6-8

 …………


 目が覚めてまず目に入ったのは木の天井だった。身体の下にあるのはふかふかしたもの。寝台に寝ているのだろうか。身体には毛布がかけられていた。

 僕は顔だけを動かして周りを確認する。

 木の床に白い石灰を塗りたくった壁。部屋にある卓も椅子も木製だ。

 窓を見ると外は真っ暗で部屋の中も灯りは暖炉の炎だけ。暖かく落ち着きのある光は、僕の疲れた心を慰めてくれているみたいだった。

 例えるなら母様がそばで子守唄を歌ってくれているそんな安心感。

 僕の身体の下に敷かれている寝具は綿がたくさん詰まっているのだろう。

 まるで、雲のうえで眠っているみたいな寝心地だ。 

 僕は顔を上げて足の方を見る。奥の壁の右端に扉。右の壁には扉のない出入り口がある。

 部屋の扉が突然ギーッと音をたてて開いた。外から入ってきたのはリオラとエミリー、そして見知らぬ顔の男だった。

 腰の辺りまで伸びた艶のある長い髪。とても男のものとは思えないほど美しい。キリッとした細い目に人よりも細めの面長顔。その男の顔にはどこか見覚えがあった。

 その男の手には籠が握られている。中に入っているのは白い花弁の百合に似た花。だが、花は下を向いていないし、花自体の大きさがひと回りも二回りも小ぶりだ。

 男は部屋の戸を閉じると、向き直った。

「目が覚めたか、ラルフ・ロドリゲス」

 整然とした男の声。力強さがあるが、落ち着いた心地よさもある。

「あなたは誰ですか」

 男は籠をそばのテーブルに置いて近づいてくる。僕の目をまっすぐ見て言い放たれた言葉に僕は息を呑んだ。

「リュザク・ロドリゲス。一千年前の星の子の実子であり、ゼルフ・ロドリゲスの次男だ」

「ゼルフ・ロドリゲス……」

 同じ、ロドリゲスの家名。だけど聞き覚えのない名だった。しかし、そんなことを見越していたのか、男はとんでもないことを口にした。

「今は確かゼルフィーと名乗っていたか」

 その言葉をうまく僕は受け入れられなかった。本当だとしたらゼルフィーは千年以上生きていることになる。それにこの男は、自らをゼルフの次男だと言った。つまり、ゼルフは父親であり、星の子の血が流れていない。魔法も使えないはずの男がどうやって千年間生き延びて聖魔導士を務めるまでの魔力を手にしたというのだ。

「受け入れられないという顔をしておるな。よかろう。あとで教えてやる。だが、まずはその傷をどうにかしないと」

 傷……?

 そういえばと思い、僕は右腕を動かそうとしてみた。

 しかしその瞬間、僕の肘に巨大な針で貫かれたのではと思えるほどの鋭い痛みが襲い掛かってくる。

 あまりの痛みに僕は反対の手で右肘を押さえようとする。しかし、動かした左腕さえも右腕と同じく鋭い痛みに襲われた。

「くっ…………」

 たまらず僕は歯を食いしばって背中を丸めた。

「ラルフ!?」

 リオラが心配そうに顔を覗かせる。だけど、そんなことされてもこの痛みは消えたりしないし、紛らわされたりもしない。

「待ってて、今痛くないようにするから」

 リオラが僕の腕に手を翳そうとする。だが、それをリュザクが止めた。

「よさぬか。痛みを抜いたところでこいつの身体は、今は動かせない。安静にさせるために残しておけ」

 リュザクはリオラの手を離すと、僕を見下ろしてくる。

「ラルフよ。わかっただろう。お前の体は今何もできない状態だ。大人しく寝ているんだな」

 そういうとリュザクはテーブルから花の入った籠をとると扉のない出入り口を通って別の部屋に向かった。おそらくそこに調理場があるのだろう。

 しばらく体を起こせずに待っていると、リュザクが木の器を持って戻ってくる。

 リュザクは無言でリオラに器を差し出した。

 僕はエミリーに体を起こしてもらって器の中を見た。

 器に入っているのはやけに緑の濃い液体。察するにさっきの花が入っているのだろうけど、花の甘い香りはそこにはなく、代わりにあるのは強烈な青臭さだ。

 これは……、と訊く前にリュザクが答える。

「ツボカネラの葉と茎、根をすりつぶし、お湯に溶かしたものだ。体の修復が早まる」

 ——つまりは薬ということか。

「私は夕食を用意してくる。看病は任せたぞ」

 そう言うとリュザクは、また隣の部屋に入っていった。

 リオラがドロドロの液体をスプーンで掬い取ると僕の口元まで持ってくる。

 ——またこれか……。

 しかし、今度のは心懐かしい麦のお粥ではなく、薬草汁。

 僕はそっとスプーンを咥える。スプーンが引っこ抜かれて口の中に残った汁はとんでもなくいほど強烈に苦かった。今までこんな苦いものがあっただろうか。舌が痺れ吐き出しそうになる。体が拒んでいるのは明らかだ。

 僕が吐き出そうとすると、口がいきなり窄んだ。

「だめ、ラルフ飲んで」

 リオラが魔法で口を閉じたのだ。力ずくで口を開けることはできない。こうなったら僕にできることは、この身体が拒否するほどの苦い液を受け入れて飲み込むことだけだ。

 僕は無理やり飲み込む。喉の奥が閉まって吐きそうになってもなんとか飲み下した。

 口の中が空になるとまたリオラが薬汁を入れてくる。さっきほどの拒絶感はないにしても、舌が痺れる苦味は健在だった。舌がおかしくなりそうだった。

 僕がウッと喉が締まり吐きそうになるとまたリオラに口を閉じられる。仕方なく僕は薬汁を飲み込む。それを何度も繰り返し、この拷問のような時間が終わり、僕は、疲労困憊で寝台に倒れ込んだ。

 しばらくそのままでいると、空腹の胃を燻るいい匂いがしてくる。

 肉の匂い。それと薫り高い香草の匂い。深く香ばしい匂いも混じっている。

 やがてリュザクが盆に器とパンを三つずつ乗せて出てきた。

 テーブルに並べられた料理を見てリオラが不思議そうにつぶやいた。

「これは……」

「ウサギのシチューだ。お前らの国ではどうせヤギや鳥、牛ばかりを食べるのだろ。家畜ばかり育てて食って、まったく自然の摂理から外れすぎた生活だ」

 シチューを食べたいと思ってリュザクを見ていると、その思いが伝わったのかリュザクはこちらを向く。

「お前は、その体では食べられまい。これは明日にお預けだな。色々と話すのも明日にしよう」

 そんな……。口の中が唾液で大洪水を起こしているというのに、僕だけお預けを食らうなんて……。

 悔しがっているとリュザクが近づいてくる。

「今日はもう寝てしまいな」

 いきなり僕の額にリュザクの指が触れる。その瞬間、目の前が真っ暗になった。

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