カフェ探偵はお絵描き中
天海透香
第1話 舞い込む依頼
カフェ・一善は今日も暇だ。
店主は端正な顔を僅かに曇らせてPC画面を睨んでいる。額に落ちる黒髪が影を作り、何やら悩ましい風情だ。
「お客さん、来ないねぇ」
あたし・
「大丈夫。珈琲は売り切れだ。表にclosedの看板を出しておいたよ」
店主から滅茶苦茶な答えが返って来た。
「僕の本業は小説だからね。こっちを頑張れば必然的に収入に繋がるというわけだ。だからそれまでカフェは休業…」
あたしがものすごい形相で睨むと、
--この店の店主である貴兄、
あたしの両親は結婚当初子供ができず、当時五歳だった貴兄を養子に引き取る。ところがその七年後、貴兄が十二の時に両親は思いがけずあたしを授かったのだ。
ところがあたしが七歳、貴兄が十九歳の時に二人で交通事故に遭い、帰らぬ人となってしまった。
それから八年、貴兄は一人であたしを育ててくれている。あたしは十五歳になり、若く見えるけど貴兄ももう二十七だ。
看板をopenにした途端、待っていたかのようにお客さんが入って来た。町内会町内会長の中田さんだ。中田さんは町内の情報を漏れなく持ってくる常連さんである。
「なんだ、中田さんですか」
貴兄は露骨にぞんざいな態度になる。
「そう嫌な顔しなさんな。これでもopenの札が出るまで待っててやったんだからさ。琴理ちゃん、今日もかわいいね!ブレンドお願い」
後半は私に向けて相好を崩して言った。
「かしこまりました!中田のおじさま」
「琴理ちゃんの笑顔を見ると、今日もがんばろうって思えるね。どう?うちの息子の嫁に来てくれる気ない?」
あたしは笑って軽く流して、ふと横の貴兄を見た。貴兄は本気でムッとした顔をして中田さんを睨んでいる。
「琴理はまだ中学三年です。中田さんの息子さんは38歳でしたよね?失礼ですが、その年齢まで独身とは何か理由が?そんな訳ありの人物に妹を嫁にやるわけにはいきませんッ」
貴兄は激してきて、最後にダンッとカウンターを叩いた。
あたしと中田さんは顔を見合わせた。
マズイ。
「いやっ、冗談だからっ!マスター、落ち着いて」
「そうよ、お兄ちゃん!ただのジョークよ!中田さんたらおっかしー!あはははは!」
「タチの悪い冗談ですね」
二人で必死でフォローすると、貴兄はなんとか力を抜いてくれたようだ。
中田さんとあたしはホッと息を吐いた。
以前同じような冗談で、貴兄はトレンチを一枚へし折ったことがある。
そうなのだ。この兄は、妹のあたしを溺愛していると言っていい。父親代わりに育ててくれた恩はとっても感じているけど、最近ますます激しくなるこの頑固親父化現象に少々頭を悩ませている今日この頃である。
「今日は何をしに?」
貴兄が尋ねる。
「喫茶店に珈琲飲みに来ちゃいけないのか?と言いたいとこだけど、実は頼み事があってさ…」
「探偵の依頼は売り切れです」
「は?」
「ですから、探偵はお断りしています、といつも言っていますよね?」
「いやぁ、そこをなんとか!先生!」
「あのですね、確かに僕は推理小説を書いていますよ。だけどあれはあくまで小説なんです。探偵が颯爽と事件を解決してるように見えるでしょうが、作者の自作自演なんです。だから僕自身推理ができるわけでもなんでもなくて…」
「まぁまぁ、いつものように話だけ聞いてよ。来年の町内会役員、見逃してあげるからさ」
「……」
痛いところを突かれて、貴兄は口を噤んだ。
中田さんは一気に話し始めた。
「最近町内でタチの悪い悪戯が相次いでるんだよね。高級車とか、家のドアとかにペンキで落書きすんの。安藤さん、中村さん、宮崎さん、五反田さん、川崎さんがやられて、まだ続くんじゃないかって住民が気味悪がってる。町内会としては夜のパトロールを増やしたりして警戒してるんだけどね」
「落書きだけですか?」
あたしは思わず口を挟んだ。
「そうなんだよ。だから警察も少しは動いてくれてるけど、あんまり熱心じゃなくてね。でもやられた方にしてみると、ちょっとドキッとするような落書きもあってね」
「写真、あります?」
貴兄が口を開いた。
「あるある。ほら、これ」
中田さんがスマホを操作して見せてくれたそこには、ぶちまけられた血のような真っ赤な塗料のかかったドアの写真があった。まるで殺人事件の現場のようだ。それが二枚続く。
「あとはこれ」
次は、車に同じように赤い飛沫が飛び散っている写真。
「なるほど、ちょっとグロテスクですね」
「それと、これはちょっと違うんだけど…」
次に中田さんは、表札が赤い○印で囲われている写真を続けて3枚見せてくれた。
貴兄は中田さんのスマホを受け取ると、何度か写真を行ったり来たりして見ていた。
「中田さん、現場に案内してもらえます?」
「もうきれいにしちゃってると思うけど、いいの?」
「結構ですよ」
貴兄は黒のサロンをシュッと解き、カウンターの上に置いた。そうしてあたしは、今開けたばかりの店にまたclosedの看板を出すハメになった。
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