あとちょっとだけ許して

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あとちょっとだけ許して

「ミレナ、終わったよ」

「あ、わかった」


 友達とおしゃべりをしていたところに、後ろから声がかけられる。

 振り返るとそこには、一緒に帰るために待ち合わせをしていた幼馴染の男の子――レイトがいた。


「じゃあ、また明日ね」


 ミレナはさっきまでお話ししてた友達に別れの挨拶を告げて、レイトのもとへと駆け寄る。

 レイトは立ち止まって私が来るのを待って、一緒に校門へと歩き出す。


「先生はなんの用だったの?」


 放課後、帰りの会が終わった後レイトは担任の先生に呼び出しをされていたのだ。

 ミレナはいつもレイトと一緒に帰っているため、今日も一緒に帰るべく、レイトが帰ってくるまでの時間を友達と駄弁って稼いでいた。


「次の行事についての話し合いを近々持つって」

「なんで行事……ってああ、レイトは学級委員だから」


 レイトは格好良くて頭がいい。

 運動もできて、クラスメイトの誰とでも話すことができる。

 おおよそ彼ほど学級委員に向いてる人はいないだろうってくらいできるのだ。


 ミレナは隣を歩くレイトを見る。

 今だって彼は、ミレナが歩く速度に自分の歩幅を合わせている。

 本当はレイトはもっと早くて、学校で他の男子と歩いているときはいつも早く歩いているのだ。


「ありがとう、レイト」


 胸から湧き出す思いを乗せて言葉にする。


「ん、どうしたの?」

「気にしないで、言いたくなったから言っただけ」

「そっ、か……?」


 ミレナはレイトを見ながらはにかむ。

 レイトはそんなミレナを不思議そうに見つめ、やがてまた目線を正面へと向ける。

 ミレナが時々不思議なことを言うのは別に今に限ったことではない。去年からくらいだろうか、時々よくわからないことを言うときはあるのだ。

 最初はかなり戸惑ったけど、今は気にしないことにしている。


 ……まあ、よくわからないと思っているのはレイトだけで、クラスメートには勘づいている人も数名いるのだが。

 

 そうして他愛もない会話をしながら下校路を歩いているとき。


「あっ……」


 ふと、レイトの腕にミレナの手が触れる。

 ミレナは慌てて手を引き、動揺を悟られないようにレイトの顔を窺う。

 レイトは気付かなかったようで涼しい顔をして正面を向いていた。

 その様子を見てミレナは「ふぅ……」と安堵のため息をつく。


「どうしたの、ため息なんかついて。何か嫌なことでもあった?」

「ううん、気にしないで。それより、何か面白い話ない?」

「いきなり無茶苦茶なことを言わないで……」


 ミレナは適当にはぐらかして話を逸らす。

 レイトも特に言及することはなかった。



「やっぱり、好きだなぁ……」


 ミレナは自分の部屋のベッドに仰向けに寝ながら一人ごちる。

 右手を翳すと、一瞬だけ触れた手が視界に入る。

 あの時は誤魔化せたが、今さら顔に熱が昇ってくるのを感じる。


「……我ながら乙女だ」


 手を下ろし、目を瞑る。

 瞼の裏に映るのは専らレイトのことばかりだ。


 気付いたら好きになっていた。

 いつからかなんてわからない。


 ミレナとレイトは小さい頃から一緒にいた。

 家が隣で、親同士の仲が良かった二人は、小学校に上がる前から常に一緒だった。

 幸運にも小学校ではほとんど同じクラスで過ごすことができ、中学も高校も同じところに行くことができた。

 ミレナがレイトへの恋心を自覚したのは高校にあがってからだ。

 それも、気付いたら好きなことに気付いていた。

 だから、自分でもなんでレイトのことが好きなのかなんて、はっきりわかっていない。


 寝返りをうって横を向く。

 視界に映る壁の向こう側はレイトの部屋だ。


「レイトは私のことどう思ってるのかな……」


 まあ、何とも思ってないことは、何となく気付いてるけど。

 ミレナは苦笑しながら思う。

 レイトはミレナのことを何とも思っていない。正確には、仲のいい幼馴染くらいには思っているだろうが、決して「好き」という感情は持ってないだろう。

 あくまで、今はミレナだけの感情なのだ。


 いつかこの気持ちが伝わってほしいと思う。


「……ああ駄目だ駄目だ。とりあえずご飯食べよう。」


 レイトのことを考えると止まらない。そのまま何時間も過ぎてしまいそうだ。

 ベッドから体を起こして立ち上がる。


 いつかこの気持ちをレイトに伝えよう。

 そう決意して。



 帰りのSHRが終わり、教室中の空気が一気に弛緩する。

 ミレナは荷物を纏めて、レイトの席を見て気付いた。


「あれ、レイトは?」


 教室には実に三十数名の生徒が詰めているため、探している人を見逃すことは往々にしてある。

 そのためもう一度教室を端から眺めてみるが……やはりレイトの姿は見かけられない。

 レイトの席にはレイトの荷物が置きっぱなしになっているため先に帰ったわけではなさそうだ。


「レイト見なかった?」

「うん? あれ、確かにいないね」


 すぐ近くのクラスメートにレイトの居場所を尋ねるが、どうやら知らないようだ。

 その後も数名に聞くが全員がわからないという。


「どこ行ったのかな……?」


 待っていてもいいが、誰にも知られずにいなくなっているのが何となく気になったので、探しに行くことにする。

 数名にレイトが戻ってきたときのために言伝だけ残してレイトを探しに行く。


 大体レイトに用がある場所と言ったら職員室か図書室あたりだ。職員室にいるときはたいてい先生にわからないことを聞いているか、もしくは頼まれごとをしているのだ。

 とりあえず教室から近い職員室の方から覗きに行ってみる。

 入り口から中をちらっと覗いて、担当を持っている教師の席を確認するがレイトの姿は見当たらない。


「あれ……?」


 職員室にはいなさそうなので今度は図書室に向かってみる。

 図書室は本棚が整然と立ち並んでおり、人探しをするときにすれ違う時がある。

 なので二週ほどして探し回ってみるが、やはりレイトの姿は見つからなかった。


 早くも当てが外れ万策が尽きて項垂れる。

 職員室にも図書室にもいないとなると、どこにいるのかわからない。


 それにしても、どうして誰にも言わずにいなくなったのだろうか。

 いつもどこかに行く時は友達の誰かに何かを伝えていたはずだ。

 それが今日は本当に誰も知らなかったので不思議でならない。


「もしや神隠し……って、流石にそれはないか」


 そんな馬鹿みたいな予想を立てながらレイトのことを探していると、人気のない中庭にたどり着いた。

 まあここにいないだろうと踵を返して校舎の中に戻ろうとすると、風に乗って微かに声が聞こえた気がして思いとどまる。


 声が聞こえたのは中庭を奥に進んだ、さらに人気のない校舎裏の方からだ。

 ミレナは無性にその声が気になり、声の方に足を進める。

 先に進むほどに声が大きくなってきて、声の内容がはっきりしてくる。


「……って、告白?」


 聞こえてきた内容から察するに、どうやら誰かの告白現場に立ち会ってしまったようだ。


「……気になる」


 覗きたくなる。

 ミレナは今まさに恋をしている最中の少女だ。告白シーンはものすごく気になる。

 だけど同時に、見られたくない気持ちも理解できる。流石に、覗き見るのは気が引けた。

 後ろ髪を引かれながら静かにその場を去ろうとし、しかしお相手だろう男の子の声を聞いて思わず立ち止まる。

 一瞬聞こえた声が、誰よりも知っている、誰よりも好きな男の子の声に聞こえたのだ。


「……レイト?」


 嫌な予感を感じながら、しかし声の主が気になって現場に近づく。

 告白は校舎を曲がったところで行われているようで、奥の方から声が聞こえてきている。

 校舎の陰に隠れてこっそりと先を覗き込む。

 そこにはクラスメートの、物静かでいつも本を読んでいる女子と――


 ――レイトが、いた。


 息を呑む。

 思わず出かけた声を必死に抑えつける。

 心臓は嫌な鼓動を刻み、自然と息が荒くなってくる。


 ミレナが必死に動揺を抑えようとしている中、告白は進んでいく。


「一年生の時、同じクラスになった時から好きでした」

「……」


 女の子の言葉を聞いて、レイトは黙っている。

 ミレナは女の子の言葉を聞きながら複雑な感情が渦巻いていた。

 驚愕焦り緊張不安後ろめたさ好意悪意……心の中を様々な感情が渦巻き、前後不覚になってしまう。

 ふらつきそうになる体を壁に手をついて必死に抑えながら……何となく、結末がわかってしまった。


 ミレナはレイトと幼馴染だ。

 レイトのことは誰よりも知っているつもりである。

 だからこそ、レイトがこうして告白されたときどうするのか、何となくわかってしまうのだ。


「私と付き合ってください」


 女の子が最後の一言を口にする。

 ミレナはこれ以上見たくないと思いながら、しかし目を逸らすことができない。


 どれだけの時間が経っただろう。数分のように感じたが、数秒だったのかもしれない。

 ミレナは断ってほしいという期待に、ほんの少しの確信を含んだ諦念を込めて二人の行く末を見る。


 レイトが口を開く。


「うん。これからよろしくお願いします」


 もう見ていられなかった。

 ミレナは全力でその場から駆け出す。

 もしかしたら踏み込んだ音が二人に聞こえたかもしれないけど、それを気にできるほど心の余裕がなかった。

 校舎裏とは別の人気のない場所を目指して走り……屋上へと繋がる階段へと辿り着く。

 屋上に繋がる扉の前に座り込んで……そこが限界だった。


「うぅっ……」


 とめどなく溢れる涙を拭う。

 どれだけ拭っても止まらない涙を、何度も何度も拭う。

 何度も啜り上げながら、両目を押さえる。


「なん、で……なんで……。私の方がレイトのことを知ってるのに。私の方がレイトのこと好きなのに……」


 わかっていた。

 なんで女の子が選ばれたのか。

 私は今の立ち位置に甘んじてしまっていた。

 ちょっとした驕りだった。

 ここにいれば……レイトの隣にいたら、いつかレイトと一緒になれると思っていた。


 ――あぁ、選ばれなくて当然だ。


 できるだけ声が漏れないように唇を噛む。

 涙が止まるまでミレナはそのままその場で泣き続けた。



「ミレナ、遅かったけど大丈夫?」


 教室に戻るとレイトが荷物を纏めて待っていた。

 すでに教室には誰もいないが、レイトの様子を見る限り誰かが、ミレナがレイトを探しに行っていることを伝えたのだろう。

 ミレナは平静を装って教室に入り……レイトの顔を見て涙が出そうになる。


「……ミレナ? 目が赤い気が――」

「ごめんレイト、今日は先に帰って」


 レイトの言葉を遮ってミレナは言葉を発する。

 レイトはミレナの様子に戸惑うが、ミレナの雰囲気が本気であることを感じとって素直に従う。


 レイトが教室を出ていくのを見守ってから、ミレナは深呼吸をして氾濫する感情を落ち着ける。

 教室に一人、空の色は微かに黄金色になり始めている。


「あぁ、無理だなぁ……」


 ミレナは一人呟く。

 本当は、さっきで全部諦めたかった。

 レイトを困らせたくないから、諦めて心のうちに仕舞い込むつもりだった。


 でも。


 何にも変わらなかった。

 いや、今まで以上にレイトへの気持ちが大きくなった。

 失って気付くとはまさにこのことかもしれない。


 ――ごめん、レイト。それに、今日一番勇気を出した女の子。


「もうちょっとだけ、この恋心を抱えさせてください」


 ――私がもう少し、大人になるまで。

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