第4話 殿方からの右手の甲に口づけはいつ以来かしら

 あれから10日ほどポーテスの稽古を受けていたのだけれど、毎日新しい事を覚えるのは本当に楽しい。

 これまでは出来もしない聖女のお役目で、あまり時間が取れなかったのもあって私は熱中した。


 ポーテスは嫌な顔一つせず私に付き合ってくれる。

 体の節々や筋肉が少し痛むけれど、次第に慣れるという。

 元々体系の維持位でしか運動してなかったのだもの、仕方ないわよね。


 力の流れというものを兎に角感じるのが大切で、私はその感覚がとても優れているようだ。

 例えばポーテスが私の肩を掴むと、私は身をよじるだけでポーテスの体勢を崩せるようになった。

 相手の体のどこかが私に触れていれば、そこから相手がどう動くかが分かるのだ。


 不思議な感覚ではあったけど、ポーテスによればこの感覚は本来は長い時間をかけて養っていくものらしい。


「いやはや、驚きました。お嬢様にこのような才能がおありだとは」

「ふふ、ありがとう。私も驚いているわ」

「基本的なことをお教え致しましたし、このまま私が指導しても良いのですが、この調子ならばもっと専門的に学んでも良いかもしれません。ラーゲン王国流武体術の指南役を招致しましょう」


 ポーテスはお父様に私の事を伝え、お父様は私の意外な才能に驚いたものの随分と明るくなったことを喜んでくれた。

 すぐに王国内の道場から適役を呼んでくれるという。


 あの日、王子から一方的に婚約破棄を言い渡された日から社交界に一度も顔を出していない……。


 本来であれば家の為、私の将来の為にも今が一番大切な時期なのだけれど。


 そこまで考えて私はふっと笑った。

 今の私は外から見れば公爵令嬢であること以外酷い負債だらけだ。

 外から見れば聖女であることが益々私の重荷になる。


 両親には負担をかけ続けてしまうが、もう少しだけこのまま過ごそう。


 体をよく動かすからか、食事の量もここのところ増え気味だ。

 体重は増えてはいないのだけれど、筋肉がついてるのかしら。

 確かに体が前より軽い気がする。


 そう思って二の腕に力を入れてみたのだけれど、柔らかい感触しか感じられなかった。

 メイドのレイがその様子を見て思わず笑って、私は恥ずかしい思いをすることになった。全くもう。


 それから更に10日ほど経って、遂に指南役の先生が屋敷に到着した。

 なんでも今王国で最も強いと噂されている方らしい。


 何時もの部屋で待っていると、ノックの後にポーテスがその先生を連れてきた。

 思わずあっ、と言ってしまいそうになる。


 背が高く、引き締まった身体に短くまとめられた髪。

 そして右手にだけつけられた片眼鏡。

 何よりも整った顔。


 武術の先生というよりも役者といった方が余程似合う風貌だった。


「ティアナ様。私王国内で道場を開いておりますハーグ・セントスと申します。どうぞお見知りおきを」


 そう言って跪き、私の右手の甲に口づけをする。

 私はその口づけを受け入れ、挨拶する。


「よろしくお願いしますね、ハーグ先生」

「はい。ティアナお嬢様は随分と才能が御有りと伺っております。公爵家の警備を任される人物が言うのですから、気になっておりました」

「私自身では良く分からないのだけれど……」


 ポーテスは軽く咳払いをして、ハーグ先生に所感を伝える。


「お嬢様は身体的には年相応です。ですが、力を感じる感覚が大変優れておいでです。ラーゲン王国流武体術の基礎をすぐに学び終わりました」

「それはそれは……貴族、それも公爵の御令嬢であるティアナ様がそのような才を」


 意外そうな顔を隠さずにハーグ先生は言う。少しばかり観察の色を含んだ眼をこちらに向けながら。些か無礼ではあったけど仕方ない。


 本当は聖女の才能が有れば一番良かったんですけどね。いや本当にそう思いますわ。


「ではどの程度かテストさせて頂きます。今から私はティアナ様の右肩に手を置きます。無礼ではありますが御容赦を。もし力の流れがる分かる、というのならば私が肩を置いたときに感じた力を足に逃がしてみてください」


 足に逃がす……? ポーテスとの訓練ではそのような言われ方はしなかったのだけど。

 私が不思議に思っていると、不意に右肩に強い衝撃が来た。

 私の全身を叩きつけようとするほどの力で、私はそのまま地面にぶつかるかと思った。

 私は咄嗟に言われたように、感じた力を受け流すように足に向ける。

 やろうと思ってやった訳ではない。


 肩から伝わった力は私の全身を駆け抜け、足の裏にたどり着く。

 私はそのままその力を逃がす。


 そうすると、床の板がひしゃげたような音がして、見事にえぐれていた。

 まるで重い何かが地面に落下したかのようだ。

 しかし私の体には傷一つない。


「ハーグ殿、あなた何を! お嬢様にそのような!」


 ポーテスがハーグ先生を押しのけ、私に駆け寄る。


「いやぁ凄いなぁ。ティアナお嬢様、どこかお怪我や痛みは?」

「いえ……びっくりはしましたけど。すごい衝撃が来たなと思ったら床が。何なのでしょう、これ」

「床の代金は私の給金から引いてください。多分出来そうだなと思ったんですが本当にできるとは。武に一生を捧げてもこれができない人が殆どなのに」


 ハーグ先生はポーテスを宥めながら、興味深そうに私を見ていた。

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