ネクタ・ボーイズ

 品行方正で生真面目に背を正して、シャツの皺のひとつもアイロンで伸ばしているあなたに、ぼくはひと目で恋に落ちたのです。

 それだけでよかったのに、きっと満足だったはずなのにどうしてあんなことになってしまったのでしょう。




「グランピング?」

「徹生の奴がご丁寧に予約済みだと。リュカもクゥに会えるだろう、初めての年越しだからと乗せられて断る理由がなかった」


 低い声でボソリボソリと話す声色はウッドベースのようだとぼくは思う。低い調子で表情こそ興味が薄そうにしているけれど、それがぼくを気遣った結果じゃないことは知っている。

 彼は徹生さんを気に入っている。


「四人でちゃんと顔合わせるの、初めまして以来だね。今日会った時は何も言ってなかったから、今頃、クゥもびっくりしてるだろうな」


 静かに頷く聡は、それ以上言葉を発しない。そういう人だ。それが心地いいと感じられる相手なんて初めてだった。

 ぼくはとても心配していたけれど、あの酔っぱらった夜の後も聡の態度は変わらなかった。

 お酒の量には気を付けているようだった。

 と言うより、外で飲んで帰ることがほとんどなく、休前日に缶ビールを一缶。それが決められた習慣のように開けられるだけで。

 ぼくは、聡と食事をした後のテーブルで辞書片手にノートを開いていた。その様子を、真向いでウェアラブル端末に目を落としながら時折ぼくを見る聡と目が合う。

「聡、本を読む時だけ眼鏡するのはどうしてなの?」


 何度も目が合うのがくすぐったくて、ぼくは訊ねていた。聡は、コツコツとタッチペンをテーブルに叩いてから顎に手をやって考えた後に、無言でぼくに眼鏡を差し出した。

 茶縁のスクエアフレーム。受け取って、掛けたらいいのだろうかと不安になりながらそれを着けてみる。


「……度が入ってないよこれ」

「眼はいい方なんでな」

「じゃあ、尚更どうして」


 聡が再び黙る。コツ、コツ、再び何度かタッチペンを叩いてからゆっくり口を開いた。


「枠があるから視界を絞ることができる。……正直なところあまり役には立っていないが、ないよりは読書に集中できる気がしてな」

「ごめんなさい、ぼく邪魔してるね」

「……そういうことじゃない」


 ぼくは反射的に謝っていた。きっとぼくの一挙一動が視界の端に映っていたから気になって目が合っていたんだ。

 ぼくは急いで眼鏡を外してから辞書を畳み、ペンを片付けた。宿題は明日の朝、少し早く起きて聡が眠っている間にだってできる。


「俺の集中力が足りないという話だ、リュカ。お前を見習いたいから、こうして目の前に座ってる」


 ペンケースを閉める途中で、ボソボソと申し訳なさそうに聡は言った。ゆっくりと手を伸ばして眼鏡を再び着ける。

 ブリッジを指で押さえる仕草が格好良い、だなんて悠長な感想。


「……耐性を付けたいんだ」


 何の。訊ねたかったけれど、再び聡の視線はウェアラブルに落ちていたし、何だか訊いてはいけない気がしてそれ以上訊けなかった。

 ぼくは、聡の好きな紅茶を淹れることにした。多分目が合わない方がいいんだろうなあ、なんて思いながら。




 レンタカーの助手席でシートベルトを締めながら、ちらりと隣の聡の顔を確認する。運転に集中するためだろう、眼鏡をしっかり着ける表情は真剣そのもので、心なしかいつもよりピリリと張り詰めていた。

 それもそのはず、聡が車に乗れること自体ぼくは初めて知った。普段乗らないのにこんな動く箱に命を四つも預かるのって、きっと半端じゃなくプレッシャーがある。

 聡の運転に不安を感じることはなかったけれど、それと彼の緊張はイコールじゃない。

 ぼくはシートに深く座ってできるだけ聡の邪魔にならないように静かに黙った。

 後ろに座った方が良かったかもなぁ、と思ったけどもう遅い。走り出した車はすぐに合流地に着いて、後ろにもこもこに厚着したクゥと徹生さんが乗り込んだ。


「リュカ、焚火でマシュマロ焼こうぜ!」

「オレ、ジャグジーで使える防水トランプ買って来た。欲を言えばこうジャラジャラと……麻雀打ちてえなあ! なぁ聡ィ、お前もそう思うだろ? ねえけど!」


 後部座席は終始こんな調子で、相槌を求められながら聡を横目にぼくは落ち着かなかった。聡は、その全部を無視していたけれど。

 驚いたのは想像以上にふたりが仲良く見えたこと。心なしか、波長がとても合っている。やいの、やいの、応酬はしていたけれど。

 ぼくはもう一度、聡を見上げた。

 言葉なく、だけどぼくの視線にしっかり気付いて口許に小さく笑みを浮かべてくれる。

 ああ、よかった。

 その笑顔を見て、ぼくはとても安心した。

 ホリデー気分でそうなってるのか、この数ヶ月で少しは打ち解けたのか。多分両方なんだろう。

 初めて見る雪、ドーム型のテント、満天の星空。ぼくもいつしか夢中になってクゥと雪原を走り回った。


「……なぁリュカ。まだ、おれたちは戻れるよな?」


 遠く、離れたふたりに手を振っていると、息を切らしながらクゥが訊いた。

 ぼくは咄嗟のことでクゥが何を訊いているのかわからずに首を傾げるしかなかった。

 息を整えながら、ははっ、とクゥが笑う。

 久し振りに見る親友の笑顔。


「やり直すんだ、全部。……まだ、序の口だけどさ。おれは、おれを取り戻す」

「吹っ切れたンだね。……ぼくも、やり直せる、かなぁ……」


 『狂わせることしかできないのか』。

 ぼくにはまだとても自信がない。だけど、少しずつ変わってきているものもあるのは本当で。

 ……でも、ぼくのこの気持ちはどうなるんだろう。気の迷いだって笑える日が来る?


「楽しくないか?」

「ううん、楽しい。ずっと続けばいいのに」

「続けようぜ。全部感じよう、……きっとやれるさ」


 吐息と一緒に吐き出される言葉は、まだクゥにも確信があるわけじゃないとわかる。

 だけど、そう意気込める強さを羨ましいと思ったし、ぼくもそう思いたいと。

 




 ぼくの心臓が止まるまで、ぼくはあなたを想い続けるでしょう。

 それをあなたがどう感じているのか、いつかぼくにも教えてください。

 できればぼくとあなたが一緒に居られる限られた時間の残るうちに。

 ネクタのようにあまい時期は一瞬だから。



 

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