文通

曹灰海空

文通

 部屋の中、春の陽気を感じさせる優しい木漏れ日が差し込んでいた。

 少し開けた窓の外からは桜の花びらが舞い込み、白いシーツの上に優しく落ちる。

 そんな穏やかな時間の中、僕は言葉なき彼女にその花びらと同じ色の便箋を握らせた。


 あの時判断がもう少し早かったなら――


 彼女の横、積み上がった紙の束を見つめ悔しさで頭を垂れる。

 そして、涙の中いつしか僕は自身の記憶を振り返っていた。


 ***


 文通――今のソーシャルネット時代において明らかに時代遅れな手段だが、僕はそんなアナログな代物に憧れていた。

 連絡手段という点ではスマホのSNSアプリは欠かせないのだが、仕事以外でのSNSは個人的に気疲れする経験が多かったのだ。

 だから片田舎の病院に置いてあった雑誌の中、交通コーナーで今どき珍しい文通相手の募集があった時は目を疑いはしたものの試しに一通送ってみることにした。

 一通目は「はじめまして。雑誌の交通コーナで見かけたので送ってみました」くらいの正直愛想もない定型文。

 正直返信の手紙なんて返ってこないと思っていた。

 ところがそれがどうだろう?

 送ってから二週間後、普段広告しか詰まっていない家のポストに茶色の封筒が入っていた時はとても驚いた。

 おっかなびっくり開けた封筒の中には便せんが一枚。

 「はじめまして。一通目の文通送ってくれてありがとう」なんて、僕と同じようなぎこちない定型文が細い文字質で書かれていて。

 それがスマホ上で見るどんな長文の会話よりも心に響き思わず手が震えたのを憶えている。

 それからは一週間から三週間と幅のある緩やかなペースながらもやり取りは続いていき、夜遅く帰る度ポストを覗くのが僕の楽しみとなるのにそう時間はかからなかった。

 元々仕事柄趣味なんて大してなかったというのも大きかったかもしれない。

 昼休み同僚がソーシャルゲームで忙しそうにしてる様子を眺めながらのんびり次に綴る文章を考える時間を過ごす。

 それがまた、なんだか周りが知らない特別なことを知っている不思議な気分になれて心地よかった。


 そんな顔も知らない相手との文通も始めてから数年がたち、今ではやり取りする便箋の量も慣れから三、四枚になっていたある日のこと。


 文通を始めて四度目の春だっただろうか。

 見慣れた茶封筒を開けた僕はいつもと様子が違う事に首を傾げていた。

 いつもの白便箋数枚ではなく、たった一枚押し花がされた桜色の紙が入っていたのだ。


 『一度実際に会って話したいです』


 ただ、そうとだけ書かれた一文。

 文字数にしてたった十四文字。

 けれど、その十四文字に一体どれだけの想いが込められているのか推し量るのはとてもとても難しくて。

 便箋と文字を超えた出会いの先を展望するのか――それともこのまま普通に文通を続けるのか。

 悩んでもその場で答えは出そうにもなく、ボーンと鳴り響いた零時を告げる時計の音に僕は考えるのを止める。


 「まあ、今まで通り一週間くらいのんびり考えるか……」


 押し花にどこか引っかかりはしたものの。

 僕はその日、仕事の疲れもあり寝てしまったのだ。

 

 ***

 

 彼女が最近街の大きな病院に入院したのは知っていた。

 彼女の字が日々細くなっていくのも知っていた。

 声の出ない彼女が文通を始めたきっかけが小さな片田舎の病院にあることも――


 そう。本当は知っているはずだった。


 だからこそ彼女に対して僕は永遠の文通の相手でいたいと思ってしまったのかもしれない。


「そんな偶然があるわけない」と。


 だって僕は――



『ありがとう、ドクター』



 そう書かれた僕の持つ便箋と瓜二つの便箋を静かな胸の上に乗せた彼女の顔は、少し寂しそうにも幸せそうにも見えて。


 その側にある見慣れたアヤメの花はつい最近摘まれたようだった。

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