1-6
城内の一日は朝六時にはじまる。使用人が朝六時になると金を鳴らしながら廊下を徘徊する。その音で飛び起きて、着替えを済ませて、外に出る。支度が遅ければ当然、扉に鍵はないので部屋に侵入され叱咤される。そこまでして早朝にやることは軽めの運動だ。乗馬や剣の訓練、それと組手。最低限自分の身を守れるようになれとのことだろう。それかこの城が攻められたときに戦えということだ。訓練を三組みに分かれ一時間ほど行う。
その後、軽く湯浴みをしてから食堂で朝食を取る。
南部では作物は通常通り収穫されているようで毎日のように小麦を食べることができる。海も近く貿易港もあるため、魚が毎日取れるし、輸入してくる食材もあるので、王都では余程のことがない限り食糧難になることはない。
しかし、使用人の身分まで落ちた僕らが、王族なんかが食べるような食事にありつけるはずもない。僕らが食べることが許されたのは質素なものしかない。たいていが麦粥に魚の切り身を焼いた物がほとんどだ。たまに豆と野菜のスープが出ることもあった。
しかし、土地が痩せたこともあり、肉を食べられることはなくなった。陸の動物のもので口にできたのはミルクから作られるチーズ、それと鶏の卵くらいだ。そんな状況だから傲慢な上級貴族出身の人からは文句が出ることもしばしあったが、当然その意見が通ることはない。僕らは今貴族ではなく使用人なのだから当たり前である。だが、その当たり前が理解できない人間もいる。強欲な上級貴族に特に多い。
僕はなるべくそういった人たちとは距離をとるようにした。
朝食の後は、八時から正午までは講義が行われた。内容のほとんどが統治する上で必要な知識についてだ。例えば収穫物に対してどのくらい徴税するのが適切なのかとか、増税した場合、農民はどのような反応を示すのか、その逆も教わった。
正午になると、軽めの昼食を取り、その後は二時間ほど自由時間がある。自由時間の後は使用人として働かされる。
仕事内容はたいていが城内の清掃だ。箒や雑巾を使って、床を掃除したり、芝生や木の手入れをしたりと色々ある。中には食物庫から調理場まで材料を運んだり、王に出す食事の毒味をすることもある。
そうやって日が沈むまで働き、湯浴みをして晩食を終えると、残りの時間を自由に過ごす。
これが一日の流れだ。その生活は一週間ほどで慣れてしまった。元々勉強は教師を招いて教わっていたし、自分のことはなるべく自分でやるようにしていたこともあり、生活様式が大きく変わることはなかった。
だが、上級出身の人たちは使用人に全てを任せていた奴もいたのか下級出身のやつに体を洗わせたり、洗濯物を押し付けたりするやつもいた。
僕もそういうのに絡まれたりしたことがあったが大抵は無視を貫いた。つくづくくだらないと思っていたからだ。だが、貴族というのは醜い物でいつの間にか派閥が出来上がっていた。
そして溢れた奴を虐めて楽しむのが当たり前になり、一人、また一人と姿を消していく。消えた人は開拓民、言わば奴隷として、遠方に送られた。そうやって、玩具にできそうな人が減っていき、そしてとうとう僕が目をつけられた。
最初は些細な悪戯だった。僕が干しておいた洗濯物が泥だらけになっていたり、ご飯の中に虫を入れられたりと幼稚な嫌がらせだった。
本当に彼らの精神年齢を疑ってしまう。ただそこまではまだ良かった。しだいに彼らは暴力を振るうようになったのだ。しかも彼らは、顔を絶対に狙わない。傷が目立たない服に隠れた胴体を狙ってくる。
そんな集団暴行を受けたある日、僕が寮前の広場にのたうっていると、誰かが近寄ってきた。その人はわざわざ僕の目の前で足を止める。
「あなた惨めね。なんでやり返さないの」
女の人か……?
顔を上げるとそこには、栗色の髪をした女の人が立っていた。歳は姉と同じくらいだろうか。
上から見下ろすその視線からして姉ほどの包容力はないだろう。いかにも言いたいことをズバズバ言うタイプに見える。惨めな僕におせっかいをかけにきたのだろうか……。
「ねえ、聞いてるの?」
「面倒ごとにされたくないからね。それに城の人間も見て見ぬふりをするのが常套手段さ」
「じゃあ、なんで弱いのに一人でいるのよ?」
「はあ?」
「争う力がないなら集団で身を守る。当たり前のことじゃない」
「なるほど……。数で圧倒すればこちらが強いと見せられるのか……」
ん? 強い……?
ふと教会で見た光景が頭に思い浮かぶ。修道女が手から火の玉を出し、傲慢なダズブルゴを従わせたあの光景が……。
「そうか。その方法があるじゃん」
「ちょっ!? えっ……、どこにいくの?」
僕は暇な時間のほとんどを城内の探索に使っていた。その時間で学舎の中に図書室があることを知っていたのだ。
僕は痛みを忘れ走り出すと学舎へと入り、階段を二階に上がる。すぐそばにある図書室の扉を開け中へ入った。
ここは侵入を制限されている部屋ではないため自由に入室ができる。
この城では魔法を使う兵士の養成も行なっている。となれば、それ用の教材だって置いてあるはずだ。
僕は書架に並ぶ書物を端から順に確認していった。
『魔導書第一項』
——これだ。
僕はその本を手に取った。それなりに分厚く、一日で読み切るには無理があったが、億劫になるほどではない。持ち出しは許されないだろうが、時間をかければ読みきれるだろう。
僕は窓際のテーブル席に腰掛け本を開き内容を読み進める。
この本によると魔法というのはまず、魔力を発生させる箇所に気を集める必要があるらしい。筋肉の等釈性筋収縮を用いると成功しやすくなるようだ。そして、対象物をどのように変化させるのかを強くイメージすることも重要であり、発動に必要な術式や呪文は存在しないという。魔力を生成する訓練をし、イメージ力がついてくれば、素質のある者なら使えるようになるとのことだ。
素質のある者という言葉が少し引っかかるが僕はさらに本を読み進めた。どうやら残りのページには回復魔法の方法、修練方法などが記載されているみたいだった。
回復魔法は魔法の中では一番難易度が低いらしく、とりあえず僕は方法に関する記述だけを読み、実際に使ってみる事にした。
腹部にかざした手に力を込め、そこに気をためる。対象の傷の痛みが抜け、元の状態になることを意識する。するとわずかに手から緑光が出た。
修道女にかけてもらった時ほど強い光ではないが、薄らとした緑色の光が患部に吸い込まれていく。痛みもすっかり治った。
「へえー。君、魔法、使えるんだ」
「あっ! さっきの……。まだ何か用?」
「用って君ねえ。こっちは心配して声をかけてあげたんだよ」
「はあ……、それはどうも」
「まあ、いいわ。それよりも君いいね。こんな短時間で魔法を習得したのだから集中力はかなりある方だね。しかも高い向上心を持っている」
「あの?」
「君、名前は?」
「ラルフ・ロドリゲス」
「ラルフ……。私はエミリー・ウィリアムズ。よろしくね」
そう言うと、エミリーは僕に右手を差し出す。何の握手なのかわからないが、僕はとりあえず握った。すると、エミリーは不敵にも思える笑顔を見せる。
「それで、何か企んでいるように見えるんだけど?」
「その……、君にね。剣術を磨くの手伝って欲しいんだよね」
その突飛なお願いに苦笑しながら、僕は言葉を返す。
「残念だけど、僕は剣術に乏しい。他を当たった方がいいと思うよ」
「いいえ。あなたは適任だわ。さっきも言ったでしょ。強い集中力と向上心を持っているって——。そんな人、送られてきた人たちの中ではあなたぐらいしかいないわ」
「それはどうも」
「教人はもう用意してあるから、心配しなくても大丈夫」
「でもねえ……」
エミリーは僕の言葉を遮り、最も効果的な言葉で説得しにかかる。
「ねえ、ラルフ。あなた貴族社会が大嫌いよね。媚びへつらいを見るのが気持ち悪くて仕方がないんでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
「あなたが協力してくれるなら、私が領地を任された時、あなたを私の配下に置いてくれてもいいわ」
「それ、僕に何か良い事あります?」
「そうね。今はないわ。でも、あなたがこのままここにいたとして、いずれは領地を任される事になる。そうなったら、あなたは上級貴族に媚を売らざるを得ない。そういう面倒なのは誰かに任せたいんじゃなくて?」
全く、人の弱みに付け入って交渉するなんて、うまいやり口だな。まあ、ここで生活する上でやりたいことなんてほとんどないから、暇つぶし程度にはちょうど良いのかもしれない。
訓練場まで移動しながらそんなふうに思った。しかし、僕は教人の姿を見てその意識を改める必要があった。訓練場にいたのは兵士を引退した教官と思いきや、バリバリ現役の傭兵だったのだ。
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