④主人公の特別扱いが当たり前になっている


 私が思うに、どんな物語でも主人公は2パターンに分かれると思う。平凡か非凡か、この2パターン。前者である平凡な主人公は、運悪く何かに巻き込まれたり個性的な面々に巻き込まれたり、その人の視点で物語が進む。私の好きな映画を例に出してしまうのだが、『コラテラル』は平凡なタクシードライバーが何も知らずに冷酷な殺し屋を客として乗せてしまい、そこから最悪な夜が始まるというストーリーだ。これは主人公が銃で撃たれたら簡単に死亡してしまう平凡な人間だからこそ成立する。


 こちらの、主人公が平凡パターンのWEB小説は面白いと感じる作品もある。『コラテラル』のようなサスペンス系でなくても、平凡な主人公が周囲にツッコミを入れていくコメディーとして物語が成立し、違和感なく楽しめる。


 対し問題は後者のパターンだ。WEB小説の主人公は運よく、偶然に、特別な人間となっている場合が殆どである。偶然変な設定のVtuberに選ばれたりゲームの世界の中で制作者から呼び出されたり。あるいは周囲が特別扱いしていたりもする。これは別に、主人公がいきなり特殊能力を持っているのがおかしいという話をしているのではなく、力を手に入れている理由又は代償が無いという部分がいただけないのだ。


 例えばアイシールド21では毎日パシリとして走らされ、そのおかげで走るのが速くなった。弱虫ペダルでは毎日千葉県から秋葉原まで自転車で通っていたので坂道に強くなった。強い理由にはこれまでの修練がある。さらにそこから色んな弱点が露見して、それも克服していく。すごく説得力がある。


 他にもドラゴンクエストⅣは両親が特別な存在で、だからこそ特別な力を持っていたのだが自分の育った村を魔物たちに焼き払われてしまう。野球漫画『砂の栄冠』では1000万円を手にしたせいでとんでもない苦悩や悩みを抱えてしまう。彼らはそれなりの代償を払っているのだ。そして皆、その逆境を乗り越えていく。


 こやって見ていると、「非凡だから主人公」ではなく「主人公に非凡が備わった」のが殆どだ。たとえその非凡性を持ち合わせていなくとも、彼ら彼女らならある程度の逆境を乗り越えていたかもしれない。逆に「運よく能力を手にしたから主人公になった」と読み取れる場合、私からすれば自分が有利になった途端マウントを取る子供と同じとしか思えない。


 スパイダーマンは運よく蜘蛛に刺されてスパイダーマンになったのではない。ベンおじさんの「大いなる力には大いなる責任が伴う」という教えがあり、さらにベンおじさんを失ったからこそスパイダーマンになれたのだ。

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