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「リオラ、他に見ておきたいところはあるか?」

 僕が聞くと、リオラは海が見たいと言った。これもまたリオラが初めて城に来た時に見て喜んでいたものだ。彼女の外を見たいという願いが一つずつ叶えられていくのが自分事のように嬉しく感じられた。


 港に着いたころには、夕日は水平線の向こう側に沈んでしまっていた。夜空の漆黒と水平線からわずかに漏れ出る茜色。そのコントラストに染まった海を見て、リオラは静かに笑った。

「この時間の海も綺麗だね」

 最初に塔の上から見た時のような喜びや嬉しさを顕(あらわ)にはせず、しみじみと水平線を見つめている。いつも幼い子供のようにはしゃぐのに、なぜこんなにも落ち着いているのだろう? 少し心配になっていると……。

「グゥーーーー」

 リオラの腹の虫が盛大に鳴いた。今日はおやつにパンを食べていないから当然といえば当然だろうが、はっきりと聞こえるほどの大きい音は聞いたことがない。

「お腹すいたね。何か食べようか」

 エミリーがリオラの手を握り、僕らは食べ物屋や食堂がある方に歩き出した。

 沿岸線の商人通りはいつも賑わうが、今日は特別活気付いていた。東洋の国々の料理を食べられる露店が並び、商人路は嗅ぎ慣れない香辛料の匂いで溢れている。普段は食べられない異国の料理を食べられるということもあり、たくさんの人が路地を行き来していた。

「リオラ、晩食何食べたい?」

 エミリーがリオラに聞くと、リオラは、一つの食堂を指差した。

「あれがいい」

 リオラが指差したのはヨサの猪料理の店だ。ここは普段、海鮮料理を出す店なので建物自体は借り物なのだろう。バーバスカムでは猪肉を食べる習慣がなく、狩をする人もいない。肉は船で輸入した物ということになるが、まさか捌いた肉を持ち込んでいるわけではないよな……。

当然ではあるが、捌いた肉をそのまま船で輸送すれば腐ってしまう。

 だが、その心配は必要なかった。入り口前の看板には——養殖した猪を生きたまま輸送し店内で捌いた新鮮な肉を提供します——と書いてある。翌日に腹を下すことはなさそうだ。

「どうする? ちょっと冒険してみる?」

「そうだな。たまにはこういうのもいいだろう」

 そう言って中へ入り、一押しだという品々を注文した。

 しばらく待って店主が持ってきた料理は、黒く艶のあるタレを被った肉の塊だった。 

 付け合わせも、知らない葉野菜を炒めた料理だった。それらが乗った皿が卓上に並べられていく。

「えー、コルシャに、青梗菜の味噌炒め。米は口の中に肉が残った状態で食べてみてください。味が中で合わさって美味いので」

 店主はそう言い残すと、店の奥の方へ戻っていった。

 肉からは香ばしく深みのある香りが漂い、米は東洋で主流の少し丸みのある米。炒めてある葉っぱも、東洋で主流の野菜である青菜のどれかなのだろう。何かのペーストで味付けしているみたいだった。

 僕はナイフで食べやすいように肉を切り分けた。

 二人に先駆けて一口、口に運ぶとその味は衝撃的だった。トロトロの脂身に、甘く塩気のある香ばしいタレをまとったほろほろの肉——。至極の味わいだった。店主に勧められた通り、口に肉が残っている内に米を放り込む。

 すると米の甘みと肉の油が口の中で合わさり、最高に美味かった。

 付け合わせの炒め物も食べてみた。葉の部分は少しエグ味があるものの、茎はみずみずしくシャキシャキの歯ごたえがある。味付けのペーストが何でできているのかわからなかったが、発酵させてあるのかチーズに似たコクがあった。

 僕らは会話をすることを忘れ、食べることに没頭した。気がついた時には皿が空っぽになり、僕らは名残惜しさを感じながらも店を出た。

「美味かったなー」

「来年も収穫祭があったらまた食べに来ようね」

 その言葉にリオラがいつものように弾ける笑顔で応えると思っていたが、この時はそうではなかった。やけにしょんぼりと肩を窄め、下の方を向く。

「リオラ、次ないもん」

「えっ!? どう言うこと? 来年またここにくればいいじゃない」

「リオラ、蛹になっちゃうから」

 蛹とはどう言う事なのか。僕にはさっぱりわからなかった。バーバスカムの伝記にもヨサの伝記にもそんな事を匂わせる記述はなかったはずだ。

「良くないことが起こる気がする。でも具体的に何が起こるのかわからない。見えないから」

 いったい何が見えているのだろうか? リオラが確実に何か良くない未来を見ているのは確かだ。

 リオラは何かに怯えるように僕の手を握った。

「大丈夫か?」

 そう聞くと、リオラは下の方を向いたまま頷く。僕は一応、周りを警戒しながら歩いた。



 しばらく僕らは街を散策した。

 衛兵がいる大きな通りを避け、狭く人通りが少ない道を歩いていると、リオラがある露店の前で足を止め、僕の腕を引っぱる。

「ラルフ。これ欲しい」

 リオラが指を刺している物を見て店主の男が感心したように声をかける。

「お嬢ちゃん。見る目があるね。これは一組限定のものだよ」

 リオラが欲しいと言ったものは、形状が同じ見た目の大小二つの指輪だ。

「ペアリングか? どうしてこんなものが……」

 そこへエミリーが肘で僕の脇腹を小突く。

「買ってあげなさいよ。あんた、いっぱいお金持ってるんだから」

「坊主、一組金貨三枚だ」

「金貨三枚!?」

 金貨一枚の価値は金銭的に言うと銀貨一〇〇枚分だ。しかし、金銭的価値が同じであっても、金貨の方が市場価値が高い。銀貨百枚で支払われることを拒否する店だってある。

「どうする? その嬢ちゃんのために買うか?」

 リオラは眉根を上げて僕を見つめ訴えてくる。僕には買うという選択肢しかなかった。

「買うよ」

 僕は金貨三枚を店主に差し出す。目の前の男は手の中の金貨をかっさらうと、からかうように言いながら指輪を手渡した。

「この色男め。その年で羨ましいぜ」

 それにエミリーも便乗する。

「ラルフ。ペアリングの意味知らないの?」

「知らないよ。何なの?」

 聞き返すと、エミリーはニヤニヤ笑みを浮かべながら得意げに話す。

「ペアリングをするっていうのはね、互いに愛を誓いあっているという印なのよ」

 僕は唖然とした。そんな話は一度も聞いたことがない。北部領の村で結婚といえば男が女性にネックレスを送るくらいの風習しかない。姉だって、婚約者からネックレスをもらっていた。

 そんな呆然と立ち尽くす僕の手からリオラが指輪を一つ取る。頬を赤めながら、指輪の穴にその指を通した。しかし、リオラはガッカリしたように肩をがくっと落とす。

 リオラの指には指輪が大きすぎてはまってくれない。当然、僕の指にもうまくはまってくれなかった。リオラは俯きなら、残念そうにつぶやく。

「サイズが合わない」

「ちょっと子供には早かったな」

 店主が悪戯めいた子供のように、にっと笑う。

してやられたと思いながら、店の他の品を見ていると麻の紐が手頃の長さで売っていた。丁度ネックレスに良さそうな長さのものが——。

「おじさん。追加でその麻紐二つ頂戴」

「おお、これか。二つで銀貨二枚な」

 僕は銀貨二枚を店主に手渡した。麻紐を店主から受け取る。

「ラルフ、どうするの?」

 と、エミリーが尋ねる。

「まあ見てて」

 僕は自分のリングを麻紐に通し、両端を結び繋いだ。それを首にかける。リオラの分にも同じように紐を通して結び、首にかけてやった。

「大きくなったら二人ではめような」

 リオラは静かに頷き、照れくさそうに笑った。

 僕らは店主にお礼を言い店を後にした。手を繋いだまま——。

 こんな時間がもっと——、ずっと流れてくれていたらよかったのに——。


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