第2話 初恋だった・エブリン視点



 私は貴方と出会ったこの幸福な日を、生涯忘れないと心に誓ったの——。



 私とスティーブン様が初めてお会いしたのは、婚約者として両家が顔合わせをした日だった。

 初めて王都に来て感じたのは、知らない景色に見た事のない煌びやかな街並み、全てが現実なのにまるで夢の中に閉じ込められたような息苦しさだった。幼いながらも言い知れぬ不安が、身体中にべったりと張り付いたような強い不快感を感じた。


 両親は一緒に王都へ来ていたけれど、大人同士での話があるからと私だけダルトン侯爵家の庭園に案内され、そこでしばらく遊んでいるように言われてしまった。

 どうしたらいいのか分からないまま庭園を彷徨っていると、すぐに迷子になり不安が最高潮に達した私は、とうとう我慢出来ずその場でしゃがみ込んで泣いてしまった。


 迷路のような知らない庭で帰り方も分からずひたすら泣いていると、そこに白金髪プラチナブロンドの綺麗な男の子が私の顔を覗き込み、そっとハンカチを差し出しながら声をかけてくれた。


 「泣いてるの?僕が守ってあげるから大丈夫だよ!」

 「エブリン!エブリンの髪は本当に綺麗な色だよね。だって僕の大好きな苺の色なんだ!」


 そう言って優しく髪に触れてくれた男の子に、私は一瞬で恋に落ちた……初恋だった。

 泣いていた私を慰めようと必死な彼を見て、心臓の音がいつもより大きく耳に響いていたのを今でも覚えている。

 それから大人たちが来るまで、たくさんその男の子と話をした。そしてあれほど止まらず流れ続けていた涙は、男の子と過ごすうちにいつの間にか止まっていた。


 二人で話し込んでいるうちに大人たちが庭園へとやってきて私と隣にいた男の子、スティーブン様と婚約したと説明された。

 その話をきいて、私は心の中で一人舞い上がった。


 初恋の人が婚約者だなんて私は幸せ者だった。貴族の中には例え相性が合わなくとも政略結婚だと割り切らなければならない人もいると成長してから知り、さらに自分の恵まれた環境に感謝した。

 両親は最後まで心配していたけれど、私は初恋のスティーブン様と婚約出来た事実に、その日は舞い上がってなかなか寝付けなかった。


 スティーブン様は私よりふたつ年上だったから、早く彼の横に堂々と立てるように勉学や自分磨きも、一切手を抜かず必死で努力した。

 彼に少しでも綺麗だと言ってもらえるように。

 自慢の婚約者だと思ってもらえるように、どんな辛い事も彼を思えば耐えられた。


 そしてスティーブン様は、頻繁に王都にある我が家に訪れてくれた。

 いつも大きな花束をプレゼントしてくれ、手渡す際に必ず「エブリン愛してる」と、はみかみながら言ってくれる瞬間は毎回飛び上がる程嬉しかった。お互い同じ想いだと知り、私のこの想いもどうにか伝わってほしくて、「スティーブン様を愛しています」と精一杯の想いを込めて伝えた。

 だからこそこの想いが伝わっていると思っていた私は、彼と相思相愛なのだと信じて疑わなかった。


 でも私が社交界デビューを果たすとその想いが私の、私だけの思い込みなのだという現実を嫌でも知る事となった。

 夜会ではスティーブン様と別れ一人でいる時を狙って必ず王都派のご令嬢達から、囲まれ声を掛けられた。


『野蛮な辺境の令嬢と婚約なんて、スティーブン様はお可哀想』

『スティーブン様は本当は嫌がっておいでなのに、いつまでも婚約者がその立場にしがみついていらっしゃるから……なんて厚顔な方なのかしら』

『私ならとてもそんな事できませんわ』


 そんな言葉を口々に囁かれ、少しづつ心にヒビが入っていくのが自分でも分かった。

 でも私には、スティーブン様の“愛してる”の言葉があるから何とか耐える事が出来た。

 いや違う、私はその言葉に縋ったのだ。


 私はスティーブン様を信じてる。だって、いつも愛していると想いを伝えてくださるもの。

 それに私はあの日、優しく微笑んでくれた彼を信じてる。大丈夫よ……。

 でもそんな私に、現実は幸せな夢すら見る事を許してはくれなかった。


 ある日令嬢達を集めた茶会で一人のご令嬢が私の側まで近づき、まるで最初から私と親しかったかのような態度で話しかけてきた。

 

「スティーブン様は、随分情熱的な方ですのね。私あんなに激しく求められて、本当に困ってしまって……」

 

 そう言って頬を染めた彼女を見て、嫌な予感が頭をよぎった。

 最近は婚前交渉も、昔ほど嫌悪される事ではなくなった。だから別に婚前交渉があっても不思議ではない……けど、それは婚約者同士の話であって、婚約者がいながら他の人とするのは今でも嫌悪される行動だ。


 仮にも私という婚約者がいるスティーブン様が、そんな事するはずない。

 だって彼は、昨日も「愛してる」と言って微笑んでくれたもの。


 結局その令嬢に曖昧に微笑み返しただけで、その場の空気に耐えられなかった私は、早々に会場を後にした。

 早足でその場を立ち去っても、心はギシギシと嫌な音を立てて、痛む事をやめてはくれなかった。

 それでもそんな事はない、何かの間違いだと、必死で自分に言い聞かせ続けた。もうこの時既に、自分の気持ちを誤魔化していないと、心を保っている事すら難しかった。


 でも不安で不安で、既に心も体も限界だった私は、ある夜会でスティーブン様の後をつけてしまった。

 

 (エブリン大丈夫よ、きっとあのご令嬢の言葉は、いつも囁かれる嫌味と同じよ。だから実際は違うわ……私はスティーブン様を信じているもの)

 

 目を瞑り、小さい声で自分自身に繰り返し言い聞かせた。

 覚悟を決め顔をあげると、そこには今まで私自身に言い聞かせてきた事が、全て無意味だったと嘲笑うような光景が広がっていた。


 スティーブン様は、すぐ後ろの柱に隠れている私に気付く事なく、また茶会で話しかけてきたご令嬢とは別の女性と、休憩室として用意されてある部屋に仲睦まじく消えていった。

 その意味が分からないほど、私はもう子どもではなかった。

 

 (あのご令嬢の言っていた事は本当だったのね……)


 現実を受け入れた瞬間、ずっと小さなヒビが入っていた私の心に大きな亀裂が急速に入っていき、今までにない程の痛みを伴った。

 これ以上その場にいる事が出来なくて、私は体調不良を理由に急いで屋敷に戻った。いつもより帰りが早い私を屋敷の使用人達は皆心配してくれた。けれど私は、曖昧に微笑み自室に鍵をかけて閉じこもり、そして耳を塞いだ。


 (何も見たくない、知りたくない……!!)


 翌日スティーブン様が私に会いに来て下さった時、昨夜の心の叫びを無視して私は彼に言ってしまった。

 あの日の夜会で、ご令嬢と休憩室に入って行く姿を見てしまったと。

 最後までスティーブン様を信じたかった。自分が見た光景を、否定して欲しかった。


 (きっと私の勘違いよ。人違いだと、スティーブン様は呆れて笑って下さるわ)

 (大丈夫、大丈夫だから……)


 でもスティーブン様は、一瞬顔を強ばらせたかと思うとすぐに無表情に変わり、残酷な言葉を紡いだ。

 

「君には関係ない」

 

 そう言い残し、すぐにその場を立ち去ってしまった。

 笑える程私のささやかな願いは届かなかった。

 その瞬間、もうギリギリだった心はバリバリと音を立てて完全に壊れていった。


 (あぁ、人の心が壊れるとこんな音がするのね)


 もう悲しいとか悔しいとか、そんな感情すら湧かなかった。

 あんなにも苦しくて、悲しくて、どうにもならなかった心が、音を立てて壊れた瞬間に静けさを取り戻したのだ。


 「ふっ、ははははははははははははははは」

 

 もう二度と私の心が動く事はないのだと、その幸せな事実に嬉しくなった私は、気付けば大声で笑っていた。

 二度と絶望する事も、傷つく事もないのだ。こんなに喜ばしい事は他になかった。


 でもいつまでも笑い続ける私は、気付く事が出来なかった。

 その時の私が笑いながら涙がこぼれていた事を。




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