまったく影響しないということが分かってしまったからだ。ゼルフィーにとって今まで暮らしてきた世界なんてどうでもよいのだ。シオンの魂を呼び戻す。そして、器となる体が生まれるのを待つつもりなのだろう。彗星が落ちてくることは抑止力にならない。

 つまり、この星を救う方法はゼルフィーの魂を浄化させ冥界に旅立たせること以外にないということだ。そして、ヤツがとれる手段は一つだけではない。僕の体を乗っ取ることを、いまだに考えていてもおかしくない。

「ゼルフィーがまた何か送りつけてくる可能性はないのか?」

 僕が尋ねると、リュザクは首を横に振った。

「そんなことは起こらない。おそらく星滅の日の夜に直接手を下そうと考えているはずだ。父も力を蓄えたいはず。最後の夜まで何もしてこないだろう」

 だからといって完全に安心出来るものではない。

 泉の前で聞いた話の内容からして、リオラは僕に魔力を送れなくなってきている。それと同じで、星の子の加護も弱くなるのではないか。だとしたら、ゼルフィーは隙をついて僕らを殺しに来るかもしれない。見送り人である僕の体を奪うという選択肢がなくなったわけではない。

「大丈夫だよ」

 リオラが手を重ねてくる。彼女の体温がほんの少しだけ、不安を溶かした。

「ここには、結界が張ってあるし、いざとなったら私が守るから、安心して」

「その子の言うとおりだ。魔力供給がなくなったとしても、星の子の力がなくなるわけではない。むしろ、以前より強力になる。だから、心配する必要はない」

 そう言われても不安が拭えなかった。リオラが守ってくれると言っても、街が襲われたとき、星の子の力が絶対でないことを、僕は一度目の当たりにした。ゼルフィーは強大な魔法使いだ。しかも、悪魔と契約しているとなれば、何をしてくるかわからない。

「星滅の日まで、まだ半月ほどある。もうしばらく、ここでしばらく休んでいくが良い」

 此処が安全ならリュザクの言う通り、しばらくこの場所にとどまるのが正解なのだろう。

 だけど、僕らはいまだに星見の台座までの道のりを把握できていない。ここからあとどのくらい時間がかかるのか。ヨサに保護してもらってからも、時間は必要になる。例えば、ゼルフィーとの戦闘にどのくらいの兵が必要になるのか。遠征に同行する兵の数の調整。

 本来とは違った形での来訪だ。かなりごたつくだろうし、時間もかかる。本当だったら早く出発してヨサに入ってしまいたい。

 だが、はやく星見の台座に近づくということは、それだけ危険も伴うということだ。リオラをいたずらに奴の手が届くところに置いておくわけにはいかない。

 結局、焦る気持ちを抑えることしかできなかった。僕は、早く出発する決断を取れなかった。


 

 碧い泉に来て三日が経過した頃、僕の体調がすっかり回復し、明日にでもヨサ王国に出発をしようという話になった。

 しかし、その日の晩食は、かなり豪華だった。

 リュザクは魔法で火を自由自在に操り様々な料理をふるまった。塊の肉を硬くならないように焼いたもの、それとは逆に野菜の形がなくなるまで煮込んだとろとろのスープ、蒸した芋を潰してバターを混ぜ込んだ物など、山の中だけで用意できるとはとても思えない料理が並んだ。

 なんでこんな豪華にしたんだ、と訊くとリュザクはどこか緩慢な様子で答える。

「これが最後の晩餐なんでな」

「どういうことなんだ?」

「さあな、明日にはわかる」

 そう言った後、リュザクは何を訊いても答えてくれなくなった。食事の時間が終わっても変わらず、寡黙のままだった。

 ただ、一人で何か考えたいのか外に出る。しばらくして帰ってきて、少しばかり椅子に座ってぼうっとふけると、また思い出したかのように外へ出ていく。

 何をしているのかさっぱりだったが、おそらく僕の思考が及ばないことをしているのだろう。そう思って僕はリオラとエミリーと一緒に眠った。

 そして翌朝。僕はリュザクが最後に残した言葉の意味を理解することになった。

 目が覚めた時、最初に目に入ったのは真っ青な空だった。

 そう、屋根がなくなっていたのだ。驚いて周りを見回してみると家具も壁も床も何もかもが消えている。家そのものがなくなってしまっていたのだ。僕らは、湖畔の草原の上で寝かされている。

 僕は起き上がると、周囲を見回した。あの男の姿ははどこにもない。

「リュザク。どこに行った!?」

 声なんて返ってくるはずない。僕はリュザクがもう存在していないことを理解していた。

 リュザクは身体そのものを消耗して魂だけで存在していたのだ。昨日までの身体も家も全て魔法で生み出していたのだろう。そして、ゼルフィーを殺すことを託し、自らの役目を終えたリュザクは、もう二度とこの世界に戻ってくることはない。彼は冥界に旅立ったのだ。

 僕が大声で叫んだから、エミリーも起き上がる。

「ラルフ、どうしたの? ってなんで何もなくなってるの!?」

 エミリーは、きょろきょろとあたりを見回す。信じられないという目をしていた。

 続いてリオラが眠そうに目をこすりながら起き上がった。

「もういないんでしょ。リュザク……」

「ああ」

「やっぱり。夢で見たんだよね。光の中で、リュザクがどこかに行っちゃう夢」

「本当にもういないの?」

 エミリーは立ち上がらるともう一度あたりを見回した。僕も同じように見回したが湖の周りに見える範囲では、リュザクの姿は見当たらなかった。

 だが、湖岸に何か光るものが見えた。

「ラルフ、あそこに」

「ああ、何かあるな」

 僕とエミリーは湖岸に向けて走る。近づいてみると、光る何かは卵型の石だった。

質感が真珠で、陽の光を複雑に反射させている。まるで虹のように輝いて見える。

「綺麗……」

 エミリーが呟いた。

「そうだな」

 僕は石を取ろうと手を伸ばす。するとリオラが慌てて声を上げた。

「ラルフ、触っちゃダメ!」

 鬼気迫る様子でリオラが走ってくる。

 僕は慌てて、伸ばした手を慌てて引っ込めた。遅れてやって来たリオラは自分のものと言わんばかりの勢いで石を取った。

「これには強力な魔力がかけられている。ラルフが今これに直接触ると腕が吹っ飛んじゃうから絶対に触らないで」

 リオラは土から巾着を作り、その中に石を入れた。やけに紐が長いなと思っていると、リオラは巾着を首から下げ服の中に隠した。

「さ、早く行こう。結界も破れちゃったし、早くヨサの人たちに匿ってもらわないと」

「ああ……、確かにそうだな」

 結局、僕とエミリーはあの石がなんだったのかわからないまま、碧い泉を後にした。


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